39話:忠誠の踏み絵
書類が届いたのは、村役場からの回覧だった。
戸ごとに一枚ずつ。ルシェンの住む鍛冶場にも届いた。白い紙。印刷された文字。各自治領行政機構の連名で、村の全住民に記入と提出を求める——「種族登録証申請書」。
項目はシンプルだった。
名前。年齢。種族(該当するものに丸をつける)。居住自治領。帰属自治領。職業。
以上だった。
ルシェンは書類をしばらく眺めた。「帰属自治領」という項目が目に引っかかった。居住は今の住まいの場所だ。だが帰属は、出身に基づく行政区画を指す。
ルシェンはペンを持った。書いた。
名前。年齢。種族:ヒューマン。居住自治領:メシャラ村(中央盆地領管轄)。帰属自治領:中央盆地領(暫定帝都政府)。職業:鍛冶職人。
書き終えて、書類を見た。
エルフ語が話せることは、どこにも書かれていなかった。ドワーフの師匠のもとで鍛冶を学んだことも。異なる種族の隣人と十六年を過ごしてきたことも。書く欄がなかった。
(ヒューマン。ただヒューマンだ)
それ以外は、欄外だった。
***
ドラガンとティセラと三人で提出に行くことにした。
途中で落ち合い、三人で村役場に向かう。いつもの道だ。鍛冶場から広場を抜けて、役場の建物に入る。いつもなら何でもない道が、今日は少し重かった。
役場の中に、三つの窓口があった。
以前は一つだった。
今は三つあり、それぞれの上に紙が貼ってある。「エルフ系住民」。「ドワーフ系住民」。「ヒューマン系・その他住民」。
ルシェンは「その他」という文字に一瞬、目が止まった。オーク系はその他に入るらしかった。
三人が並んで立った。
「俺はあっちだ」とドラガンが右の窓口を指した。
「私はあっち」とティセラが左を指した。
「じゃあ俺は真ん中だ」
三人が、それぞれの窓口に向かった。
ルシェンが書類を出して、担当者に受け取られる間、横を見た。ドラガンが右の窓口で書類を出していた。ティセラが左の窓口で書類を出していた。
同じ村の住民が、三つの別々の行政機構の管理下に入った。
それだけのことだった。たった、それだけのことだった。
***
帰り道、ルシェンは少しの間、自分が何者であるかを考えた。
考えようとした。
ヒューマンだ。それは間違いない。だが——それだけではないはずだ。エルフの市場で顔を覚えてもらっている。ドワーフの鍛冶場で修行した。オークの友人がいる。村の複数の言葉を話す。複数の種族の祭りに参加してきた。
そのすべてが、書類の上では「ヒューマン」という一語に収まった。
「何者でもある」ことが、書類の上では「何者でもない」に変換された感覚がある。エルフでもなく、ドワーフでもなく、ただヒューマンだという事実だけが残った。
ルシェンはドラガンとティセラの横顔を見た。二人は何も言っていない。
三人は別々の行政機構に登録されたが、今は同じ道を並んで歩いていた。
それで十分だ、と思おうとした。
***
翌日、ベシムが鍛冶場に来た。
ベシムの顔に、いつものような軽さがなかった。
「書類のことで、聞いてもいいか」
「ああ、何が」
「うちの家族も登録しようとしたんだ。でも——オーク系の登録先が、どこにもない」
ルシェンは手を止めた。
「南部荒野領は今、エルフ系の行政機構しかないそうだ。オークを管轄する自治領の機構が、正式には存在しない。書類を出しに行ったら、受け取り先がないと言われた」
ルシェンは「その他」という文字を思い出した。「その他」の窓口。
「役場の「その他」の窓口には」
「それは経由窓口だ。帰属先の自治領機構がないと、書類自体が完成しない。うちの書類は宙に浮いたまま、受け取り先がない」
ベシムが小さく笑った。笑い方が、笑い方ではなかった。
「存在しているのに、書類の上では存在しないことになる。奇妙な話だろ」
ルシェンは何も言えなかった。
ベシムが帰っていった。ルシェンは炉に向かった。火が揺れた。




