第二十九話 軍靴の音が聞こえる街
「どうも、警視庁の駒形です」
俺は警察手帳のバッジを見せると、その意味を解さない四反田の市民は首を捻る。
刑事が市民に捜査協力を呼びかけるとき、記章と身分証の提示が規定されているものの、異世界では習慣づいた様式美でしかない。
「自分は、この男を探しております。名前は富田寅吉、日本から逃げてきた勇者を騙る不届き者であります」
駱駝色のトレンチコートコートの胸元から、小松組の若頭補佐で、新宿区河田町のキャバクラで撃ち殺された寅吉の写真を取り出す。
俺から写真を受取った市民は、みな写真そのものが珍しいのか、日透かしたり裏から見たり、よく描けた人相書にしか興味を示さない。
霞ヶ関の警視庁ビル地下射撃場から異世界エチカに転生して一ヶ月が過ぎても、俺は俺以外の転生者を見つけられずにいる。
「駒形さ……警部、寅吉一家の手がかりは見つかりましたか」
「いや、全く手がかりなしです。ミューゼさんは、お買い物ですかな?」
「はい。大きな戦いが始まるそうなので、今のうちに色々と備蓄しようと思っています」
ミューゼは、俺が世話になっている四反田の街で下宿屋を営むハイネ夫人の一人娘、歳は十六歳、騎士団に所属していた父親は、壁外の都市奪還作戦に参加して殉職したそうだ。
母娘は亡くなった父親の恩給だけでは生活が苦しく、俺みたいな得体の知れない転生者に部屋を貸している。
ハイネ夫人が一回り年下であれば、俺も事件捜査に明け暮れず人並みの生活だったら、彼女のような娘がいたかもしれない。
彼女たち母娘と同じ屋根の下で暮らしていると、そういうことを考えるときもある。
「では自分も、荷物運びを手伝います」
「え、でも駒形警部は、逃亡犯の捜査があるんでしょう? 警部さんに荷物持ちなんてさせたら、お母さんに叱られてしまうわ」
「何処に転生したのかわからない寅吉たちを探すのは、砂漠で砂金を探すようなものです。それに聞き込みならば、買い物を手伝いながらでも出来ます」
「そうですか? ではお言葉に甘えますね」
俺はメモ用紙を見ながら歩くミューゼを小走りに追いかけて、それを横目で覗くと、いつもの食料品のほか缶詰、ローソク、燃料油、医薬品などが書かれていた。
まるで防災の備えみたいだ。
彼女は『近々、大きな戦いが始まる』と言っていたが、四反田の街が戦場になるのだろうか。
そう思って周囲を見渡せば、板が打ち付けられた窓に、やたら急ぎ足で行き交う人々、街角には鉄鎧を着た騎士団の連中が立っている。
「騎士団は、この街で戦争でもおっ始める気ですか?」
「いいえ。大きな声では言えないのですが、品河、王崎、四反田に集まった騎士団六個師団が、神奈山領のノコハマ奪還のために壁外に出て都市奪還作戦を開始するんです」
「都市奪還作戦と言えば、ミューゼさんがお父さんを亡くした作戦ですな」
「ええ。騎士団は兵力が整う度に、王都に近い南側から魔王軍に戦争仕掛けます。そうすることでノコハマ奪還が出来なくても、最後の砦南側のモンスターをけん制できるのです」
「なるほど」
度重なる敗戦を経験した四反田の市民は、騎士団を送り出す前から魔王軍に勝てないと諦めている。
街の備えを見れば、敗走する騎士団を追いかけて、モンスターが街中に侵入してくるのを覚悟している嫌いもあった。
開戦前夜の街とは、こんなにも暗く沈んだものなのか。
「駒形警部さんが探している寅吉たちは、この世界で勇者一行を騙っている詐欺師なのよね?」
「ああ……いや、寅吉は詐欺をするような半端者じゃない。自分は、寅吉が暴走族の頭だった頃から知っているが、口先だけでつっぱる男じゃなかったよ」
「でも『勇者を騙っている』と、警部さんは聞いて回っているわ」
「そうだな。寅吉をエチカに逃亡させたナキコが、寅吉が魔王を倒す勇者だと言っている。奴が少女の戯言を真に受けていれば、こちらで勇者を名乗っているだろう」
ミューゼは立ち止まると、目を大きくして俺を見ている。
俺は今、何かおかしなことを言っただろうか。
「え、それって警部さん。寅吉がエチカに勇者として召喚されたのなら、偽物じゃなくて本物の勇者なんじゃないの? 王塚の街が一年前に陥落したとき、事態を重く見た国王様が、異世界渡りを所持する召喚術師の少女を起用して『異世界から勇者を召喚する』と、確か新聞で読んだわ」
「なんだと……いや、ヤクザの寅吉が本物の勇者なはずがない」
そうだ。
俺は写真を見せて偽勇者の情報を集めていたが、この世界の市民が寅吉を本物の勇者だと信じていたら、俺の質問に答えられる人間はいない。
「お父さんの戦友が昨夜、王塚の街で二百体のモンスターと二人で戦った勇者クレイジータイガーの話を聞かせてくれたわ。勇者クレイジータイガーが都市奪還作戦に参加してくれたら、お父さんも死なずに済んだだろうって」
「勇者クレイジータイガー……それが異世界での富田寅吉の呼び名だと言うのか? そいつの人相は?」
「騎士団の戦友も、音輪に駐屯している同僚に噂を聞いただけで、勇者の人相までは知らないと思うわ」
王塚と言えば四反田の反対側だが、都心を抜ければ徒歩で一日あれば到着できるはずだ。
いや、中心街の移動は街境毎に厳しい検問があり、騎士団や冒険者ではない俺の移動には何日もかかる。
ここが日本ならは警察の捜査権限で、街中を自由に移動できるのに口惜しい。
「そうだ! ミューゼさんにお願いがあるのですが、お父さんの戦友とやらを紹介して頂けませんか」
「ええ、紹介だけなら構いませんが……どうかしたのですか?」
「国王が寅吉を召喚したと言うのならば、奴を追ってきた自分の話にも耳を貸すかもしれんでしよう」
「誰がです?」
「もちろん、国王陛下であります!」
「ええーっ、駒形警部は、国王様にお会いするつもりですか!?」
ミューゼが驚くのも無理はない。
異世界からきた定職も持たない転生者が、いきなり国のトップに直談判しようと言うのだ。
警視庁組織犯罪対策部の警部という肩書きは、異世界エチカでは何の役にも立たない。
それでも国王が寅吉の素行の悪さを知れば、奴を追いかける俺を転ばぬ先の杖、事故が起きたときの保険として雇い入れるかもしれない。
「もしも自分が寅吉を追って旅することになったら、猫のミーくんを世話してやってもらえますか?」
俺が異世界エチカに転生したとき、その場で拾った茶トラの猫は、警視庁の警視総監室で紹介された婆さんが、転生の術式で実験台にした猫らしい。
天涯孤独だった俺が、住み慣れた下宿屋を出て寅吉を追うことに躊躇いがあるとすれば、ミーくんと名付けた猫と、ミューゼ母娘と別れなくてはいけないことだ。




