33話:空の玉座
使者が増えて三日目の朝、ルシェンは情報の霧という言葉を理解した。
交易路を行き交う馬の数は、皇帝崩御の翌朝よりさらに増えていた。北から南へ、南から北へ。紋章を帯びた騎手たちが村を通過していく。停まる者はほとんどない。停まったとしても、もたらされる話は断片的で、聞く者によって形が変わった。
ファトマの宿に集まった村の男たちの話を、ルシェンはカウンター越しに聞いた。
「連邦議会が後継者を選ぶそうだ」
「いや、各自治領が推薦を出して投票になる。そういう話だ」
「ノームが議会をボイコットしたと聞いた」
「ボイコットしたのはドワーフの方だろう」
「どちらも聞いた」
誰も確かなことを知らなかった。急使が持ち込む文書はそれぞれの自治領の立場で書かれていて、同じ事実が別の文書では別の名前で呼ばれていた。村は情報の真ん中にいながら、何も知らない場所だった。
***
旗が立ったのは、崩御から四日目だった。
朝、鍛冶場に向かうルシェンが広場を通ったとき、連邦旗の横に二本の旗が立っていた。
一本は緑と白。樹の紋章。
一本は金と黒。金槌の紋章。
ルシェンは足を止めた。連邦の旗は前からあった。だがその隣に、こういう形でこういう旗が立てられているのを、この村で見たことがなかった。
広場にはすでに数人がいた。旗を見ている。無言で見ている。誰かが何か言うわけでも、指差すわけでもない。ただ、見ている。
(誰が立てた)
答えは来なかった。
***
鍛冶場でボグダンに聞いた。
「師匠。広場の旗は、何ですか」
ボグダンが手を止めた。少し間を置いた。
「自治領の旗だ。どこにでもあるものだ」
「これまでは、村にはなかったと思いますが」
ボグダンはルシェンを見た。その顔が、答えを持っていないわけではない顔だった。答えを出すかどうかを考えている顔だった。
「以前もあった」とボグダンは言った。「ただ、仕舞ってあっただけだ」
それだけ言って、炉に向かった。
ルシェンは師匠の背中を見た。仕舞ってあった。それがいつから仕舞われていて、なぜ今日、出てきたのか——その問いは飲み込んだ。
***
昼過ぎ、ファトマが広場に出てきた。
白い頭巾、杖、曲がった背中。ファトマは広場の中央に立ち、三本の旗を見た。連邦旗。エルフの旗。ドワーフの旗。
ルシェンが荷物を担ぎながら傍を通った。ファトマが気づいて、声をかけてきた。
「ルシェン」
「はい」
「あの旗が見えるか」
「見えます」
ファトマがもう一度、旗を見た。風が吹いて三本の旗が揺れた。それぞれ揺れた。
「交易路には旗がいらない」とファトマは言った。「道に必要なのは、旗じゃない」
ルシェンは何と返すべきかわからなかった。ファトマは答えを待っていなかった。杖をついてゆっくりと広場を離れた。
***
夜になった。
月が出ていた。広場の旗が月光の中に浮かびあがっている。三本が並んで立っている。
風が吹いた。
三本が揺れた。だがそれぞれ、揺れ方が違った。連邦旗は大きく揺れた。エルフの旗は細かく揺れた。ドワーフの旗は重く揺れた。旗竿の太さが違う。布の重さが違う。風の受け方が違う。
同じ風の中で、それぞれが別の揺れ方をしていた。
ルシェンはその場に少し立っていた。
そこにドラガンが来た。
ドラガンも旗を見た。しばらく、二人で黙って見ていた。
「ドワーフの旗を立てたのは、俺の父さんじゃない」とドラガンが言った。静かに。威勢のいい声でも、腹を立てた声でもなかった。「でも、誰かが立てた。そしてそれが、自然に見える時代になったんだ」
ルシェンは答えなかった。
ドラガンが踵を返して帰っていく。ルシェンは旗を見続けた。
三本の旗が、それぞれの速さで揺れていた。




