9話:山の子供たち
秋が近づくと、裏山の栗の木が実をつけ始める。
ルシェンとドラガンは毎年この時期になると、朝の作業を終えてから裏山に登り、栗の実を採った。ボグダンの鍛冶場の消し炭で焼いた栗は、冬の保存食としても重宝するし、単純にうまい。
「この木は去年より実が多い」
ルシェンは栗の木の根元にしゃがみ込み、落ちた毬栗を棒で割っていた。毬の刺が指を刺す。慣れた痛みだ。
「あっちの斜面にもある。行くぞ」
ドラガンが先に立ち、獣道を登っていった。短い足で岩を蹴り、灌木の枝を腕で押し分ける。山ではドラガンの方が速い。ルシェンは黙ってその背中をついていった。
斜面を越えた先に、小さな平地があった。
そこに、先客がいた。
三人の子供だった。一番大きいのはルシェンと同じくらいの背丈で、残りの二人はもっと小さい。全員、肌の色が灰褐色で、下顎から小さな犬歯が覗いている。
オークだった。
ドラガンが足を止めた。ルシェンも立ち止まった。
オークの子供たちもこちらに気づいた。一番大きい少年が、拾い集めた栗を両腕に抱えたまま、ルシェンたちを見つめている。琥珀色の瞳に警戒の色があった。
しばらく無言の時間が流れた。
ルシェンが口を開いた。
「栗?」
オークの少年が一瞬きょとんとした顔をし、それからゆっくりと頷いた。
「……栗」
「この辺り、いっぱい落ちてるよな」
「ああ。南の斜面はもっとある」
それだけの会話で、空気が変わった。栗を採りに来た子供同士だ。種族が違うことは、この瞬間には問題にならなかった。
ドラガンが鼻を鳴らして腕組みを解いた。
「先にどれだけ採れるか勝負しねえか」
オークの少年が目を見開いた。
「勝負?」
「栗拾い競争だ。時間決めて、どっちが多く集められるか。ドワーフ対オーク。——あ、ルシェンはどっちにつく?」
「俺は中立」
「使えねえな」
オークの小さい二人が、大きい少年の後ろから顔を覗かせた。兄弟だろうか。丸い顔に好奇心が滲んでいる。
「いいぜ。やろう」
オークの少年が栗を地面に下ろし、不敵に笑った。犬歯が白く光る。
***
勝負は一方的だった。
オークの身体能力は、ドワーフとはまた違う方向に秀でている。長い腕、広い歩幅、斜面を駆け上がる脚力。一番大きい少年は木に登って枝を揺すり、毬栗を雨のように降らせた。下で待ち構えた二人の弟が、素手で毬栗を割り——刺が刺さらないのかとルシェンは目を疑ったが、オークの掌の皮は作業用の革手袋のように分厚かった——栗の実だけを拾い集めていく。
ドラガンは力任せに毬栗を潰し、拾い、走り、また潰し。ドワーフの馬力は凄まじいが、機動力で負けていた。腕が三人分ある相手に一人では勝てない。
「ルシェン! 手伝え!」
「中立だって言っただろ」
「この裏切り者!」
ルシェンは木の幹に背を預け、両陣営の奮闘を眺めていた。笑いが止まらなかった。ドラガンの赤毛に毬栗の刺が絡まり、オークの末っ子が転んで山を転がり、兄が慌てて追いかけていく。
結果はオーク陣営の圧勝だった。
「卑怯だ。三対一だぞ」
「数も実力のうちだ」
オークの少年が腕を組んで言い返した。ドラガンが唸り、それから噴き出した。
「お前、言うな」
「人数の問題だろう的確に」
名前を聞いた。一番大きい少年はベシムと言った。弟二人はアリムとメフメト。ドラガンが名乗り、ルシェンが名乗り、五人は栗の山を前にして地面に座り込んだ。
「お前たち、この辺の村か?」
ドラガンが訊いた。
ベシムの表情が一瞬だけ翳った。琥珀色の瞳が地面を見つめ、すぐに顔を上げた。
「最近来た。父さんと母さんと」
「どこから?」
「南部荒野領」
ルシェンはその地名に聞き覚えがあった。以前、バザールを通りかかったオークの旅人が言っていた。南部荒野領では、エルフがオークの集会を禁じた——と。
「引っ越してきたのか?」
ドラガンの問いに、ベシムは黙った。二人の弟がベシムの袖を掴んでいた。
「逃げてきた」
ベシムは静かに言った。
「エルフの兵士が——俺たちの村の集会所を壊した。オーク語で歌を歌うなと言った。父さんが抗議したら、家を焼くと脅された」
山の風が栗の木の葉を揺らした。陽光が葉の隙間から斑の影を落とし、五人の子供の上を流れていく。
ドラガンが口を開きかけ、閉じた。何を言えばいいのかわからない、という顔だった。
「父さんは言ってた。メシャラの方はまだ安全だって。エルフもドワーフもヒューマンも、一緒に暮らしてる場所があるって」
「ああ。うちの村だ」
ドラガンが頷いた。
「うちの村は大丈夫だ。俺の親父はドワーフだけど、エルフの長老ともヒューマンの農夫とも仲がいい。変なことにはならねえよ」
ベシムが微かに笑った。安堵とも諦めともつかない、淡い表情だった。
ルシェンは黙って聞いていた。
エルフの兵士が、オークの集会所を壊した。
その事実が頭の中で反響している。エルフは——ティセラの種族だ。アーリア長老の種族だ。フローラの種族だ。彼女たちと同じ尖った耳を持つ者たちが、別の場所ではオークの家を焼くと脅している。
なぜ。
なぜエルフがオークを。
ティセラに聞けばわかるかもしれない。だが、聞けなかった。聞いてしまえば、ティセラの顔に何が浮かぶのかを想像すると——聞くことが彼女を傷つけるような気がして、言葉が喉の手前で止まった。
***
日が傾き始めた頃、五人は栗を分け合った。
「また来いよ」
ドラガンがベシムの背中を叩いた。ドワーフの手加減は大雑把で、ベシムが半歩よろめいた。しかし、オークの少年は笑った。
「ああ。今度は一対一で勝負しよう」
「望むところだ」
ベシムと弟たちは、南の斜面を下っていった。三つの灰褐色の背中が灌木の間に消えるのを見送り、ドラガンが栗の袋を担ぎ上げた。
「いいやつだな、あいつ」
「ああ」
ルシェンは頷いた。
帰り道、交易路が見えてきたとき、ドラガンが言った。
「南部の話、ティセラには言うなよ」
「なんで」
「あいつ、エルフだろ。エルフが悪いみたいな話、聞かせたくねえ」
ドラガンの配慮は、ルシェンが考えていたこととまったく同じだった。
「ああ。言わない」
二人は黙って村に戻った。
栗の袋が肩に食い込んでいた。重さは変わらないはずなのに、山を登ったときより帰り道の方が、荷物がずっと重く感じた。




