64話:マルコ将軍
翌朝、炉に火を入れた。
見られる日だからといって、順序を変えなかった。炉の掃除。火口の確認。木炭の量を計る。点火。それから金属を選ぶ。いつもと同じ順序で、同じ時間をかけた。
順序を変える誘惑は、なかった。誘惑するほどの動揺が、自分の中になかった、というのが正しい。マルコ将軍が来る、と聞いて、緊張がないわけではなかった。だが、緊張は、手の動きを変えるほどの大きさではなかった。
ボグダンも、いつも通りだった。隣で、同じ順序で、同じ動作をしていた。
マルコ将軍が来たのは、ドラガンがちょうど最初の打ち作業に入ったところだった。
***
五十代の男だった。
背はドワーフの標準より一段高い。白髪混じりの短い顎鬚。動きに無駄がない。歩く速度が、見るための速度に調整されていた。早すぎず、遅すぎず。観察する者の歩き方だった。
そして——入ってきた瞬間から、何も言わなかった。
他の指揮官なら挨拶をするか、技術的な質問をするか、何かを言う。マルコは黙って工房の中を見た。炉を見た。金床を見た。床に転がっている削りカスを見た。壁に立てかけてある半製品を見た。それから、作業している者たちを順番に見た。
声でなく、目で来る。ドラガンはそれを感じた。背中に視線が触れている時間が、自分の中で計れた。
しばらくして、マルコがドラガンの横に来た。ドラガンは作業を止めなかった。止めれば、見せるための動作になる。マルコがそれを嫌うことが、なぜかわかった。
「この刃の問題は何だ」とマルコが言った。
声は、思っていたよりも低かった。喉から出る声というより、胸から出る声だった。
ドラガンは手を止めた。刃を見た。
「三つあります」と言った。「鋼の配合が甘い。熱処理の温度が低い。このままでは実戦で刃縁が欠けます」
マルコが何も言わなかった。続きを待っている沈黙だった。
「もうひとつ言えば」とドラガンは続けた。「先週から炭の質が落ちています。火力の安定が出ません。それが熱処理温度に直接影響しています」
沈黙があった。
マルコが初めて表情を動かした。何が変わったかを言葉にするのは難しかった。ただ、目の角度が変わった。観察の目から、別の目に。何かを評価する目に変わった、ということだったかもしれない。
「炭は、どこから来ている」とマルコが聞いた。
「南の麓の炭焼き場からです。三軒ある。先週から、品質が均等でなくなりました。三軒のうち、どこかで焼き方が変わったか、原料の木が変わったか——おそらくそのどちらかです」
「それを、お前が見分けたのか」
「火を見れば、わかります。燃え方が違います」
マルコは、それ以上、聞かなかった。頷くこともしなかった。だが、ドラガンの言葉を、頭の中のどこかに置いた、ということが、姿勢から伝わってきた。
***
マルコは工房の中を一周した。
ドラガンは作業に戻りながら、周辺を見ていた。
別の鍛冶師——レンコという、ドラガンより三つ年上の男——が刃の焼入れに迷っていた。温度の見極めで手が止まっている。レンコは、まだ経験が浅かった。焼入れの判断は、文字や数字では伝えられない。火の色、刃の表面の輝き、熱の波——それらを、目と肌で覚えるしかない。
ドラガンは作業を続けながら、自然に声をかけた。
「もう少し待て。まだ赤が濃い。橙が薄くなってから入れろ」
レンコが頷いた。しばらくして水に入れた。刃が上がってきた。ドラガンは見なかったが、音でわかった。水に入った瞬間の、短く鋭い音。続く、わずかな波の音。きれいな焼入れの音だった。
ドラガンが顔を上げると、マルコがこちらを見ていた。
いつから見ていたかはわからなかった。レンコに声をかけたときからかもしれない。あるいはそれより前から、ドラガンとレンコの位置関係を見ていたかもしれない。
マルコの目が、また少し動いた。今度は、何かを決めた目だった。
***
昼前、マルコが工房を出る前にドラガンを呼んだ。
二人で外に出た。山の空気が、炉の熱と混ざって、ちょうどいい温度になった。
「鍛冶場にいるには惜しい」とマルコが言った。「明日から訓練隊の前列に入れ。工房は午前のみ」
ドラガンは少し間を置いた。
「わかりました」
「異論があるなら言え」
「ありません」
間を置いたのは、異論を考えていたからではなかった。「惜しい」という言葉が、自分のどこに届いたかを、確認していた時間だった。胸の真ん中ではなく、もう少し低い場所。腹の上の辺り。そこに、何かが落ちる感覚があった。落ちるべきものが、落ちたのか。落ちてはいけないものが、落ちたのか——その判断が、まだつかなかった。
「父には、お前から伝えろ」とマルコが言った。
「わかりました」
マルコが頷いた。それ以上は言わなかった。来たときと同じように、静かに去った。
ドラガンは工房の入口に立って、マルコの背中が砦の奥に消えるのを見た。
マルコの歩き方は、来たときと、同じ速度だった。
(惜しい、という言葉が来た場所がどこか、まだうまくわからない)
褒められたのか。使われることになったのか。どちらでもあるのか。
メシャラの鍛冶場では、自分は「惜しい」と言われたことがなかった。ルシェンの方が、先に褒められた。ボグダンが「悪くない」と言うのは、いつもルシェンの作った刃に対してだった。自分の刃に対しては、「もう少し」と言われることが多かった。
ここでは違う。「惜しい」と言われた。
もう一度工房に入った。午前中の仕事は、まだ残っていた。父に伝えるのは、夕方でいい。今は、まだ、自分の中で、この言葉を、確認していたかった。




