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その15

跳ね起きた。


私に、こんな体力が残っていたのか。

アン・トレールは、自分で自分に驚いていた。

ロウが、戻った。

何をしに行き、何をして帰ってきたのか。

いやだ。

いやだ。

考えたくない。

しかし、考えたくないと思えば思うほど、

「その」考えは頭の中から離れなくなっていく。

そして、その時は来る。


「おお、ロウよ! よくぞ戻った!」


王が勇者を迎える。

そこだけ切り取ってみれば、古き良き英雄譚の一場面にも見える。

しかしそこに、勇者を迎えるはずの姫はいなかった。

ロウは自らを迎える人々をぐるりと見回すと、王に問う。


「王女様は、いずこ?」


「うむ……催眠術の影響か、ほとんど物を口にしようとせぬ。

それほどまでに異形の術は強いのかと、思案しておるのだ」


「そうですか……それでは、今現在催眠術が解けているかどうかは、わからないのですね」


「そうだ。マートゥに頼んで、例の判別術を試してもらう予定ではあるが。

して、異形どもを、倒したのか?」


ロウは荷物入れから革袋を取り出す。

何が入っているのだろうか、袋の底は赤黒く染まっていた。

絨毯を汚さないよう布を敷き、革袋の中身を乗せる。

そこには、目を見開き、絶命したソアックの首があった。


「これは、異形どもを統べていた竜の首にございます。

そしてこちらが爪、こちらが血……催眠術が解けていなかった場合に備え、解除するための魔術に必要と思われる『部品』は、あらかた持ち帰っております」


ごとり、と重い音が響く。

皆が音のした方を見ると、そこにはアン・トレールが倒れていた。

付き人がすぐに抱き起こすが、アン・トレールは虚ろな目を浮かべるだけであった。


「王女様っ!」


ロウが駆け寄り、ひざまずく。


「このロウが、異形どもを成敗して参りました!

きっとこれで催眠術も解けることでしょう!

術者が別に居た時のことを考えて、残りの異形どもも始末して参りましたゆえ、

手間取ったこと、お許し下さい!」


その言葉がアン・トレールの耳に届いたか、届いていなかったか……。

それは誰にもわからなかった。

アン・トレールは、ぐったりとしたまま動かなかった。

付き人に背負われ、部屋へと戻っていくアン・トレール。


その夜……。

デュモフ、ヘクセン、マートゥの三人は、また部屋で額を付きあわせていた。


「さて……ロウ殿は、帰ってきた」


「それでは、話し合わせたように、進めるとしましょう」


「それにしても、この城に魔術に通じている人間が居なくて助かりましたね」


「そうじゃな……あんな、性別に反応して赤青に反応する魔方陣ごときで、皆が欺かれる」


「しかし、そのせいで、マートゥどのにロクな援助がされていないのも事実」


「魔術の意義を解さない人々、か……そのおかげで、今こうして助かりもしているのですが」


「まあ、世の中など、なるようにしかならないということじゃな」


「しかし、ロウ殿には申し訳ない気もするな」


「そうですね。異形を倒そうが倒すまいが、何も変わりはしないというのに」


「ま、もし本当に催眠術がかかっているのであれば解けるかもしれませんな……」


「どちらにせよ、魔方陣に活躍してもらうことにはなりそうですね」


彼らは安心し切っていた。

しかし、彼らの予想だにしなかった方向へと物語は進むこととなる。

アン・トレールが目覚めたのは、彼女が意識を失ってから数日後のことである。


朝を迎えた王宮は、静かに目覚めようとしていた。

釜に火が入り、人々が動き出す。

時計塔が刻を告げ、静から動へと日常が変化していく。

休むことのない秒針のように、人の運命も変化していくのだろうか……。


アン・トレールが目覚めたとの報告を受け、王は広間にマートゥ、デュモフ、ヘクセンを呼び出した。

早速、アン・トレールの催眠術が解けたかどうかを調べようとしてのことである。


マートゥが前回と同じような魔方陣を描いている。

催眠術に反応して赤く染まるのではなく、性別に応じて赤青に変化する魔方陣を。

しかし、そのことに気づくことの出来る人間は、この城には存在しなかった。


「王様。準備が整いましてございます」


「うむ。しかし、アン・トレールの体調が思わしくないのであれば、

もう少し回復してからでも良いかもしれないな」


「そうですね……。特に体力を消耗する魔方陣ではございませぬが、

最善を期すのであれば、またの機会にでも」


そこまでマートゥが言った時、扉をノックする音が響いた。

デュモフが扉に近づき、声をかける。


「何者だ?」


扉の向こうから聞こえてきたのは、アン・トレールの付き人の声だった。


「失礼致します……。王じ……アン・トレール様が」


そこまで聞いて、デュモフは扉を開けた。

軋むような音を立てて、年代物の扉が開く。

そこに現れたアン・トレールの姿を見て、全員が目を見開いた。


痩せこけ、疲れ切ったアン・トレールが、そこに居た。

髪のハリも無くなり、みすぼらしく飢えた老女のような風体でもある。

美しかった彼女は、そこにはいなかった。

しかし、瞳だけはぎらぎらと輝いており、決意の意思のようなものを感じ取ることが出来る。

そんな異様な様子のアン・トレールを見て、王が声をかけた。


「強力な催眠術というのは……ここまで心身を蝕むものであるのか……」


マートゥ、デュモフ、ヘクセンは表情を変えようとしない。

ちら、と仲間に視線をくれるだけであった。

目と目のやりとりだけで十分だ、と言わんばかりである。


「アン・トレール殿。体調はいかが? お疲れでしたら、またの機会にでも魔方陣をお試しくだされ」


マートゥがおもねるような口ぶりで言う。

そんな彼をアン・トレールは一瞬見やると、


「そうですね……それより、ロウ殿はどちらに?」


「ロウ殿は兵舎にて訓練をしているものと存じますが」


「では、ロウ殿をこちらに呼んでいただきたい」


そう言うと、アン・トレールは目を閉じ、その場に静止した。

王が付き人にロウを呼ぶよう命じると、付き人は駆け足で兵舎へと向かった。

程無くして……。

息せき切らせた付き人とロウが、広間に姿をあらわした。


「王女様。ロウ、まかりこしてございます」


アン・トレールを王女と呼ぶのは、今現在ロウだけであった。

他のものが、彼女のことを「アン・トレール殿」と呼ぶことを、彼は良く思っていなかった。

(彼女こそが、ほんものの王女様だ)

その意識は、一片もぶれてはいなかった。


アン・トレールは、膝をつき頭を垂れるロウを一瞥すると、


「頭を上げて下さい。ロウ」


弱ってはいるが、芯の通った声である。

とてもやつれ切った人間の声とは思えないほどであった。


「ロウ。あなたのおかげで、私にかかっていた術は、解けたようです」


はっと明るい表情でアン・トレールを見やるロウ。

ぎょっとした表情で互いを見やる、マートゥ、デュモフ、ヘクセン。

マートゥは急いだ様子でまくし立てる。


「ア、アン・トレール殿。さ、催眠術が解けたのですか?

それでは、ぜ、ぜひこちらの魔方陣をお試しになってくだされ」


そうだ、そうだな、とデュモフとヘクセンが同意の声をあげる。

しかし、アン・トレールから放たれた言葉は、予想外のものであった。


「魔方陣……ですか。もうその必要は無い、と思いますが」


しかし、と声をあげかけたマートゥを先んじて、アン・トレールは続けた。


「すべて思い出したのです……。私は、攫われた王女などでは無い、と言うことを」


広間の空気が、一変した。




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