99話:文化の抵抗
包囲三か月目。
街の中の地下にいくつかの集まりが開かれるようになっていた。
昼間の砲撃と、夜の射撃の合間に市民が地下の集会所に集まる。場所は毎回、違う。同じ場所に長く集まれば、敵に察知される。だから、市民組織が毎回、別の地下を用意した。
集まりの内容は様々だった。
演劇の小さな上演。
音楽の演奏。
詩の朗読会。
***
ルシェンは視察として、ある夜、詩の朗読会に顔を出した。
地下の酒場の奥の部屋だった。
以前は酒を飲む客で賑わっていた部屋だった。今は酒はわずかしかない。客も二十人ほどだった。
壁にランタンが二つ。
部屋の中央に椅子がひとつ。その椅子に老いたエルフが座っていた。手に紙の束を持っていた。
***
ルシェンが入ったとき、老エルフがすでに朗読を始めていた。
古いエルフ語の詩だった。
ルシェンはエルフ語を理解する。だが、古典のエルフ語は現代のエルフ語と少し違う。所々、聞き取れない単語があった。それでも、内容は伝わってきた。
***
詩の内容は——
二人の幼馴染の話だった。
種族が違う二人。エルフと別の種族。詩の中ではどの種族かは明確には書かれていない。「角を持たぬ者」とだけ書かれていた。
二人は同じ村で育った。一緒に木に登った。一緒に川で泳いだ。一緒に星を見上げた。
戦が来た。
二人は別々の側に立たされた。
戦の中で一人が消えた。
残された者が星を見上げて、相手を呼ぶ。
しかし、相手の名前は詩の中で書かれていない。
ただ、「覚えている」と繰り返されていた。
***
ルシェンは聞いていた。
聞きながら、何かに引っかかった。
詩の構造、言葉の選び方、リズム——どこかで知っている気がした。
しかし、思い出せなかった。
詩は現代のエルフ語の文学では聞いたことのないものだった。ルシェンがエルフ語を覚えたのはメシャラのアーリア長老の書庫から借りた本だった。アーリアの書庫には古典の詩集も何冊かあった。
あの中にこの詩はあったか。
覚えていない。
しかし、何かが引っかかった。
***
朗読が終わった。
拍手は起きなかった。代わりに客がしばらく黙っていた。それから、お互いに目を合わせて、頷いた。それがここの拍手の代わりだった。
老エルフが頭を下げた。
ルシェンが近づいた。
「その詩はどこから」とルシェンが聞いた。
「ある商人が北から持ってきた」と老エルフが答えた。「エルフ古語の写しだ」
「商人の名前は」
「ヤヴェル」
ルシェンは頷いた。以前、物資の仲介の話で会った商人だった。「ある詩を酒場で広めるよう、北のある人物から頼まれている」とヤヴェルは言っていた。あの詩がこの詩だった。
「北の誰から頼まれたか、聞いていますか」
「聞いていない」と老エルフは言った。「ヤヴェルは言わなかった。私も聞かなかった」
ルシェンは頷いた。
深く聞かなかった。聞けば、何かが繋がる気がした。繋がれば、何かを確認したくなる。今夜は確認したくなかった。
***
朗読会が終わった。
ルシェンはファトマのところに寄った。
ファトマは起きていた。今夜は市民組織の会議が長引いていた。
「ファトマさん」
「うむ」
「なぜ、砲撃の下で詩を読むのですか」
ファトマがお茶を出した。
「人間であることを証明するためだ」とファトマは言った。
「敵にですか」
「いや」とファトマは言った。「自分にだ」
「自分に」
「砲撃の下で人は簡単に動物になる。生き残ることだけを考えるようになる。それは悪いことではない。だが、それだけになれば、人は人をやめる」
「人をやめる」
「動物として生き残ることと、人として生きることは別だ。包囲下で両方を続けなければならない」
「動物として生き残るのは戦闘で。人として生きるのは——」
「詩で演劇で音楽で。市場で医療で子供の教育で。生き残ること以外の何かを続けることで」
ルシェンは頷いた。
***
「ファトマさん」とルシェンは続けた。
「うむ」
「俺は詩を聞いていて、何かに引っかかりました」
「何に」
「わかりません。だが、聞いたことがある気がしました」
「詩の内容を覚えているか」
「断片だけ」
「断片を言ってみろ」
ルシェンは思い出せる範囲で言った。
「二人の幼馴染。種族が違う二人。一人が戦で消えた。残された者が星を見上げて、相手を呼ぶ。名前は呼ばれない。ただ『覚えている』と繰り返される」
ファトマはしばらくルシェンを見た。
「ルシェン」
「はい」
「お前はメシャラで丘の上で誰かに何かを言われたか」
ルシェンは止まった。
「ティセラに」とルシェンが答えた。「『覚えている』と言われました」
「いつ」
「別れの前夜です」
ファトマは頷いた。
「わかった」
ファトマはそれ以上、言わなかった。
ルシェンもそれ以上、聞かなかった。
***
夜、自室に戻った。
寝台に入った。
目を閉じた。
眠ろうとした。
眠りの中で夢を見た。
メシャラの夜だった。丘の上だった。
ティセラと、ドラガンと、自分の三人がいた。
星を見上げていた。
ティセラが何かを言った。
「覚えている」
その声が確かに聞こえた。
***
ルシェンは目を覚ました。
夜だった。窓の外に月が見えた。
体に汗が滲んでいた。
ルシェンは起き上がった。
ランタンに火を点けた。
***
ルシェンは引き出しの底のページを取り出さなかった。
代わりに新しい紙を机に置いた。
書き始めた。
「詩。エルフ古語。二人の幼馴染。『覚えている』。北からヤヴェル経由」
その下に書いた。
「北の人物は誰か。ヤヴェルは言わない」
もう一行、書いた。
「言わないということは味方だ。あるいは味方になり得る誰か。あるいは——」
書きかけて、止めた。
***
書きかけたのは「ティセラ」だった。
書かなかった。
書けば、確定する。確定すれば、何かを決めなければならない。今夜は決められない。
ルシェンは紙を引き出しの底に入れた。
引き出しの底にまた一枚加わった。
***
窓を開けた。
夜の街は静かだった。砲撃の音は来ていなかった。今夜の射撃の交代の合間だった。
ルシェンは月を見上げた。
月はメシャラで見たのと同じ月だった。同じ大きさ、同じ位置。
誰かが別の場所で同じ月を見ているかもしれなかった。
ルシェンはその思考をしばらく抱えた。
抱えたまま、窓を閉めた。




