44話:ティセラの決断
巻物を一本手に取った。しまった。
本を一冊引き出した。棚に戻した。
布袋を広げた。何も入れないまま、たたんだ。
書室の荷造りを始めたのは朝だった。止まったのは、始めてすぐだった。何を持っていくべきかが決まらないのは、どこへ行くかが決まっていないからだ。北部へ行くことは決まっている——家族がそう言っている。アーリアがいない書室を一人で守るには限界がある——それも分かっている。だが何かが、手を動かさなかった。
机の前に座り直した。膝の上に何も置かなかった。窓の外の、朝の光を見た。
***
昼前に、書状が届いた。
北部森林領評議会の紋章が押されている。アーリア・レヴィアナの字だった。師の字は小さく、几帳面だった。
「評議会の審議が長引いている。帰還の見通しが立たない。書室の管理はお前に任せる。記録を続けなさい」
それだけだった。
ティセラは紙を膝の上に置いた。師の字を指でなぞった。「お前に任せる」という一文を何度か指でなぞった。
この書室は、今日からティセラのものだ。
その意味が、ゆっくりと形を持ち始めた。師が戻らないなら、書室に残っても師はいない。書室を閉じて行くなら、この場所に積み上げてきた記録は誰が守るか。どちらを選んでも、失うものがある。
(失うものを選ぶのが、決断だ)
声が来た。誰の声かはわからなかった。
***
夕方、ルシェンが来た。
「荷造りか」と聞いた。
「途中で止まってる」
「そうか」
それだけ言って、壁に背をもたせかけて座った。ティセラを説得しようとしなかった。残ってくれとも言わなかった。行けとも言わなかった。
その無言の意味を、ティセラは理解していた。
言えないのだ。言ったら、別の何かに対して不誠実になる——残れと言えば、ティセラの安全を軽く見ることになる。行けと言えば、自分の気持ちに嘘をつくことになる。どちらも言えないから、黙って座っている。その不器用さが、ルシェンという人間の正直さだと、ティセラは思った。
二人で、しばらく黙っていた。
書室の窓から、村の屋根が見える。灯りのない家がある。先週まで灯りがあった家が、今週は暗い。
「ルシェン」
「ん」
「語り部として、一つだけ聞く」
「何を」
「私が北部に行って、この村のことを記録する者がいなくなったとして——この村で起きていることは、誰かが記録すべきだと思うか」
ルシェンが少し考えた。
「思う」
「それは、私がここに残るべきだということか」
「わからない」とルシェンは言った。「お前が安全でなければ、記録も続かない。だから、わからない」
ティセラは膝の上に視線を落とした。
それが正直な答えだと分かった。
***
夜になって、ルシェンが帰った後、ティセラは一人で書室に座っていた。
問い直した。記録すべきものは、どこにあるか。
エルフの評議会の中にもある。北部の政治的な動きも、歴史的な記録として残すべきことだ。それは確かだ。
しかし——この村にもある。
村が壊れていく過程を、内側から見ている者が、今のティセラしかいない。外から記録することはできる。だが内側から——住民として、この変化の中で息をしながら——記録できる語り部は、今ここにしかいない。
(行く。でも、記録してから行く)
決めた。
行く。北部へ行く。家族と共に行く。だが出発の前に、この村のすべてを書き残す。家々の名前。住民の顔。路地の幅。市場の台の数。スポメニックの形。壊れていく過程の、一つ一つを。
すべてを巻物に残してから、行く。
***
翌朝、ルシェンが鍛冶場に火を入れている時間に、ティセラが来た。
「お願いがある」
「何だ」
「出発の前に、この村のことを全部教えてほしい。あなたが知っていて、私が知らないことを」
ルシェンが手を止めた。
「炉の温度でも、石畳の割れ目でも——鍛冶場から見えるものでも。語り部として、あなたから聞いておきたい。あなたはこの村の記録の、一部だから」
ルシェンは炉の火を見た。少し間を置いた。
「わかった」と言った。「何から話せばいい」




