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その14

アン・トレールは、部屋から出ることを許されなかった。

それを命じたのは、他でもない王である。

催眠術の影響下にある、と判断されてしまったのだから、それも仕方ないだろう。

しかし、不便だと思うことは特に無かった。

付き人に頼めば、城内の蔵書をいくらでも持ってきてくれるし、

食事も豪華なものが一日三度運ばれてくる。

この時期の名産品である山菜とキノコが、食卓を鮮やかに彩る。

焼き、蒸し、煮られたそれらは、各国の食通を唸らせるほどであった。


しかし、アン・トレールは、ほとんど食事に手をつけていなかった。

彼女は憔悴していた。

ソアックは、本当に私に術をかけていたのか。

私がほんものだと信じ込んでいた今までの記憶は、作られていたものだったのか。

それともあの時……ソアックと別れる時、何か術をかけられたのだろうか。


私は、催眠術を解かれるふりを、しただけなのに。


ロウが城を出立してから、十日ほど経った頃であろうか……。

日に日にやつれて行くアン・トレールを見かねたのか、付き人の一人が声をかけた。


「王女……王女様。このままでは身体が持ちません。何か口にしていただかなくては……」


王女様、と呼ぶ声にもためらいが見える。

付き人からしたら、本当の王女様か、それともまったくの別人かわからないのだから。

しかし、今自分が仕えているのは『王女様』だということを思い直したのだろうか、

しっかり『王女様、』と呼びかけ、言葉を続けた。


「王女様。きっとロウ殿が異形を討ち果たし、悪辣な術を解いてくれます。

それまでに倒れてしまわれては困ります。どうか、お食事を」


それまで虚ろな視線を浮かべていたアン・トレールの表情が変わる。


「ロ、ロウが、ソ……異形を――!?」


驚いた様子のアン・トレール、その言葉を感激と受け取ったのか、


「そうです。ロウ殿がです。もう十日ほどになるでしょうか……。

ですから、なにとぞ、ご自愛ください。それでは、また後ほど」


笑顔を浮かべながら、付き人は部屋から出ていった。

扉が閉まったことを確認したアン・トレールは、その場に座り込んでしまった。

両手で顔を覆い、そのまましばらく動かずに……。


「私は、どうすればいいの……!? ソアック……!」


その日を境に、アン・トレールはますます塞ぎこんでしまった。

ロウを追おうか。しかし、まず第一に部屋を出ることが出来ない。

扉には頑丈な鍵がかかっているし、窓から降りようとしても、今現在閉じ込められている部屋は、窓がはめ殺しになっている。

破ろうとすれば、扉の前に立っている警備兵に聞こえないわけはない。

仮に部屋を出ることが出来たとしても、追いつけようはずがない。

どうにもならない状況で、アン・トレールは、何もしないということしか、出来なかった。



夢を、みていた。

自らが、失われた王女様を救い出して。

王様も王妃様も、彼女を愛して。

国中が、彼女を祝福して。

それを自分は、そっと見ている、そんな夢を。


目を覚ましたロウは、夢だという事に気づき、かぶりを振る。

そして口を一文字に引き結び、異形の住まう山を遠く見つめる。

今の夢は、夢ではない。

あれこそが、あるべき姿だ。


そう思い、ロウは枕にしていた鞄を担ぎ上げると、

力強い足取りで歩き出した。



夢を、みていた。

目を覚まし、部屋を出ると、見知った顔の人ならざる者たちが笑顔で迎えてくれる。

そして、自らが愛した人……人のかたちをした竜も、笑顔を向けてくれていて。

いつも通りの、生活。

それが遠い夢となってしまう日が来るとは、思っていなかった。


目を覚まして、アン・トレールは、少し泣いた。

ひどい顔になっている自分を鏡で見る。

目は腫れ、ろくに食事を摂っていないせいで頬はこけ、

光が滑り落ちていたような髪も、今は艶を失い、見るも無残な状態になっている。


どうしようもない現在を思いながら、アン・トレールは、また浅い眠りに落ちていった。



そしてさらに五日ほどが過ぎた。

やつれ切ったアン・トレールの元を、王が訪れていた。


「アン・トレールよ……何がそれほどまでにそなたを蝕む?

催眠術のことが心配なのか? だが、その心配はすぐに消えるやもしれぬぞ。

たった今伝令が入った。ロウがあと二日ほどで戻るそうだ。

ロウが戻るということは、催眠術も解けた可能性があるということだ。

戻り次第、またマートゥに診てもらうと良かろう。

なに、催眠術が解けたのであれば、すぐに体調も良くなるであろう」


それだけ言うと、王は部屋を後にした。

ロウが戻る。

それはつまり、目的を果たしたということ。

目的とは……。


そこまで考えて、アン・トレールは嘔吐した。

口からこぼれるのは、食べ物ではなく、透明な胃液。

ほどなくして、嫌な色をした胆汁が食道をさかのぼってくる。

考えることをやめなければ。心がそう伝えてくるが、

それをやめることは出来なかった。


すぐに付き人がやって来て、アン・トレールに水を差し出す。

それで口をすすぎ、喉を洗う。

しかし、今飲み込んだばかりである水も、すぐに吐き戻してしまう。


何度現実と夢を彷徨っただろうか。

意識が朦朧として、落ちて、また目覚める。

そんなアン・トレールに、付き人が告げた。


「ロウ様が、お戻りになられたようです」




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