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前世、魔王  作者: 上成仁徹
第一章 魔王、再誕生
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三話 信頼の開裂

 「俺の前世がどんな奴だったか。もう何度も話したよな」


「……ベニエ・スカルロッド」

「ああ」


 メグルマは顎から伸びた白い髭を撫でた。


「王国の最重要機関に仕えていた、一流の錬金術師。魔王討伐にも関わった、偉大な人物……だったらしい」

「だったらしいって……」

「はは。まあ、前世の話だからな」


 いつものメグルマらしい笑い方だった。

 オーブは少しだけ肩の力を抜いた。


「俺は魔王討伐の時代、よく戦場に駆り出された。勇者率いる第一討伐隊にも何度か同行したよ。俺の作ったポーションで命を救われた戦士も、少なくない」


 それは、何度も聞いた話だった。

 メグルマは自分の前世について話すのが好きだった。

 魔王討伐に携わったこと。

 勇者と同じ戦場に立ったこと。

 数多くの戦闘職を、自分の錬金術で支えたこと。

 

 特に酒が入れば、その話を何度でもオーブに話して聞かせた。

 その武勇伝を聞くたびに、オーブは自分の前世をさらに期待していたのだった。


「俺はな、魔王討伐に限りなく暗躍した男なんだ」


 そう言って胸を張る姿を、オーブは何度も見てきた。

 だから、今日もその武勇伝を聞かされるのだと思った。

 しかし――


「けどな」


 メグルマの声が、少しだけ低くなった。


「ベニエは、それだけじゃ満足できなかった」

「……?」

「ポーションを作る。傷が治る。魔力が回復する。便利だよな」

「はい」

「でも、それだけだった」


 メグルマは机の上に置かれた小瓶へ視線を落とした。


「俺は昔から、完成されたものを真似するより、誰も作ったことのないものを作る方が好きだった。再現よりも、創造。自分の中でその意識──というか、信念みたいなものがずっと俺を支配していた」


 小瓶を手に取り、ゆっくりと揺らす。

 中身は、淡い紫色をしていた。


「新しい素材を探した。新しい製法を試した。人体にどう作用するかも調べた。失敗もした。死人もでた。あまりにもおかしなものばかり作るから、気がつけば、俺の周りから人が消えていった」

「……そう、なんですか」

「ああ」


 メグルマは笑った。

 けれど、その笑顔にはいつもの親しみがなかった。


「それでも、やめられなかった」

 オーブは黙って彼を見つめた。

「何かが足りなかったんだ」

「何が……ですか?」

「それが分からないまま、俺は死んだ」


 メグルマは小瓶を机に戻した。

 コトン、と乾いた音がする。


「そして生まれ変わった」


 そこで、彼は初めてオーブの目を真正面から見た。


「メグルマ・オーヴィックとしてな」


 オーブの胸に、嫌な感覚が走った。

 何だ。何かがおかしい。


「前世で未練を残して死んだ人間は、その未練が今世にも引き継がれることがある――そう聞いたことがあります」

「ああ。よく知ってるな」

「それが……何か関係あるんですか?」


 メグルマは答えなかった。

 ただ、オーブをじっと見ていた。

 まるで、何かを品定めするように。


「……メグルマさん?」

「オーブ」

「はい」


「お前は、自分に前世がないことをどう思ってる?」

「……どう、って」


「怖くないか?」


 その言葉に、オーブは息を詰まらせた。


「怖いです」


 素直に答えた。


「これから、どうやって生きていけばいいのか……分かりません」

「そうだよな」

「でも、メグルマさんが――」

「違う」


「……え?」


 メグルマが遮った。


「そういう話じゃない」


 その声には、今まで聞いたことのない響きがあった。

 オーブは眉を寄せる。


「俺が聞いているのはな」


 メグルマは椅子から立ち上がった。

 ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。


「お前自身が、自分に前世がないことをどう思っているかだ」

「……僕は」


 言葉が出てこない。

 メグルマは、ゆっくりと近づいてくる。


 一歩。また一歩。


「俺なら、そんな人生は耐えられない」

「……メグルマさん?」


 メグルマは、オーブの目の前で立ち止まった。


 そして――


 笑った。


 いつもの豪快な笑みではない。

 口元だけが、ゆっくりと歪んでいく。


「だから、俺は探していた」


「……何を?」


「お前を」


 背筋が凍った。


「俺はずっと探していたんだよ、オーブ」

「……何を、言って……」

「前世を持たない人間を」


 メグルマの目が、異様なほど輝いて見えた。


「『今世が初めての人間』をな」

「…………ッ、!?」


 意味が分からない。

 いや。

 分かりたくなかった。


「メグルマ、さん……?」

「すまん、オーブ」


 その声だけは、ひどく優しかった。

 だからこそ――恐ろしかった。


 次の瞬間。


 世界から、光が消えた。


 目の前が漆黒に染まる。


「――ッ!」


 何も見えない。

 何も聞こえない。

 身体が動かない。


 先ほど路地裏で味わったものと、まるで同じだった。


(黒魔法……ッ!?)


 理解するより先に、身体が恐怖を思い出していた。


「な……メグルマ、さ――」


 声すらまともに出ない。

 その直後。


 唇に、何かが押し当てられた。


「――ごぼっ!」


 冷たい液体が、無理やり口の中へ流し込まれる。

 苦い。

 酸っぱい。

 それ以外にも、何か得体の知れない味がする。


「がっ……ごほっ! な……!」


 吐き出そうとする。

 しかし、喉が勝手に動いた。

 液体が食道を滑り落ちていく。


「ごほっ……! あ……!」


「はは、飲め」


 メグルマの声が聞こえた。

 いつもの優しい師匠の声ではなかった。


「メグルマ……さん……!」

「お前を、ずっと探していたんだよ」


 その言葉とともに、身体の内側が熱くなる。

 次いで、猛烈な吐き気が込み上げてきた。

 頭が割れるように痛い。

 心臓が、異常な速度で脈打っている。


「がっ……あ……!」


 絶望。


 恐怖。


 痛み。


 不快感。


 負の感情という負の感情が、一斉に身体の中へ流れ込んでくる。


 何が起きている。

 なぜ。

 どうして。


 ――この人が。


 オーブは必死に考えようとした。けれど、もう何も分からなかった。

 ただ一つだけ。

 はっきりと分かった。

 自分が今まで信じていたものが、音を立てて崩れていく。

 そしてその中心にいるのは――

 自分が最も信頼していた、師匠だった。


「オーブ──お前は貴重な存在なんだ。誇らしく思えよ」

 暗闇の中で、メグルマの声だけが響いていた。


「誇らしく思えよ」


 その言葉に、オーブは必死に意識を繋ぎ止めながら、彼の声へ耳を傾ける。


「お前は自分を最後まで卑下していたが、もっと自信を持っていいことなんだ」


 何を言っている。


 今さら。


 そんな優しい言葉をかけて、何になる。


「だから、俺が、これほどまでに希少なお前という素材を」


 ――素材。


 その一言だけが、異様なほど鮮明に頭へ残った。


 素材。


「……っ」


 オーブの思考が止まる。


 そういうことだったのか。


 メグルマは、自分を弟子として見ていたのではない。


 人間として見ていたのですらない。


 ただの――素材。


 前世を持たないという、この世界で極めて稀な存在。


 その価値だけを見ていた。


 ずっと。


 ずっと、期待していたのだ。


 オーブが前世を自認し、何者かに覚醒することを。


 ――違う。


 メグルマが待っていたのは、その逆だった。


 オーブが二十歳になっても覚醒しないこと。


 前世を持たない人間であることが、証明されること。


 その瞬間を、ずっと待っていた。


「……あ」


 ふと、以前の記憶が蘇った。


『錬金っていうのはな、究極的には――人間の魂を作り変えることだって可能なんだ』


 あのときは、何を言っているのか分からなかった。


 錬金術は物質を変化させるものだ。


 鉱石を精製し、薬を作り、素材を組み合わせ、新たなものを生み出す。


 それが、オーブの知る錬金術だった。


 なのに、メグルマは言った。


 ――人間の魂を作り変える。


「まさか……」


 輪廻。


 前世から今世へと続く、人間の魂。


 もしも、その輪廻の歯車に組み込まれていない人間が存在するのなら。


 もしも、その魂を――錬金術の素材として扱うことができるのなら。


「……僕を……」


 声が震える。


「何に……するつもりなんですか……」


 返事はなかった。


 ただ、メグルマの手がゆっくりと動いた。


 それだけで、オーブの身体に再び激痛が走った。


「――ッ!」


 息が詰まる。


 肺が空気を求めている。


 だが、吸えない。


 身体が言うことを聞かない。


 視界は漆黒のままだ。


「お前の死は、決して無駄にはしない」


 メグルマの声は、不思議なほど穏やかだった。


「俺には、作らなきゃいけないものがある」


「……なに……を……」


 それが最後の抵抗だった。


 知りたかった。


 せめて、自分が何のために殺されるのかだけでも。


 しかし、答えを聞くことはできなかった。


 喉が震える。


 息ができない。


 頭の中が白くなっていく。


 思考が、少しずつほどけていく。


 死。


 ――死ぬ。


 自分は、死ぬのだ。


「……こんな、に……」


 死というものは、もっと恐ろしいものだと思っていた。


 もっと壮絶で、もっと苦しくて、最後まで抗い続けるものだと思っていた。


 けれど。


 実際は、ただ少しずつ遠ざかっていくだけだった。


 音が遠い。


 身体の感覚も遠い。


 自分がどこにいるのかさえ、分からなくなってくる。


 前世を持たない者は、こんなにも生きる資格がないというのか。


 無能だと罵られ。

 攻撃され。

 虐げられて。


 それでも、なんとか生きてきた。

 自分にできることを探して。

 師匠の役に立とうとして。

 いつか、自分にも何かができるのだと証明したくて。


 ――なのに。

 最後に信じた人間にまで、利用された。


「……僕は……」


 何のために生まれてきたのだろう。

 何のために、二十年も生きてきたのだろう。

 そんな疑問すら、もう考えられない。


 ふと。

 暗闇の中に、一人の少女が浮かんだ。


 金色の髪。

 鮮やかな碧眼。

 小さな手。


 自分の頭に触れてくれた、冷たい手。


 エルセレナ。


「……セレナ……」


 彼女だけは。彼女だけは、自分を助けてくれる。


 あの優しい彼女なら。

 自分がどれだけ無能でも。

 前世がなくても。


 きっと――


 ――本当に?


 オーブの思考が止まった。


 彼女も。


 もし彼女も、メグルマと同じだったら?

 もし、彼女も自分を利用するために優しくしていただけだったら?

 何か理由があって。

 何か目的があって。

 自分が「前世を持たない人間」であることを、ずっと知っていたのだとしたら。


(……わからない)


 誰も、信じられない。

 何が本当なのか分からない。

 自分が信じてきたものは、全部嘘だったのかもしれない。


(……誰か……)


 声にならなかった。

 それでも、オーブは願った。

 誰か。

 誰かだけは。

 自分を、ただの人間として見てほしい。

 価値があるかどうかではなく。

 前世が何者だったかでもなく。


 ただ――


 オーブ・セグリッドという一人の人間を。


「信じて……」


 その願いが誰かに届いたのか。

 オーブには、もう分からなかった。

 視界の闇が、さらに深くなる。

 意識が、ゆっくりと沈んでいく。

 やがて、恐怖すら感じられなくなった。


 後悔も。

 憤りも。

 悲しみさえも。


 すべてが遠ざかっていく。


 そして最後に残ったのは――

 誰かに信じてほしいという、あまりにも小さな願いだけだった。


 それすらも、やがて消えた。


 オーブ・セグリッドの意識は、完全に途絶えた。

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