その16(完結)
私は、王女では、ない。
その言葉を耳にしたロウの思考は混乱した。
「ばかな! 王女様は、王女様のはずだ! そうではないですか! いや、そうでなくてはおかしい!」
自分の大声に驚いたのか、ロウは一瞬たじろいだ。
しかし、彼の混乱は収まらず、言葉を繋ぐ。
「王女様を攫ったのは四翼の竜であるし……王宮内でしか栽培することを許されていない花も異形の根城に咲いていた……。
それに何より、あの竜めが、王女様が、王女様である、と言っていたではありませんか!」
アン・トレールはその言葉を聞いても、取り乱したような様子は全く無かった。
それどころか、激昂するロウを見て、ますます静謐になっていくようでさえあった。
「順を追って話します……。ロウ、そして皆さんも、聞いて下さい」
誰かのつばを飲み込む音が聞こえた。
ロウは真っ赤な顔をし、肩で息をしながら、アン・トレールの言葉を待った。
一つ大きく息を吸い込むと、アン・トレールは静かに語り始めた……。
「まず……私が龍に攫われたのは今より八年ほど前。
私は山奥で、両親と共に菜を育て、羊を飼い、つつましく暮らしていました。
しかし、そこにあの龍が現れたのです。彼は言いました……」
(貴様を、俺の姫にしてやろう)
「私が断ると、龍は両親を引き裂き、私を掴んで飛び立ちました。
そうして、あの棲み家に連れていかれたのです。
もちろん、私は龍に対して心を開こうとはしませんでした。
そこで、龍は私に術をかけたのです。
自らを王妃と思い込みながら、龍を愛するような、催眠術を。
『攫われた王女様が、だんだんと心を開いていく』
そんな状況に憧れていたんでしょうかね、あの龍は。
ロウ殿が龍を倒した、たぶんその時……全てを思い出すことが出来たのです」
ではなぜ解けた時に、すぐお知らせくださらなかったのか、と付き人が口を挟む。
「すみませんでした……ろくに口も聞けぬほど、衰弱していたのです。
全てを説明する体力は、ありませんでした」
呆然とした表情でアン・トレールを見つめるロウ。
「し、しかし……あの、王宮にしか咲かないはずの花は、一体どういうことなのでしょうか……?
そして、四翼の龍が、王女様を攫って行ったという事実も……!」
「実は……私は、王女様に会ったことが、あるのです」
その言葉に、全員が息を呑む。
順を追って説明します、とアン・トレールが何か言いたそうなロウを制する。
「あれは私が攫われてから数年が経った時のことでしょうか。
見慣れない男と、その男に連れられた幼い女の子。
話を聞くと、『その子も』王女様だ、とのことでした。
その子が好きだという花……その種子を私はその子にもらいました。
その種子を蒔き、育てたのが、あの花です。
そして、その子は数日後、帰って行きました。
四枚の翼を持つ、龍の背中に乗って……。
その龍こそが、ほんものの王女様を攫った龍ではないか、と思うのですが。
ソアックと名乗った龍にも良く似ていましたし……兄弟かなにかだったのかもしれません」
それ以来その龍にも女の子にも、会ってはいませんが。
そう付け加えて、アン・トレールは一息付く。
「私を救っていただいたことにはお礼を言わせていただきます。
ですが、私は、この国の王女などではありません。
ロウ殿や皆さんには残念だったでしょうが……それが事実なのです」
ロウは全身の力が抜けたような脱力感に包まれていた。
(ばかな。私は王女様をお救いしたと、思っていたのに……)
愕然。そして、自らへの、憤怒。
抜けてしまったはずの力は、自らへの怒りという感情を得て、ロウの全身を駆け巡っていた。
握りしめた拳からは、雫のように血が落ちる。
見開かれた眼からは、一筋の涙が、頬をつたい、落ちていく。
ぶるぶると身体を震わせ、ロウは叫びたいほどの激情にかられていた。
そんなロウに、アン・トレールが声をかける。
「泣かないでください、ロウ。
あなたのおかげで、私はほんとうの自分に戻ることが出来たのです。
それに、ほんものの王女様が今どこかで、あなたの救いを待ち望んでいるかもしれません。
どうか、王女様を探しだしてあげて下さい。
それがきっと、あなたの使命なのでしょうから……」
はっと顔を上げるロウを、アン・トレールは見る。
そして、呆然としている王やマートゥ、デュモフ、ヘクセンの方を向くと、アン・トレールは言った。
「色々とご迷惑をかけてしまって、申し訳ありませんでした。
王女でない以上、私がここに居る理由もありません。
私は例の山岳地帯あたりで暮らしていこうと思います……。
もともと山暮らしでしたから、山の知識はありますし」
その言葉を聞くと、王は少し名残惜しそうな顔を浮かべながら、
「そうか……。お主が王女であれば、良かったのだがな……。
しかし、これも何かの縁。その山岳地帯へ向かうための馬車くらいは出させてもらおう。
それに、しばらく暮らすに困らぬくらいの金貨も。
何かあったら、遠慮なくこの城を尋ねるなり、手紙を書くなりしてくれ。
もちろん、城に住みたいというのであれば、それも良い。
短い間……かりそめだったとはいえ、お主は私の子であったのだからな」
「ありがとうございます。あと……例の……龍の亡骸を、持たせてはいただけないでしょうか」
訝しげな表情を浮かべる王。
「……術をかけられてからの記憶は、消えてはいません。
攫われたとはいえ……何年もの間、共に暮らしたものですから……。
激しい憎しみもありますが、せめて山に葬ってあげたい、と思います」
不自然なまでの無表情さでアン・トレールが言った。
うむ、そういうことであれば、と王が
(龍の亡骸を、棺桶に入れてやれ)
と付き人に命ずる。
アン・トレールは、次にマートゥらを見ると、
「そういう訳ですから、別に魔方陣に乗る必要は、無いですよね?」
マートゥらからすれば、
(自分たちの利権さえ脅かされなければ、別にどうでもいい……)
のだから、わざわざ魔方陣を描く手間が省けただけのことである。
断る理由は、どこにも無かった。
彼らは、口々にアン・トレールを労い、頑張るんだぞ、いつでも城に戻ってくるがいい、などと声をかける。
「まあ、その様子ではすぐ出発するというわけにもいかんだろう。
体力が回復するまでは、城で休むが良い」
王の言葉を聞くと、アン・トレールは、
「ありがとうございます。ですが、私には城は合いません。
準備をしていただけるのでしたら、明日にでも、出発したいと思います」
「ふむ……。そうか。そういうことであれば、最も揺れないと評判の馬車を用意させよう。
せめて道中、少しでも楽に過ごせるように、な」
「では、少し、休ませていただいて良いでしょうか」
アン・トレールが言うと、王はすぐさま付き人に命じ、アン・トレールを部屋で休ませるよう命じた。
ロウの横を通り過ぎる時、アン・トレールはそっと彼だけに聞こえる声で囁いた。
(一刻ほどあとで、私の部屋に、来て下さい)
ロウは一瞬だけ下卑た想像に駆られたが、すぐさまその考えを打ち消した。
(私は、王女様をお救いするためだけに、存在するのだ。
そんな私が、そんなことを考えるなど、王女様に対する侮辱に他ならぬ)
しかし、なぜ自分が呼ばれたのだろうか。
それが不思議なロウであった。
もし、これからについて相談するなら私でなくても良かろうなものだが……。
そう思ったが、とくに理由も思いつかないので、彼は一刻が過ぎるのを待ち、
アン・トレールの部屋へと向かった。
部屋をノックする。
王女様として部屋に居た時は付き人が扉の前に二人は居たというのに、
今は誰もいない。
中から(どうぞ)という声。
ロウは、部屋の中に入っていった。
そこには、平民服を纏った、アン・トレールが居た。
「よく来て下さいました」
「して、何用でしょうか? ……アン・トレール殿」
王女様、とは呼ばない。
もはや彼女は、ロウにとって王女様ではなく、アン・トレールでしかないのだから。
「実は……王女様の行方について、心当たりがあるのです」
ロウの目に光が灯った。
一体、どういうことですか。
早口でまくし立てるロウとは対照的に、アン・トレールはゆっくりとした口調で語る。
「一度だけ王女様とおぼしき少女に会った時のことです。
その少女は、実に特徴的な衣服をまとっていました。
水鳥の羽を、層に区切った衣服の中に詰め、暖かさを逃がさない衣服。
実に防寒性に優れている……と思いました。
この辺りの地域では、あそこまでの防寒性は必要ありません。
ということは、少女は、この国よりも、もっと北……。
もっと寒いところにいるのかもしれません」
そして、これを持っていました。
そう言うと、アン・トレールは小さな革袋を取り出す。
中には、美しい硝子玉が二つ、入っていた。
実は袋の底に、花の種子が入っていたのだが、それを出すことはしなかった。
「これを私は、少女からもらいました。
龍に聞くと、これは極寒の地、アフェイルの地で作られるものだとか。
もしかしたら、その地にいるのかもしれません」
「なるほど、アフェイルか……行くだけでも何ヶ月かかることであろうか……。
しかし、その地に王女様が捕らえられている可能性が大きいとするならば、
行かぬ理由など無いな。
手がかりとして……その硝子玉、いただけないだろうか?」
アン・トレールは一瞬びくりとするが、すぐに落ち着いた表情を浮かべる。
「差し上げたいのはやまやまですが……これは私にとっても愛着のある品物ですから……」
「いや、それならば構いはせぬ。なに、その地にいけば、似たようなものがあるのであろう?」
「ええ、多分……そうだ、と思います。アフェイルに向かってみては、いかがでしょうか」
そうかそうだな、と一人、気を吐くロウ。
その瞳は、『王女様を救う』という使命に燃えている時のもの、まさしくそれであった。
アン・トレールは嘘をついた。
王女に会ったことなど無い。
つまり貰ったことなど無い。
羽毛を詰めた防寒着は、ソアックが好んで着ていたもの。
龍にとって、寒さというのは、人間よりも大分堪えるものらしかった。
硝子玉は、ソアックが自分にとくれたもの。
透明な硝子玉は珍しくないが、色の付いたものはとても珍しい。
赤と青の硝子玉は夫婦石といって、アフェイルでは婚約を誓い合った者同士が持つという習慣がある。
赤は女性が、青は男性が持つ習わしだ。それも、ソアックから聞いた。
青の硝子玉は、催眠術を解くフリをした際、お守りとしてソアックがアン・トレールに渡したものである。
しかし、ロウはそれを知らない。
知らずに、『王女様』を極寒の地に探しに行く使命に、燃えているのである。
だが、彼は不幸ではなかった。
むしろ、無意識下で幸福に感じていたのかもしれない。
『ほんものの王女様を、救い出す』
という自らの使命に、また燃えることが出来るのだから。
アン・トレールは、今、自分に催眠術がかかっていようがいまいが、どうでも良かった。
ソアックを愛し、異形に慕われ、笑顔で過ごす。
本物の幸せであろうと、偽物の幸せであろうと、それがすべてだった。
本当に自分が王女であったとしても、王女でないただの少女であったとしても。
彼女にとって異形との生活が生涯のすべてだった。
そして、その生活は、もう戻ってこない。
それだけが事実だった。
残ったのは、空虚な、からっぽのアン・トレールという人間だけだった。
ロウだけにアフェイルの情報を教えたのは、万が一、王や大臣がアフェイルに詳しかったら、困るから。
ロウならば、アフェイルのことを知っていたとしても、ごまかせると考えてのことだった。
それに、あの大臣や、賢者。
明らかに自分のことを疎ましく思っていた。
いや、自分というよりは『王女様』を疎んじていたのだろう。
そんな奴等に、わざわざ『王女様』の情報を流しても、自分に得なことなど無い。
むしろ嘘付きに仕立て上げられてしまうかもしれない。
明日出発してしまえば、もう自分に危害は及ばないだろう。
そう考えて、ロウだけに教えたのであった。
ロウは、旅支度を始めた。
また王女を探しに行く、とだけ伝えて。
彼は、もう城に戻ってくるつもりはなかった。
行くだけでも数ヶ月かかるアフェイルから定年報告に戻っていたら、
それこそ時間が無駄になってしまうからだ。
ロウは、使命感に再び燃えていた。
マートゥたちは、安堵の祝杯に酔っていた。
王女であろうが王女でなかろうが、彼らにとって疎ましいのは
『第一位の王女様』
であり、もはや王女ではないアン・トレールは、害のない存在であった。
(しかし、本当に術がかかっていたとは、驚きでしたね)
そんなことを言いながら、一杯、また一杯と杯を空にする。
「それにしても、ロウ殿は、いったいいつまで王女様を探し続けるんでしょうね」
「分からぬ。それに、王女様が生きているという保証もなかろうに、よくも、まぁ……」
「あの調子では、きっと死ぬまで『ほんものの王女様』を探し続けるのであろうなぁ」
「まあワシらとすれば、今の王女様が女王としてこの国を継いでさえくれれば……。
いや、王子様が継いだとしても、王女様のお口添えがあれば、安泰ですな」
「即位された後に『王女様』が出てきたとしても、もう国に関われる段階ではありますまい」
「そんなことをしたら、国が傾いてしまいますからね」
「何事も、平和が一番じゃ、そうじゃろう?」
「そうですね」
「『ほんもの』だとか理想だとかを追い求めるよりも、
現実を受け止めて生きていった方が楽じゃろうに、難儀な男じゃのう、ロウ殿も……」
「まあ、あれで案外、ロウ殿も楽しんでいるのかもしれぬぞ。
なんせ姫を救い出す勇者たらん、と思っているのだからな。
誰かが言っていたが、まるで英雄譚に登場する英雄ではないか」
「しかし、それがほんとうに幸せなのでしょうか……」
「まあ、幸せは人それぞれじゃからの。ワシらにとっての幸せは、
今現在のこの状況じゃ。さあヘクセン殿、もう一杯」
そうして彼らの夜はふけていった。
また明日から、何事も無い日常が始まるのであろう……。
そして次の朝。
用意された馬車に乗り、アン・トレールは山岳地帯へと帰っていった。
送りに来た王や大臣と握手を交わし、馬車に乗り込む。
すると、遠くからロウの声が聞こえた。
「アン・トレール殿! お体気をつけてくだされ!」
駆けてくるロウを一瞥すると、アン・トレールは、御者へ吐き捨てるように言った。
「早く出して下さい……! 早く!」
王や大臣の元へたどり着いたロウは、荒い息を整えながら問う。
「なぜ、アン・トレール殿は、私に出発時間を知らせてくれなかったのだろう?」
「ああ、ロウ殿の出立準備を邪魔したくなかったから、と言っていましたよ。
『彼が一分無駄にすると、王女様を救うのが一分遅れるでしょう?』などと言っていました」
その言葉に感動したロウは、
「気遣い、感謝せねば……! さあ、その気遣いを無駄にしないためにも、
一刻も早く出立せねばならないな! 待っていて下さい、王女様!!」
と言い、兵舎へと駆けていった。
数刻後、ロウは19回目の旅立ちを迎えることとなる。
その顔は、例年と同じように、使命に燃える精悍な顔つきだったと言う。
そして十数年後……。
ロウのことを、ほとんどの人間は忘れていた。
生きているのか、死んでしまったのか。
何一つ情報は入って来なかった。
ただ一つ確かなのは、ロウが帰ってきていない以上、『王女様』を救い出してはいないということだけだった。
山岳地帯に、大きな墓地があるという話が広まっていた。
山岳地帯に似つかわしくないほど色とりどりの草花で彩られたその墓地は、
いつしか観光名所として有名になっていった。
その世話をしているのは、寂しそうな光を瞳にたたえた女性。
華やかな墓地に不釣り合いなほど、ひっそりと咲いている花が、墓地で最も大きな墓石の周りを囲んでいる。
なぜか、と問えば、必ずこう返ってくるのであった。
「この花は、私と、私の愛した人が、いちばん好きだった花なんです」




