93話:三つ巴の戦争
包囲開始から、四日が経っていた。
エルフ軍とドワーフ軍は、まだ全周を閉じていなかった。北と西から、それぞれ別個に圧力をかけていた。シャヘルの南東は、まだ開いていた。だが、それも時間の問題だった。
ルシェンは、作戦本部の大きな地図の前に立っていた。
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地図は、新しく描かれたものだった。
縮尺を、いつもの倍にした。シャヘルだけでなく、中央盆地領全体が、一枚に収まっていた。三つの勢力の旗が、色違いの印で、置かれていた。
エルフ軍の銀の旗——シャヘルの北、北東、北西に三つ。
ドワーフ軍の金の旗——シャヘルの西、南西、北西に三つ。重なる位置もある。
パルチザンの——印を、ルシェンはまだ決めていなかった。「混成」を表す色が、見つかっていなかった。とりあえず、白い印を、シャヘルとその周辺に置いていた。
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「戦力の整理だ」とミラが言った。
ルシェンが、紙を見ながら、読み上げた。
「エルフ軍、推定二万。北部森林領から南下中。先頭部隊は四千、シャヘル北四十キロ圏。後続が、二週間で全軍揃う見込み」
「ドワーフ軍、推定一万二千。西部山岳領から東進中。先頭部隊は三千、シャヘル西四十キロ圏。同じく、二週間で全軍が揃う」
「パルチザン、約四千。シャヘル市内および周辺。守備隊と機動隊に分割中」
「シャヘル住民、約二万。うち、市民組織の動員可能人数、ファトマさんの見積もりで五千」
ミラが、地図を見ていた。
「数の上では、不利だ」
「数の上では、不利です」とルシェンは答えた。
「数以外で、補えるか」
「地形、防御陣地、補給路、住民の支援——これら全てを動員すれば、長期戦に持ち込めます」
「長期戦」
「短期では、勝てません。中期では、消耗戦になります。長期では——外部要因が変わる可能性があります」
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ミラが、ルシェンを見た。
「外部要因とは」
「連邦の外の、大国の動向です」とルシェンは答えた。「東の帝国、西の連合。中央盆地の紛争が長期化すれば、いずれ介入を検討する。介入の名目は、人道。実態は、勢力圏の確保です」
「お前、それをどこで」
「観察と推測です」
ルシェンは、はっきりとは言わなかった。前世の知識、とは言えない。観察と推測、で押し通すしかない。
ミラは、しばらく、ルシェンを見ていた。
追及しなかった。
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ルシェンは、地図に、複数の印を入れていった。
「危険地点——ここ、ここ、ここ」とシャヘル周辺の集落を指した。「混住率が高く、両軍からの圧力が強い」
「戦略的要衝——ここ、ここ。シャヘル北の橋、西の谷の出口。確保すれば、敵の進軍を遅らせられる」
「避難ルート——南東に、まだ抜け道がある。住民を、こちらから逃がせます。期間は、二週間。それを過ぎれば、南東も閉じられる可能性が高い」
「補給線——南東の抜け道と、地下の水脈。後者は、まだ調査中」
ミラは、印を順番に見た。
「お前、地図を見ながら、何を考えている」
「明日のことではありません」とルシェンは答えた。
「いつのことだ」
「半年後、一年後、二年後」
ミラは、しばらく黙っていた。
「二年後か」
「はい」
「お前、二年続くと思っているのか」
「思っています」
ミラは、黙ったまま、地図の上を、もう一度見た。
古参のリアンが、地図の前で、笑った。
「年単位はないだろう」
「ある」とルシェンは言った。
リアンが、笑いをやめた。
***
会議が終わった後、ルシェンは、地図を、一人で見ていた。
三つ巴は、いずれ、二つになる。前世のどこかで読んだ。誰かが疲弊して、誰かが連携する。それは、戦争の常だった。
誰が疲弊するか。
数の上で最も少ないパルチザンか。
数の上で最も多いエルフ軍か。
経済の点で脆弱な西部山岳領か。
いずれにせよ、最初の半年は、消耗戦になる。
ルシェンは、消耗戦の計算を、頭の中で始めた。
パルチザンの兵員、月あたりの損耗率、補給可能量、市民支援の持続可能性、医療資源、燃料、薬——いくつかの変数を、頭の中で並べた。
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計算の途中で、ある変数が、現実離れしていることに、気づいた。
市民支援の持続可能性。
住民が、武装勢力を支え続けるためには、住民自身の生活が、最低限維持されている必要がある。食料、水、医療、住居——これらが、ある閾値を下回れば、市民支援は、瓦解する。
包囲下で、これらが維持できるかどうか。
ルシェンの計算では、半年は持つ。一年で、厳しくなる。二年で、ほぼ確実に瓦解する。
二年を、超えるためには——外部要因が、変わる必要がある。
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ルシェンは、地図を、巻いた。
引き出しに、入れた。
その引き出しには、もう、複数の紙が、底に積まれていた。ドラガンの名前のページ。三年予測のページ。今夜、もう一枚——「市民支援の持続可能性、半年〜一年」と書いた紙——を、加えた。
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夜、ファトマのところに行った。
ファトマは、寝ていなかった。明日からの市民組織化の計画を、見ていた。
「ルシェン」とファトマが言った。「お前、痩せたな」
「ええ」
「食べているか」
「食べています」
ファトマがお茶を出した。ルシェンが座った。
「明日から、市場が、いつもより少なくなる」とファトマが言った。
「包囲のせいで」
「包囲のせいで。だが、市場は、開く」
「ファトマさんは、市場を続ける、ということですね」
「続ける」とファトマは言った。「私が生きている限り」
ルシェンは、お茶を飲んだ。
***
「ファトマさん」とルシェンは言った。
「うむ」
「この包囲は、長くなります」
「わかっている」
「市民の支援は、長くは続かないかもしれません。生活が、ある閾値を下回れば」
「市場が、その閾値を、守る」とファトマは言った。「市場が動いている限り、人は、希望を持つ。希望があれば、閾値の少し下でも、耐えられる」
「市場が、希望を作るのですか」
「市場が、街の地図だ」とファトマは言った。「街の地図が動いている限り、街は、生きている」
ルシェンは頷いた。
***
ファトマの家を出た。
夜の街を、歩いた。
市場の方角を見た。今夜は、市場は閉じていた。だが、明日の朝、また開く。ファトマがそう決めた。
ルシェンは、自分の頭の中で、ファトマの言葉を、繰り返した。
「街の地図が動いている限り、街は、生きている」
市場が動いていれば、住民の生活も、最低限、維持される。住民の生活が維持されれば、市民支援が瓦解しない。市民支援が瓦解しなければ、パルチザンは、戦い続けられる。
戦い続けられれば——外部要因が、変わる時間を、稼げる。
***
ルシェンは、自分の部屋に戻った。
手帳を開いた。
新しい頁に、書いた。
「市場が、街の地図」
その下に、書いた。
「ファトマさんが、生きている限り」
手帳を閉じた。
その夜、ルシェンは、内心、ひとつの言葉を、声に出さずに言った。
(これは、長くなる)
誰にも聞こえなかった。手帳の上で、文字も、もう書かなかった。




