第5話「誰か、聞いてよ」
着ぐるみモンスター
Another Story
「もし、あの時そこに則人がいなかったら」
第5話「誰か、聞いてよ」
内田紀人 作
※この物語は、本編とは異なる世界線の物語です。
朝になった。
空は明るい。
街も、昨日と同じように動き始めている。
けれど。
さとるだけは。
まだ。
セミスピーカの姿のままだった。
大きな頭。
セミのような身体。
背中の羽。
そして。
腹についた、大きなスピーカー。
「…………」
昨日とは。
少しだけ違うことがある。
スピーカーの音量。
それだけは。
前よりずっと小さくなっていた。
◇
さとるは。
ゆっくりと街を歩いていた。
少し先に。
一人の人が見える。
「…………」
昨日までなら。
すぐに声を出していた。
『ねえ!』
『聞いて!』
そして。
気づいてもらえなければ。
もっと大きく。
でも。
今日は違った。
さとるは。
その場で立ち止まった。
「……ねえ」
小さな声。
相手は。
気づかない。
そのまま。
歩いていく。
「…………」
さとるの手が。
腹のスピーカーへ伸びた。
少しだけ。
音量を上げれば。
きっと。
聞こえる。
「…………」
指先が。
つまみに触れる。
けれど。
動かさなかった。
昨日。
何度も。
何度も。
同じことをした。
聞こえなければ。
大きくした。
それでもダメなら。
もっと大きくした。
そのたびに。
みんな。
遠くへ行った。
「…………」
さとるは。
スピーカーから手を離した。
目の前の人は。
そのまま角を曲がり。
見えなくなった。
「…………」
もう一度。
声をかけることは。
できなかった。
◇
昼。
さとるは。
誰もいない公園のベンチに座っていた。
以前なら。
人がいない場所なんて。
嫌だった。
誰かに話したかったから。
誰かに聞いてほしかったから。
でも今は。
「…………」
静かな場所の方が。
少しだけ。
安心した。
誰かを苦しませることがない。
誰かに逃げられることもない。
その代わり。
誰にも。
話せない。
「…………」
さとるは。
自分の手を見る。
ずっと。
考えていた。
どうして。
こうなったんだろう。
自分は。
ただ。
話を聞いてほしかった。
それだけだったはずなのに。
「ぼく……」
ぽつり。
小さな声。
「誰かの話」
そこで。
一度。
言葉が止まる。
「ちゃんと聞いてたのかな」
風が吹く。
返事はない。
でも。
昨日から。
ずっと頭に残っている。
お母さん。
自分に向かって。
一生懸命。
何かを叫んでいた。
なのに。
聞こえなかった。
自分の声が。
大きすぎたから。
「…………」
兄弟たちだって。
いつも。
自分と同じように。
何かを話していた。
今日あったこと。
学校のこと。
遊んだこと。
嫌だったこと。
嬉しかったこと。
それなのに。
自分は。
どれくらい。
聞いていたんだろう。
「…………」
自分の話をしたくて。
途中で口を挟んだこと。
何度もあった。
誰かが話しているのに。
「それよりさ」
と。
自分の話へ変えたことも。
たぶん。
あった。
「…………」
さとるは。
俯いた。
「ぼく」
膝の上で。
手を握る。
「自分のことばっかりだったのかな……」
その言葉は。
昨日までなら。
きっと。
出てこなかった。
◇
しばらくして。
さとるは。
ベンチから立ち上がった。
「…………」
誰かと。
話したい。
その気持ちは。
なくなっていない。
むしろ。
昨日より強かった。
話したい。
でも。
今度は。
ただ。
自分の声を届けるだけじゃなく。
相手の声も。
ちゃんと聞きたい。
「…………」
できるかどうかは。
分からない。
怖い。
また逃げられるかもしれない。
「うるさい」と言われるかもしれない。
怪人だと怖がられるかもしれない。
それでも。
ずっと。
一人でいるのは。
もっと嫌だった。
さとるは。
ゆっくりと。
人のいる方へ歩き始めた。
◇
道の向こうに。
一人。
歩いている人が見えた。
「…………」
さとるの足が止まる。
胸が。
どきどきする。
逃げられるかもしれない。
でも。
話してみたい。
「…………」
ゆっくり。
息を吸う。
スピーカーの音量は。
上げない。
そして。
今までで。
一番小さな声を出した。
「……あの」
遠い。
相手には。
聞こえていない。
そのまま歩いている。
「…………」
さとるは。
もう一度。
今度は。
ほんの少しだけ。
声を出した。
「ぼく……」
声が震える。
「話したいことがあるんだ」
けれど。
その声も。
相手には届かなかった。
人影は。
少しずつ。
遠ざかっていく。
「…………」
さとるは。
追いかけなかった。
声も。
大きくしなかった。
ただ。
その背中を見送った。
やがて。
人影は。
見えなくなった。
また。
一人になった。
◇
「…………」
静かな道。
さとるは。
そこに立っていた。
昨日なら。
ここで。
音量を上げていた。
聞こえないなら。
もっと大きく。
それしか。
知らなかった。
でも。
今は。
しなかった。
「…………」
聞いてほしい。
その気持ちは。
何も変わらない。
でも。
相手にも。
相手の時間がある。
相手の声がある。
そして。
聞くかどうかを。
自分が無理やり決めることはできない。
「…………」
それが。
少しだけ。
分かり始めていた。
だから。
今度は。
大声で追いかけなかった。
それでも。
寂しかった。
「……誰か」
小さな声。
「聞いてよ」
静かな声だった。
昨日までの。
街を震わせるような声ではない。
誰かを。
苦しませるための声でもない。
ただ。
一人の子どもが。
誰かに聞いてほしくて。
そっと出した声だった。
「…………」
返事はない。
セミスピーカの身体も。
消えない。
人間の姿にも。
戻らない。
でも。
さとるは。
もう。
音量を上げなかった。
声を大きくすることと。
話を聞いてもらうことは。
同じじゃない。
そのことを。
ようやく知ったから。
そして。
もう一つ。
自分が話したいのと同じように。
誰かにも。
話したいことがある。
そのことにも。
少しだけ。
気づき始めていた。
「…………」
さとるは。
静かな道を。
また歩き始めた。
まだ。
どうすればいいのかは分からない。
どうすれば。
誰かと話せるのか。
どうすれば。
自分も相手も。
ちゃんと声を届け合えるのか。
答えは。
まだ見つかっていない。
それでも。
昨日とは。
少しだけ違う。
今度。
誰かが話してくれたら。
その時は。
ちゃんと。
聞いてみよう。
そんなことを。
思えるようになっていた。
「……誰か、聞いてよ」
もう一度だけ。
小さな声。
その声は。
とても静かに。
朝の街へ溶けていった。
――Another Story 完




