30話:師匠の教え
炉に火が入ってから、ボグダンがそう言った。
「今日は二人に教えることがある」
自分から「教える」と言うことは滅多にない。技術の伝達は、たいてい無言で行われる。師匠がやって見せ、弟子が真似て、間違ったら顎をしゃくる。それがボグダンの流儀だった。
ドラガンはルシェンと顔を見合わせた。
炉の温度が上がりきったところで、ボグダンが素材を持ち出した。鉄の板が二枚。厚さが違う。片方は炭素を多く含む鋼、もう片方は柔らかい鍛鉄だ。
「折り返し鍛接だ」
ボグダンが二枚の板を炉に入れた。加熱する。温度が上がるにつれ、鉄が赤から橙に、橙から白に近づいていく。ボグダンはその色を見ている。火加減ではなく、鉄の色を見ている。
「炉から出す。二人は絶対に手を出すな。見ていろ」
白熱した二枚の板が炉から出た。ボグダンが素早く重ね合わせる。砂鉄を撒いて不純物の燃焼を促す。それを金床に置き、大槌を振り下ろした。一打。二打。三打。火花が散る。鉄の板が一枚になり始める。
「温度が落ちる前に打ちきる。再び炉へ」
作業が繰り返された。加熱、重ね、打つ。加熱、重ね、打つ。回を重ねるごとに、二枚の板はより密に結合していく。鋼の硬さと鍛鉄の粘りが、層になって組み合わさっていく。
ドラガンは黙って見ていた。父の動きを。金槌の角度を。温度の判断を。
***
「やってみろ。ドラガン」
次の加熱が終わったとき、ボグダンがドラガンに金槌を渡した。
ドラガンは受け取った。白熱した鉄を金床に置き、振り下ろした。力はある。ドワーフの腕力だ。だが二打目に入ったところで、ボグダンが手を上げた。
「止まれ」
「何がおかしかった」
「力が強すぎる。見ろ」
ボグダンが結合部を指した。端の方に細かい亀裂が入っていた。
「叩くことで不純物は押し出される。鉄の中に残っていた混じりものが、外に出ていく。だが——」
ボグダンが再加熱のために炉に戻しながら、言葉を続けた。
「叩きすぎれば折れる。強く当てれば当てるほど、結晶の構造が砕ける。硬くなるが、脆くなる」
ドラガンは金槌を持ったまま、父を見た。
「どうすれば折れないんですか」
ルシェンが聞いた。ドラガンが聞こうとしていた言葉を、先に口にした。
ボグダンは炉の前でしばらく鉄の色を見ていた。長い沈黙だった。炎の音だけが鍛冶場を満たした。
「叩く前に、温めることだ」
ボグダンがようやく言った。
「急に力を加えれば割れる。じっくりと、均一に、芯から温める。それから少しずつ叩く。急がず、焦らず、温めてから形を作る」
ドラガンは父の言葉を聞いていた。鍛冶の話だ。金属の話だ。だが——なぜか、それだけの話に聞こえなかった。
「金属は叩けば硬くなるが、叩きすぎれば折れる。人も国も同じだ」
ボグダンが最後に言った。そしてそれ以上は何も言わなかった。
***
ミロシュ叔父が来たのは夕方だった。
ドラガンの父の弟。西部山岳領に暮らしているミロシュは、ボグダンより背が低く、肩幅が広く、声が大きい。赤毛を短く刈り込んでいるのは同じだが、笑う回数が父の十倍はある。
「久しぶりだなドラガン! 大きくなったな! 父さんそっくりだ!」
握手ではなく、背中を叩いた。ドラガンがよろめくほどの力で。
夕食の卓を囲んだ。ボグダンは普段より多く話した。兄弟が揃うと、ボグダンも口が動くらしい。西部の近況、共通の知人の消息、故郷の山の今年の初雪。話題は穏やかだった。
食事が終わり、母が片付けに立った後。
ミロシュが身を乗り出した。
「ドラガン。お前は今、何を考えている? 将来のことだ」
ドラガンは湯気の立つ薬草茶を両手で持っていた。
「鍛冶を続けようと思ってます。親父に習っている」
「それだけか?」
「……それだけ、と言いますと」
「皇帝が倒れた。知っているな。連邦は変わる。お前はメシャラ村にいるつもりか。このまま、エルフとヒューマンの間に挟まって、ドワーフの鍛冶師の息子として生きていくつもりか」
ボグダンが茶碗を置いた。音がした。小さい音だったが、卓の空気が変わった。
「ミロシュ」
「兄さん、俺はドラガンに聞いている」
ミロシュがドラガンから目を離さない。その目は明るかった。責めているのではない。信じているという目だ。だからこそ、ドラガンは答えにくかった。
「ドワーフが自分たちの手で自分たちの国を作る。その話は聞いているだろう。西部でそれは現実になりつつある。技術がある。資源がある。意志がある。あとは——担う者が必要だ。お前のような、腕のある若者が必要なんだ」
ドラガンは茶碗を置いた。
ミロシュの言葉は筋が通っていた。ドワーフの技術はこの連邦の基盤を支えてきた。鉱山、鍛冶、建築。それがドワーフの誇りだ。その誇りで自分たちの国を作る——悪い話ではなかった。
だが、今日の朝に父が言った言葉が重なった。
叩きすぎれば折れる。人も国も同じだ。
どちらも父から出た言葉だ。どちらも本当のことを言っているはずだ。なのに、二つは全く違う方向を指している。
ドラガンは答えなかった。ミロシュは急かさなかった。ボグダンは何も言わなかった。
三人の間で、薬草茶の湯気だけが揺れていた。
***
翌朝、ドラガンはルシェンに聞いた。
鍛冶場の入り口で、炉に火を入れる前。
「お前、将来どこで何をしたいと思う。本当のところ」
ルシェンが振り返った。
「本当のところ、か」
「ああ。嘘なしで」
ルシェンは少し考えた。
「この村のことを考えるのが精一杯だ。将来なんて——今を乗り越えてから考えようと思ってる」
「そうか」
ドラガンがため息をついた。何かを期待していた声だった。どんな答えを期待していたのか、ルシェンには見当がつかなかった。ドラガンも、自分が何を期待していたのかわかっていないのかもしれなかった。
炉に火が入った。鍛冶場の朝が始まった。
ミロシュが村を出る前夜、ドラガンと父の声が居間から漏れてきた。声は低く、長く続いた。言葉は聞こえなかった。
翌朝、ドラガンの目が赤かった。




