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七つの国境、ひとつの故郷  作者: Jint
第2章:灰燼の種子

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95話:包囲

 包囲が、完成したのは、ある朝のことだった。


 南東の抜け道が、ドワーフ軍の小隊によって、塞がれた。これで、シャヘルの全周が、エルフ軍とドワーフ軍によって、囲まれたことになる。


 ルシェンは、城壁の上に立っていた。


 ***


 北の地平線に、エルフ軍の旗が見えた。


 西の地平線に、ドワーフ軍の旗が見えた。


 南東の方角にも、新しい旗が見えるようになっていた。ドワーフ軍の支隊の旗だった。


 全周が、囲まれていた。


 ルシェンは、しばらく、それらの旗を、見ていた。


 ***


 市民の反応は、最初の数日、複雑だった。


 恐怖が、一番大きかった。


 しかし、その下に、楽観も、混じっていた。「すぐ終わるだろう」「敵も、シャヘルを完全には封鎖できない」「二週間で和平になる」——そういう声が、街のあちこちで聞こえた。


 ルシェンは、それを聞いていた。聞いていて、何も言わなかった。


 ***


 防衛会議が、地下の倉庫で開かれた。


 三十人ほどが、長卓を囲んだ。ミラ、ルシェン、ベシム、リアン、各小隊長、ファトマ、市民組織の代表たち。


 ルシェンが、立った。


「今後の見通しを、整理します」


 地図の前に立って、説明を始めた。


「包囲戦は、段階を踏みます。第一段階は、衝撃期。最初の数週間。直接攻撃と、防御。敵が、最初の攻勢で、決着を試みる」


「第二段階は、安定期。数か月。消耗戦と、物資戦。敵は、街を完全には落とせない、と理解する。我々は、街を完全には守りきれない、と理解する。両方が、新しい現実に、合わせていく」


「第三段階は、長期化。年単位。日常としての包囲。市民の生活が、包囲を前提に組み直される」


 ルシェンが、説明を区切った。


 古参のリアンが、声を上げた。


「年単位はないだろう」


 リアンは、笑いを混ぜようとした。だが、笑いにはならなかった。


「ある」とルシェンは答えた。


 会議室が、静かになった。


 ***


「お前、なぜそう言える」とリアンが聞いた。


「観察と推測です」


「観察と推測で、年単位、と」


「過去の似た構造の包囲は、数か月では決着しませんでした」


「過去の」


「歴史の」


 ルシェンは、それ以上、説明しなかった。前世の、とは言えなかった。歴史の、と言っておけば、リアンは、それ以上、聞かないはずだった。


 リアンは、しばらくルシェンを見た。


 追及しなかった。


「お前が言うなら、そうなのかもしれない」とだけ言って、座った。


 ***


 ファトマが、ルシェンを見ていた。


 ファトマの目には、何か、わかっているものがあった。


 ルシェンは、ファトマの目を、見返さなかった。


 ***


「防衛計画を、立案しました」とルシェンは続けた。


「一。糧食配給。ファトマさんの市民組織が、配給網を担当。週単位で、品目と量を調整。最低限の量を、全市民に行き渡らせる」


「二。水路確保。井戸を共有化。地下水脈の管理を、組織化。汚染を防ぐ」


「三。地下退避所。砲撃に対応する。市内の地下空間を、繋いで、住民が逃げ込めるようにする」


「四。医療。負傷者と病人を、中央医療所と、各地区の補助医療所に振り分ける。薬の在庫管理を、徹底する」


「五。燃料。薪と油の管理。冬に向けて、優先順位を作る」


「六。情報。市民への状況伝達を、定期化。噂を抑える」


「七、これは、まだ案ですが」とルシェンは付け加えた。「外との地下経路を、開く。シャヘルの地下水路を拡張すれば、包囲線の下を通る道が、組める可能性があります。距離は概算で三百五十メートル。一日に三メートル進めば、半年で抜けられる」


 会議室が、少し静かになった。


「半年もつのか」とリアンが聞いた。


「もたせます。もたせるための、この計画です」


 ファトマが、初めて声を出した。


「やる。市民組織で、坑夫を集める」


 ルシェンが頷いた。


「他の項目も、含めて、異論があれば、聞きます」


 異論は、出なかった。


 ***


 会議が終わって、ミラが、ルシェンに、別室で言った。


「お前は、もう、参謀ではない」


「俺は参謀でいい、と言ってきました」


「言ってきた。だが、今日のあの説明は、参謀の説明ではない。総合指揮官の説明だ」


 ルシェンは、何も言わなかった。


「形は、参謀のままでいい」とミラが言った。「だが、お前は、もう、組織の中で、別の位置にいる。お前自身が、それに気づいているかどうかは、別の話だ」


「気づいています」


「気づいているなら、それでいい」


 ***


 夜、ファトマのところに、寄った。


 ファトマが、待っていた。


「年単位、と言ったな」とファトマが言った。


「言いました」


「お前は、それを、観察と推測で、知っているのか」


「ファトマさん」


「うむ」


「俺は、知っています。観察と推測の、もう少し先で」


 ファトマは、しばらく、ルシェンを見ていた。


「お前は、いつから、知っていた」


「子供の頃から、断片的に。最近、断片が、繋がり始めました」


 ファトマは、頷いた。それ以上、聞かなかった。


「お前が知っていることを、皆に話さないのは、正しい」とファトマは言った。「話せば、お前が、別の何者かに、なる。お前は、ルシェンのままでいたい。だから、話さない。それは、正しい」


「わかってくれて、ありがとうございます」


「わかるのは、私が、似たことを、若い頃に、知っていたからだ」


 ルシェンは、少し驚いた。


「ファトマさん、何を」


「いずれ、話す」とファトマは言った。「お前と、私の、両方が、もう少し時間を経てから」


 ***


 ファトマの家を出た。


 夜の街は、静かだった。砲撃の音は、まだ来ていなかった。包囲の最初の数日は、両軍とも、配置を整える時間だった。本格的な攻撃は、これから始まる。


 ルシェンは、街を、しばらく歩いた。


 市場の方角を、見た。今夜は、市場は閉じていた。明日の朝、また開く。ファトマがそう決めた。


 ***


 自室に戻った。


 手帳を開いた。


 新しい頁に、書いた。


「包囲、完成。全周封鎖。第一段階に入る」


 日付を、書いた。


 その下に、書いた。


「数か月では終わらない。年単位だ」


 もう少し、書いた。


「前世の都市は、四年続いた。同じ構造なら、ここも、三年から四年」


 書いてから、紙を引き出しの底に入れた。


 ***


 引き出しの底には、すでに、複数の紙があった。ドラガンのページ、予測四項目のページ、市民支援の閾値のページ、そして、今夜の年単位のページ。


 引き出しが、少しずつ、重くなっていた。


 ルシェンは、引き出しを、閉めた。


 ランタンを、消した。


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