95話:包囲
包囲が、完成したのは、ある朝のことだった。
南東の抜け道が、ドワーフ軍の小隊によって、塞がれた。これで、シャヘルの全周が、エルフ軍とドワーフ軍によって、囲まれたことになる。
ルシェンは、城壁の上に立っていた。
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北の地平線に、エルフ軍の旗が見えた。
西の地平線に、ドワーフ軍の旗が見えた。
南東の方角にも、新しい旗が見えるようになっていた。ドワーフ軍の支隊の旗だった。
全周が、囲まれていた。
ルシェンは、しばらく、それらの旗を、見ていた。
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市民の反応は、最初の数日、複雑だった。
恐怖が、一番大きかった。
しかし、その下に、楽観も、混じっていた。「すぐ終わるだろう」「敵も、シャヘルを完全には封鎖できない」「二週間で和平になる」——そういう声が、街のあちこちで聞こえた。
ルシェンは、それを聞いていた。聞いていて、何も言わなかった。
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防衛会議が、地下の倉庫で開かれた。
三十人ほどが、長卓を囲んだ。ミラ、ルシェン、ベシム、リアン、各小隊長、ファトマ、市民組織の代表たち。
ルシェンが、立った。
「今後の見通しを、整理します」
地図の前に立って、説明を始めた。
「包囲戦は、段階を踏みます。第一段階は、衝撃期。最初の数週間。直接攻撃と、防御。敵が、最初の攻勢で、決着を試みる」
「第二段階は、安定期。数か月。消耗戦と、物資戦。敵は、街を完全には落とせない、と理解する。我々は、街を完全には守りきれない、と理解する。両方が、新しい現実に、合わせていく」
「第三段階は、長期化。年単位。日常としての包囲。市民の生活が、包囲を前提に組み直される」
ルシェンが、説明を区切った。
古参のリアンが、声を上げた。
「年単位はないだろう」
リアンは、笑いを混ぜようとした。だが、笑いにはならなかった。
「ある」とルシェンは答えた。
会議室が、静かになった。
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「お前、なぜそう言える」とリアンが聞いた。
「観察と推測です」
「観察と推測で、年単位、と」
「過去の似た構造の包囲は、数か月では決着しませんでした」
「過去の」
「歴史の」
ルシェンは、それ以上、説明しなかった。前世の、とは言えなかった。歴史の、と言っておけば、リアンは、それ以上、聞かないはずだった。
リアンは、しばらくルシェンを見た。
追及しなかった。
「お前が言うなら、そうなのかもしれない」とだけ言って、座った。
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ファトマが、ルシェンを見ていた。
ファトマの目には、何か、わかっているものがあった。
ルシェンは、ファトマの目を、見返さなかった。
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「防衛計画を、立案しました」とルシェンは続けた。
「一。糧食配給。ファトマさんの市民組織が、配給網を担当。週単位で、品目と量を調整。最低限の量を、全市民に行き渡らせる」
「二。水路確保。井戸を共有化。地下水脈の管理を、組織化。汚染を防ぐ」
「三。地下退避所。砲撃に対応する。市内の地下空間を、繋いで、住民が逃げ込めるようにする」
「四。医療。負傷者と病人を、中央医療所と、各地区の補助医療所に振り分ける。薬の在庫管理を、徹底する」
「五。燃料。薪と油の管理。冬に向けて、優先順位を作る」
「六。情報。市民への状況伝達を、定期化。噂を抑える」
「七、これは、まだ案ですが」とルシェンは付け加えた。「外との地下経路を、開く。シャヘルの地下水路を拡張すれば、包囲線の下を通る道が、組める可能性があります。距離は概算で三百五十メートル。一日に三メートル進めば、半年で抜けられる」
会議室が、少し静かになった。
「半年もつのか」とリアンが聞いた。
「もたせます。もたせるための、この計画です」
ファトマが、初めて声を出した。
「やる。市民組織で、坑夫を集める」
ルシェンが頷いた。
「他の項目も、含めて、異論があれば、聞きます」
異論は、出なかった。
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会議が終わって、ミラが、ルシェンに、別室で言った。
「お前は、もう、参謀ではない」
「俺は参謀でいい、と言ってきました」
「言ってきた。だが、今日のあの説明は、参謀の説明ではない。総合指揮官の説明だ」
ルシェンは、何も言わなかった。
「形は、参謀のままでいい」とミラが言った。「だが、お前は、もう、組織の中で、別の位置にいる。お前自身が、それに気づいているかどうかは、別の話だ」
「気づいています」
「気づいているなら、それでいい」
***
夜、ファトマのところに、寄った。
ファトマが、待っていた。
「年単位、と言ったな」とファトマが言った。
「言いました」
「お前は、それを、観察と推測で、知っているのか」
「ファトマさん」
「うむ」
「俺は、知っています。観察と推測の、もう少し先で」
ファトマは、しばらく、ルシェンを見ていた。
「お前は、いつから、知っていた」
「子供の頃から、断片的に。最近、断片が、繋がり始めました」
ファトマは、頷いた。それ以上、聞かなかった。
「お前が知っていることを、皆に話さないのは、正しい」とファトマは言った。「話せば、お前が、別の何者かに、なる。お前は、ルシェンのままでいたい。だから、話さない。それは、正しい」
「わかってくれて、ありがとうございます」
「わかるのは、私が、似たことを、若い頃に、知っていたからだ」
ルシェンは、少し驚いた。
「ファトマさん、何を」
「いずれ、話す」とファトマは言った。「お前と、私の、両方が、もう少し時間を経てから」
***
ファトマの家を出た。
夜の街は、静かだった。砲撃の音は、まだ来ていなかった。包囲の最初の数日は、両軍とも、配置を整える時間だった。本格的な攻撃は、これから始まる。
ルシェンは、街を、しばらく歩いた。
市場の方角を、見た。今夜は、市場は閉じていた。明日の朝、また開く。ファトマがそう決めた。
***
自室に戻った。
手帳を開いた。
新しい頁に、書いた。
「包囲、完成。全周封鎖。第一段階に入る」
日付を、書いた。
その下に、書いた。
「数か月では終わらない。年単位だ」
もう少し、書いた。
「前世の都市は、四年続いた。同じ構造なら、ここも、三年から四年」
書いてから、紙を引き出しの底に入れた。
***
引き出しの底には、すでに、複数の紙があった。ドラガンのページ、予測四項目のページ、市民支援の閾値のページ、そして、今夜の年単位のページ。
引き出しが、少しずつ、重くなっていた。
ルシェンは、引き出しを、閉めた。
ランタンを、消した。




