31話:銀の髪飾り
ボグダンが鍛冶場を空けることは、ほとんどない。
だから昼前に「西部同盟の件で村長の家に行く」と言って出ていったとき、鍛冶場にルシェン一人が残された。ドラガンは朝から叔父の見送りで家にいる。いつもは誰かがいる鍛冶場が、珍しく静かだった。
炉の火が安定している。金床が光を受けている。工具が壁に並んでいる。
ルシェンは棚の奥を確認した。師匠の残り銀があった。細い棒状の純銀が三本。合金ではない、加工用の純銀だ。ボグダンが仕上げ飾りの細工に使うもの。少し失敬しても怒らないだろう——そうは思うが、確信はない。
(まあいい)
棒銀を一本取り出した。
***
銀の融点は鉄より低い。炉の温度を慎重に落とし、銀に合わせた火加減にする。これはボグダンから習った。低温過ぎると固まりが残り、高温すぎると流れすぎる。見極めは色だ。橙色が薄くなり、白みがかった光沢が出始めたとき——そこが打ち頃だ。
一度目の試み。
形を作ろうとして、叩きすぎた。薄くしようとした部分が割れた。使えない。
二度目。
温度が高かった。打ったところから端が丸まりすぎた。厚みが均一にならない。
三度目。
今度は形はよかった。だが磨く段階で、内側に細かい傷が残っているのがわかった。これでは渡せない。
ルシェンは鍛冶場の床に座り込んだ。三度失敗している間に、かなりの銀を消費してしまった。残りは一本分だけだ。
(もう一回だけ)
炉の前に戻った。火加減を整え直した。今度は急がなかった。師匠が言ったとおり——じっくりと、均一に。銀が正しい温度になるまで待った。待つことが一番難しかった。
炉から出した。金床に置いた。打った。今度は力ではなく、均一さを意識した。一打ごとに確認する。薄くなっていく。形が見えてくる。小さな弧の形。髪に差し込む柄の部分。
磨いた。
完璧ではない。均一さに微妙なムラがある。プロが見れば笑うだろう。だが、ルシェンには——これが正直なところだった。三度失敗して、四度目でやっと出てきた形。それが誠実さだと、なぜか思えた。
***
古い樹の下で、ティセラを呼び止めた。
語り部の稽古からの帰り道、ティセラが交易路を歩いてくるのを知っていた。村の丘の方から降りてくるときにいつも通る道だ。樹の下で待っていた。
「ちょっといいか」
「何?」
ルシェンは懐から布を取り出した。小さく折りたたんだ布。それをティセラの前に差し出した。
ティセラが受け取り、開いた。
銀の髪飾りが手のひらに載った。小さかった。村の市場で売っているものより、ずっと素朴な形だった。弧が少し歪んでいるのは、ルシェンでも気づいた。
「ルシェンが作ったの?」
「……下手だろうけど」
ティセラが手のひらの上の飾りを見た。少しの間、黙っていた。ルシェンは何も言えなかった。言葉が要るのか要らないのかもわからないまま、ただ立っていた。
ティセラが飾りを髪に差した。翠の瞳が細くなった。
これまで何度か見たことがあるティセラの顔——語り部として口承を語るときの凛とした顔でも、口論のときの静かな怒りの顔でも、記録しているときの無表情でも、なかった。それとは全く違う、ずっと柔らかい、ずっと小さな顔が、そこにあった。
「覚えている」
ティセラが呟いた。
「この感触も」
ルシェンは何か言おうとした。言葉が出てこなかった。出てこないまま、二人でしばらく黙っていた。古い樹の葉が風に揺れた。木漏れ日が二人の足元を動いた。その沈黙は——居心地が悪くなかった。
何も言わなくていい、という気がした。言葉にすると、何かが変わる気がした。変えたくなかった。
***
気配を感じたのは、しばらく後だった。
ルシェンが樹の幹に背中を預けながら、なんとなく交易路の方を見た。
ドラガンが立っていた。
少し離れた場所。路上の石畳の上に、どっしりとした体が立っている。手に荷物を持っていた。ティセラが昨日アーリアの書室に忘れてきた巻物だ——ドラガンがそれを届けに来るつもりだったのかもしれない。
ドラガンはこちらを見ていた。
一歩踏み出しかけて——止まっていた。ティセラの顔が見えた瞬間に、止まったのだ。ルシェンにはそれがわかった。
ドラガンの右手が、腰の工具袋の中の何かを握った。父の形見の小さな金槌の柄——腰に提げているあれだ。鍛冶作業のときだけでなく、考え込んでいるときや緊張しているときにドラガンが掴む癖がある。
ルシェンが「ドラガン」と声をかけようとした。
一瞬早く、ドラガンが踵を返した。
音もなく。振り返りもせず。荷物を持ったまま、交易路を向こうに歩いていく。背中が石畳の向こうに小さくなって、角を曲がって、消えた。
ティセラは気づいていなかった。風に揺れる樹の葉を見上げていた。
***
三人で並んで帰ったのは、それから半刻後だった。
ドラガンを呼びに行ったのはルシェンだ。家の前で会ったドラガンに「一緒に帰ろう」と言うと、「ああ」と答えた。表情は普通だった。
三人で村の道を歩いた。いつもと同じだった。ドラガンが冗談を言い、ティセラが呆れた顔をして、ルシェンが笑った。ドラガンがルシェンの頭をはたき、ルシェンが「痛い」と言い、ティセラが「二人ともうるさい」と言った。
何も変わっていないようだった。
だが——ルシェンには、ドラガンの笑い声の中に、かすかな何かがあるように聞こえた。笑っているのに、その笑いの底の方が、少し空虚な。ちょうど割れた壁に漆喰を塗ったような——外側は滑らかで、叩けば響く。
気のせいかもしれない。気のせいであってほしかった。
***
夜、ルシェンが広場を横切ったとき、旗を見た。
広場の中央に立てられた連邦旗。皇帝の紋章が入った旗。何年もここに立っている旗。
傾いていた。
わずかに。旗竿ごと、地面から、ほんのわずかに。風で傾いたにしては、方向が一定だ。誰かが押したのか。それとも、地面が動いたのか。
旗は翌朝も傾いたままだった。




