第二十八話 ちょっと回想、ギルバートの生い立ち
今から遡ること十五年前、私ギルバートが十三歳のときだ。
魔王軍の我が国への侵攻は、私が生まれ育った『北の大地』と呼ばれる北山道領から始まる。
なんの前触れもなく現れたモンスターは、領主だった父親の領土に土足で踏み入った。
それは王塚に攻め入ったときと同様に、木の魔物ドアイアドを引き連れたオークとゴブリン、背後には霧に霞んだ巨大なトロールや、空を飛ぶハルピュイアもいたように覚えている。
魔王軍は城下街の北から人々を蹂躙すると、ドライアドを使って魔物の森を広げており、それまで領土をめぐる他国との戦争もなく、ましてモンスターの襲撃など想定していなかった領兵は、統率の取れた魔王軍の猛攻に二日と持たずに壊滅した。
長年に渡る平和な時代、その終焉はかくもあっけなく訪れる。
煉瓦造りの我が家には、モンスターの襲撃を逃れた街の人々が逃げ込んでおり、領主だった父親は数名の仲間とともに剣を手にして、屋敷の正面から侵入を試みるモンスターと戦っていた。
「ギルバート、裏口から街の人たちを連れて本土に向かいなさい」
「お父様がモンスターと戦っているとき、嫡男の私が屋敷を離れるわけにはいきません。街の方々を連れて逃げるのであれば、お母様が先導してください」
「よく聞きなさい。貴方さえ生きていれば、いつか街を取り戻せるかもしれないわ。その大役は、母では叶いません」
「ではお父様とお母様も一緒に本土まで撤退して、中央で再起の機会を待ちましょう」
母親は聞き分けのない私の頬に手を当てると、恥は若者にとって名誉なことだが、老人にとっては屈辱だと諭した。
それは幼少の私にとっても屈辱に思えたものの、天窓から屋敷に飛び込んできたハルピュイアの鋭い爪に倒れた母親を見て、即断を迫られる。
「ギルバート……逃げなさい」
「お母様!」
母親を掴んだハルピュイアが羽ばたいて、突き破った天窓から飛び出した間隙を縫った私は、屋敷に逃げてきた領民を連れて本土に渡った。
いつか当家が領主を務めた北山道領を取り戻すと心に誓って、騎士団への入団を志したのだった。
※ ※ ※
今から遡ること十一年前、私ギルバートが十七歳のときだ。
その頃には東西から国を制圧していた魔王軍は、東は茨城領、西は愛智領まで侵攻しており、国王は騎士団を最終防衛ラインである王都まで下げることを決めた。
抗う村や街を無慈悲に襲う魔王軍だが、魔王に忠誠を誓い、国を裏切った領主や自治体を支配下に置いて人間たちの生活を保証する。
こうして抵抗なくして自ら魔王の軍門に下る者が、世界中で加速度的に増えると、尊厳を持ってモンスターと戦う者と、魔王の支配地でモンスターの顔色を伺う者に人間が二分された。
「オークを単騎で狩るなんて、ギルバートの剣技は大したものだ。お前なら、すぐに青銅クラスの騎士になれるだろう」
「ありがとうございます!」
騎士団に入隊して間もなく、私は鉄の鎧を纏った将来を嘱望される新人だったのである。
しかし騎士団は年功序列を重んじており、どんなに剣技に長けていても十代の私が銅の鎧を着る十人長になるには、五年の月日を待たされた。
十人長となった私は二十二歳、満を持して故郷である北山道領を取り戻すために、所属する部隊の隊長を部屋を訪ねて、最後の砦から北東方面に反攻作戦を進言した。
一朝一夕に故郷を奪還できるとは思わなかったが、それでも国内最強の騎士団が反攻の意思を見せれば、魔王の支配地に点在する人間の集落も、こちら側に戻ってくれるかもしれない。
まずはモンスターに怯える人々に、騎士団の本気を見せる。
「ギルバートくん、故郷奪還に逸る気持ちはわかるが、北山道領は最北の土地だよ。物事には順序というものがあり、まずは部隊を預かる白銀の隊長に昇進したまえ」
「オークの討伐数は五十体を超えており、私の戦績を正しく評価してもらえば隊長の資格があると存じます。私に部隊を預けていただければ、各地に点在する人間の集落を取り戻して――」
「ギルバートくんが突出した剣技の持ち主だと自負するならば、騎士団を脱退して冒険者になれば良いのだ」
「バカな……私が一人で立ち上がったところで、民衆が決起して魔王軍に立ち向かうと思えません」
最高の装備と人材を有した騎士団だったが、その役目は王都の守護であり、魔王軍と戦って奪われた領土を取り戻すことに消極的だった。
そして私が騎士団で主席の剣士だとしても、私が掲げる旗の下に民衆は決起するはずがない。
「出過ぎたことを言ったようです……それでは失礼します」
「待て、ギルバートくん」
「なんでしょうか?」
部屋を出ていく私を呼び止めた隊長は、椅子に深く腰掛けて白銀に輝くブーツを差し出しだ。
「私に詫びるならば、土下座して靴に忠誠を誓え」
「靴に口づけしろと言うのか?」
「ギルバートくんの本気を見せろ。騎士団で成り上がるならば汚泥にまみれて、恥辱に堪え忍ぶことを学ぶべきだ。これはギルバートくんが、騎士団の隊長に相応しい人物なのかテストだよ」
「くっ……そのような真似ができようか」
「ギルバートくん、騎士団の基本戦術は数の暴力にある。個人の名誉を優先するような者に、騎士団の兵力を動かす白銀の鎧を預けると思うかね」
私は言われるがまま床に跪くと、隊長の差し出したブーツのつま先に唇を寄せた。
隊長の言った『騎士団の基本戦術は数の暴力にある』は、それ即ち組織力の行使に他ならない。
私は、その日を境に上司や部下のご機嫌取りに終始した。
言われるがまま靴も舐めれば、汚れ仕事にも手を染めた。
性格は卑屈に荒んでいったが、その代わり騎士団に入団して十年目、私は二十八歳という最年少で隊長となり、騎士団の意思決定最高機関十三席の一角を担うまで上り詰めた。
その最初の任務が、王塚の防衛作戦だった。
「ギルバート隊長っ、王塚の街はドライアドの聖域に侵されています! このままではっ、魔王軍に内地の音輪が落とされるのも時間の問題かと!」
私の眼前には、北山道領の城下を魔物の森と化したドライアドを引き連れたオークの族長ビッグピーがいた。
当時はわからなかったが、私から故郷を奪ったモンスターを率いていたのは、体躯が通常の二倍、身の丈の二倍以上ある戦闘斧を背負った族長ビッグピーだった。
逃げることを恥辱と拒んで、母親の死を目の当たりにした悪夢が脳裏を過る。
「我が騎士団は音輪まで戦線を下げて、魔術防壁を展開しろ。逃げてくる市民は池梟に誘導して、物理防壁の建設を急がせるんだ」
「ギルバート隊長、王塚を見捨てるんですか!?」
「戦力の手薄な音輪が落ちれば、王都までモンスターに攻め入られるんだぞ」
「しかし抵抗せずに最後の砦が魔王軍の手に落ちればッ、我々の部隊が笑い者になります!」
「迷うなッ、王塚の街は私が必ず取り返す! 私の判断を笑いたい者にはッ、いくらでも笑わせておけば良い!」
私の母親は言った。
恥は若者にとって名誉なことだが、老人にとっては屈辱だ。
この恥辱は、必ずや取り返す。
そして、そのチャンスが目の前にある。
土下座王ギルバートの野心は、勇者一行とともに王塚……いや、この国を魔王軍から取り返すことなのだ。




