二話 普遍の人生
「前世自認覚醒」が一向に起きなかったオーブは、とある師匠の下で錬金の真似事をして糊口をしのいでいた。
錬金といっても、治癒や魔力の上昇を図るエリクサーの作製や、その過程で必要な素材の収集といったものばかりだ。
たとえ前世自認覚醒が遅くたって、これといった特技がなくたって、出来ることはある。そう教えてくれたのが師匠――英俊なる錬金術師、メグルマ・オーヴィックだった。
オーブにとって数少ない「自分を必要としてくれる人間」だった。
前世がないと知っても、彼を追い出さなかった。
才能がないなら、才能のないなりにやればいい。
そう言って、錬金術の基礎を教えてくれた。
だからこそ、今日の結果を真っ先に伝えなければならない。
オーブは重い体に辟易しながらも、師匠の家まで早足で向かう。
夜の街は、昼間とは違った喧騒に包まれていた。
酒場からは酔客たちの笑い声が響き、通りには帰路につく人々がちらほらと見える。街灯の淡い光が石畳を照らし、その上を様々な人間が行き交っていた。
オーブは、なるべく人目を避けるように歩いた。
頭の傷はセレナの治癒魔法によって塞がっている。血も止まっている。けれど、身体の奥にはまだ鈍い痛みが残っていた。
それ以上に、胸の奥が痛かった。
「……二十年、か」
思わず呟く。
二十年間、ずっと待っていた。
いつか自分にも、前世があると分かる日が来る。
その日になれば、何かが変わる。
そう信じていた。
勇者だったら。
大魔術師だったら。
あるいは、誰も知らない偉大な英雄だったら。
幼い頃には、そんな夢物語を何度も思い描いた。
けれど――何も起こらなかった。
今日まで。
その事実を改めて噛みしめると、足取りが少しだけ重くなった。
「おい、見ろよ! あれって――」
不意に、通りの向こうから声が聞こえた。
オーブが顔を上げる。
数人の男たちが、道の中央を歩く一人の青年を見ていた。
青年はまだ二十代前半ほどに見える。立派な鎧を身につけ、腰には剣を携えている。その歩き方には妙な自信があった。
「第二騎士団のやつだろ?」
「ああ。確か、前世が王国騎士だったって話だ」
「そりゃあ強いわけだ。あの若さで騎士団入りなんて、さすがだな」
男たちは感心したように青年を眺めている。
青年もそれを当然のように受け入れ、胸を張って歩いていく。
オーブは視線を逸らした。
──前世が騎士。
それだけで、人々は彼を信頼する。
実際に剣を振るったことがあるかどうかなど、誰も気にしていない。
前世の自分が何者だったか。それだけで、今世の人間としての価値まで決められてしまう。
「お母さん!」
今度は、すぐ近くから子供の声がした。
小さな男の子が、母親らしき女性に向かって笑顔で駆け寄る。
「僕の前世、宮廷魔術師だったんだって!」
「あらまあ! なんてこと! お兄ちゃんと一緒ね」
「だから僕も、将来は魔術師になるんだ!」
「きっと立派な魔術師になれるわ! ツグル、今夜はパーティーよ」
母親は嬉しそうに笑った。
男の子も満面の笑みを浮かべている。
その光景を見て、オーブは一瞬だけ足を止めた。
――いいな。
そんな言葉が、胸の奥に浮かんだ。
自分にも、あんな未来があったのだろうか。
もし自分にも前世があれば。
もし、自分の中にも何か特別な力が眠っていたなら。
あの子のように、未来を夢見ることができたのだろうか。
「兄ちゃん、浮かねえ顔してんな」
突然、声をかけられた。
店仕舞いをしていた中年の男だった。
「職探しか?」
「……いや、そういうわけでもありません」
「仕事欲しいんなら、うちで雇ってやるぜ」
「どういった仕事ですか?」
「人によって変わるんだよ。あんた、前世は?」
その一言で、胸がざわついた。
「……ありません」
男は、驚きを隠せていなかった。
「そうか。悪りいな」
オーブは、何も言えなかった。別に珍しいことではない。これまで何度も経験してきたことだ。
けれど、今日だけは――妙に胸に刺さった。
今までなら、「まだ覚醒していないだけ」と自分に言い聞かせることができた。
けれど、もう言い訳はできない。
自分には何もない。
誰かより優れた力も。
誇れる前世も。
将来を約束してくれる才能も。
それでも。
オーブは拳を握った。
「……メグルマさんなら」
あの人なら、何か言ってくれる。前世がなくてもできることがある、と言ってくれた人だ。
伝えなければならない。
今日、自分に起きたことを。
自分は、前世を持たない人間だ。それでも、僕を信じて、僕を見込んで、認めてほしい。
オーブは痛む身体を引きずるようにして、再び歩き出した。
街の灯りが一つ、また一つと後ろへ流れていく。
やがて、人通りの少ない路地へ入った。
そこを抜ければ、師匠の家はもうすぐだった。
メグルマ・オーヴィックは、椅子に座ってこちらを見ていた。机に肘を置いて、両手を組んでいる。いつもの飄々とした態度とは違い、その顔には厳格な表情が浮かんでいた。
どうやら、オーブが来るのを待っていたようだ。
「メグルマさん――」
「どうだった」
短い問いだった。
いつもなら、もっと軽い調子で「どうだった?」と聞いてくるはずなのに。今日だけは、妙に静かな声だった。
オーブは俯いた。
口を開こうとしても、喉がうまく動かない。
「……だめでした」
「…………」
「何も起きないまま、二十を迎えてしまいました」
声が震える。
「僕に……前世は、ありません」
言葉にした瞬間だった。
堪えていたものが、一気にこみ上げてきた。
涙が溢れる。誰よりも良い報告を望んでいたはずの、偉大な相手に対して、こんな結果とは。
見られたくなかった。こんな姿を、誰よりも尊敬しているこの人には。
きっとメグルマも、今日だけは自分の覚醒を期待していたはずだ。
もしかしたら、偉大な錬金術師だった前世を持つ彼の弟子なのだから、オーブにも何か特別な力があるのではないか。
そんな期待を、心のどこかで抱いていたのかもしれない。
それなのに。
「……そうか」
メグルマは、それだけ言った。
「……まあ、座ってくれ」
「……はい」
オーブは恐る恐る椅子に座り、メグルマと対面した。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
「オーブ」
「はい」
「お前は、よくやったよ」
「――え?」
思わず顔を上げる。
メグルマは、静かにこちらを見つめていた。
「俺の前世がどんな奴だったか。もう何度も話したよな」
彼は、途端に語り始めた。




