98話:包囲下の市場
市場は開いていた。
以前の十分の一の規模だった。屋台の数は、二十あまり。並べられている品物も、以前とは違った。だが、市場は開いていた。
ファトマがそう決めた。包囲開始の翌日から、毎朝市場は開いていた。
***
ルシェンは、視察として市場を回った。
最初の屋台は、野草を売っていた。
売り手は、年配のヒューマンの女だった。籠の中に、葉の付いた野草が何種類か並んでいた。タンポポに似た葉、ハコベに似た葉、それから名前のない緑の茎。
「これは何の野草ですか」とルシェンが聞いた。
「煮込めば、食える。栄養はある。味は——慣れだ」
「いくらですか」
「お前のところからなら、無料だ」
「それでは商売になりません」
「商売じゃない」と女は言った。「街への寄付だ。お前が運ぶ作戦が街を守っている」
ルシェンは頷いた。一束、貰った。あとで、誰かに渡すつもりだった。
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次の屋台は、穀物だった。
籾米と麦と雑穀が、それぞれわずかな量並べられていた。値段は書かれていなかった。
「値段はその場で決めますか」
「そうだ」と売り手が答えた。「家宝の銀の杯と、米一袋を交換した人もいた。一週間前」
「貨幣は、もう使われていないのですか」
「使われている。だが、信用が薄い。物々交換の方が確実だ」
ルシェンは頷いた。
次の屋台は、肉だった。新鮮な肉ではない。塩漬けの干し肉だった。種類は、書かれていなかった。聞かなかった。聞かない方が、互いに楽だった。
次の屋台は、布だった。古い布を解いて、新しい用途に作り変えたもの。包帯にも使えるし、衣服の継ぎ当てにも使える。
次の屋台は、薪だった。建物の梁の燃やせる部分を解体したもの。
市場の品物は、すべて街の中で組み立て直されたものだった。
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ルシェンは、ファトマのところに寄った。
ファトマは、市場の中央に椅子を出して座っていた。
「ファトマさん」
「うむ」
「配給制を提案したいのですが」
「聞こう」
ルシェンが、紙を出した。
「各家庭ごとに、食料、布、薪、薬の最低量を定めます。組織がそれを毎週、各家庭に届けます。公平で計画的で、無駄が出ない」
ファトマが、紙を読んだ。
「わかった」と言った。「お前の言うことは正しい」
「では」
「正しいが、市場を、殺すな」
ルシェンは止まった。
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「市場と配給は両立しないのですか」
「両立する」とファトマは言った。「お前が市場を補助的な存在として扱うなら。配給が主で、市場がその隙間を埋める形なら、市場は機能を失う」
「では、どうすれば」
「配給は、最低限。市場は、それを超える部分。両方を並行する。配給で命を守り、市場で生活を守る」
「市場の方が機転で動くから、長持ちするということですか」
「そうだ。公平は、機械的だ。市場は、人の機転で動く。包囲下では機転の方が長く保つ」
ルシェンは、紙を見直した。
「俺の提案を修正します」と言った。
「修正後を見せろ」
ルシェンがその場で、紙に書き加えた。「配給は最低限。市場はその上の部分。両方を並行する」。
ファトマが、頷いた。
「それでいい」
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「わかりました」とルシェンは言った。「市場を殺さない。最低限の配給だけを組織で運ぶ」
「ルシェン」
「はい」
「お前の頭は、効率しか見ていない時がある」
ルシェンは止まった。
「市民は効率では生きない」とファトマは続けた。「市民は機転で生きる。明日の値段がいくらになるか、自分で考えるとき人は生きている。誰かが決めた数字を受け取るだけのとき、人は半分死んでいる」
「わかっています」とルシェンは答えた。
「わかっているなら、それでいい」とファトマは言った。「だが、お前は繰り返し効率に戻る。気をつけろ」
「気をつけます」
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昼前に、砲撃が市場の近くに落ちた。
最初の弾は市場の北の壁の上に当たった。壁が崩れた。瓦礫が落ちた。
二発目が、市場の中の屋台のひとつを直撃した。野草を売っていた最初の屋台だった。
ルシェンは地面に伏せた。周りの市民も伏せた。
砲撃は三発で止まった。
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立ち上がったとき、屋台は半分が燃えていた。
売り手の女は生きていた。倒れた屋台の横にいた。腕を強く打っていたが、命に関わる傷ではなかった。
しかし、近くにいた市民が二人負傷していた。一人は軽傷。もう一人は重傷だった。
ファトマが、すぐに指示を出した。
「治療師を呼べ。担架を用意しろ。重傷者は中央医療所へ。軽傷はここで応急処置」
ファトマの指示は的確だった。市民組織がすぐに動いた。
重傷の市民が、運ばれていった。
市場の他の屋台の売り手たちは、自分の屋台の状態を確認した。直せる部分は直し始めた。野草の屋台も、女が立ち上がって籠の中の野草を整理し始めた。
「明日も開く」と女が言った。声は震えていたが、はっきりと言った。
ファトマが、頷いた。
「明日も開く」と繰り返した。
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翌朝、市場はいつもの時刻に開いた。
砲撃を受けた屋台は、場所を三歩だけ移していた。焼けた柱の代わりに、別の屋台から外した細い梁が立っていた。天幕は半分しかない。籠もひとつ減っていた。
それでも、野草は並んでいた。
売り手の女は布で吊った腕を胸の前に置き、残った手で葉を束ねていた。値札はなかった。昨日と同じだった。
ルシェンは配給表を持ったまま、その屋台の前で足を止めた。
「腕は」
「動かさなければ痛くない」
「休んだ方がいい」
「休めば、この葉を見分ける者がいない」
女は黄色く変色した葉を一本抜き、足元の籠へ落とした。
「これは食えない。似ているが、腹を壊す。数字では分けられない」
ルシェンは手にしていた配給表を見た。野草は一括して、一項目にまとめてある。種類も採取場所も見分け方も書いていなかった。
紙の余白に線を一本引いた。
「教えてください。食えるものと食えないものを」
女が初めて少し笑った。
「朝の市場を一周しな。紙より先に顔を覚えろ」
ルシェンは、配給表を畳んだ。
市場を歩いた。野草の女、穀物を量る老人、布を裂く姉妹、梁を薪に変える大工。それぞれの前で、足を止めた。
市場は昨日より一軒少なかった。
声は昨日より多かった。




