一話 拒絶の合図
生まれて二十年。
オーブ・セグリッドは、史上最悪の誕生日を迎えた。
「ぐあっ…………!!」
闇。
闇。
果てしない闇。最初に感じたのは、恐ろしいほどの恐怖と、視界に飛び込む闇だった。
次に、頭部の凄まじい痛みがやってきた。燃えるような、叩きつけられるような、重くて鋭い痛み。
「ぁあ……が…………」
どうやら、仰向けに倒れていたらしい。それも、後頭部への激しい衝撃を伴って。言葉にならない喃語を発しながら、ようやくその状況を理解した。
「ほら、簡単にできたろ?」
頭上の方から、男の声が聞こえた。皮肉のこもった、彼を嘲るような口調だ。
「ああ、これは驚いた。まさかこんな簡単に倒れるなんて」
続いて、別の男の声が聞こえた。
オーブ・セグリッドは声の主を探ろうと、ゆっくりと体を起こした。息を整えながら、音のする方へ顔を向ける。
暗くてよく見えないが、彼より幾分若そうな男二人が、こちらを見下ろしていた。
(――騎士と弓兵だ)
そして、ここが路地裏であることを思い出す。
ギルドからの帰り道、間もなく自宅へ着くその寸前、路地裏へ入ったタイミングで後頭部を殴られたのだ。
──いや、違う。何かを投げつけられたのだ。
「あ、ぁ……」
オーブは頭を押さえていた手に、べったりと赤黒い血が付着していたことに気が付いた。酷い出血だ。
「俺の投擲スキル、完璧っすね」
「ああ、前世が弓兵なだけある。見ろよこのざま、全く太刀打ちできずに倒れてやがる」
男は続けざまに言う。
「お前みたいな前世の無い奴はこの世界じゃ負け組なんだよ。何もかもむしり取られて、死に追いやられる。まあ、命が助かっただけでありがたく思えよ」
何もかもむしり取られて。
その言葉に違和感を持ち、彼は慌ててポケットを探る。しかし、何も入っていない。もう遅かった。金銭は全て盗まれたようだ。
「くそ……」
「なんか言った?」
「言ってな――」
「暗澹たる洗礼」
瞬間、目の前が暗闇に包まれたかと思うと、体が痺れて動かなくなった。
そして、おぞましいほどの恐怖心が脳内を支配した。
怖い、怖い。
恐ろしい。
オーブは成すすべもなく、その場で立ち尽くす。
「なんだ、これ……」
「かなり鮮度を上げたんだよ、俺の黒魔法。発動までの時間を早くして、効果も抜群だ。ま、こんなこと使えねえ奴に言ってもしょうがないけど」
そう言うなり、二人はゲラゲラと笑いながら路地裏を後にした。
オーブは痺れる体を抑えながら、何とかして立ち上がる。
「――オーブ、大丈夫!?」
今度は逆の通路から、誰かが駆け寄ってきた。
徐々に回復する視力で何とか相手を捉える。
小さな背丈。
薄黄色に染まった神官服。
輝かしい金色の髪。
――エルセレナだ。
「あぁ、くそ、いてえ……」
「ひどい怪我っ!! またやられたの!?」
彼女はオーブに近づくなり、頭部の損傷を見て驚いたようだ。
「治癒魔法かけるから、横になって」
「ああ、悪い……頼むよ」
オーブは指示通り仰向けになり、真っ暗闇の空を見上げた。
夜にたなびく風が体にあたり、節々が軋むように痛い。
エルセレナは彼の頭の位置に座り、優しく両耳に手を当てた。彼女の小さくて冷たい手の感触がする。
「ほんとに、最低な人たちね。許せない!」
エルセレナの顔には、怒りと悲しみの表情が浮かんでいる。
「仕方ないよ。僕みたいなやつには、妥当な結果だ」
「そんなことはないから──」
エルセレナは、今にも泣きださんといわんばかりに、震える声で彼の考えを否定した。
なんて優しい、誠実な子なのだろうか。
オーブは痛む身体に顔をしかめながらも、彼女の気立てのいい態度に安堵する。
エルセレナ・スィンク。
彼女の前世は、街の小さな教会に仕える聖職者だった。
神のご加護と祈りによる治癒能力を持ち、その前世の職を踏襲した彼女も、その能力が一部再現できるのだ。
やがて、エルセレナの詠唱により治癒が行われた。
血は止まり、黒魔法によって痺れていた体も何とか動かせるようになる。
「本当に、いつもごめん。セレナ」
「謝らないで。悪いのはいつも、奴らだから」
エルセレナは魔術の行使によって疲労しているようだった。
彼女とて、初級レベルの神官だ。オーブ一人の治癒だけで精一杯なのは彼も理解していた。
「オーブ、それでどうだったの……その、覚醒は」
「――駄目だった」
「そっか」
「僕は、落ちこぼれだ」
「そんなことないよ、オーブ」
彼は顔を上げると、こちらを見てあどけなく微笑むエルセレナがいた。
それからしばらく、何も心配することはない、私がいるから、と温かい言葉を彼へ投げかけた。
また救われた。
「オーブはオーブなんだから。前世が無くたって、それは人より劣っていることにはならない。それも、個性なんだよ。オーブは、すっごく優しくて、誰よりも強いんだから」
「ありがとう。そんなことを言ってくれるのは、セレナだけだよ」
オーブは泣きそうだった。
自分は、何もかも彼女より弱い。
全て劣っている。心も、誰かを守る強さも。
オーブが礼を言うと、エルセレナは少し照れたように目を逸らした。
彼女の鮮やかな碧眼が街灯の光を反射している。
前世が無くたって、それは人より劣っていることにはならない。
エルセレナは美化するようにそう言ってくれる。
しかし、この世界はそんなに甘くなかった。
――絶大なる邪悪の化身、名を魔王シュークと呼ぶ。
彼が勇者によって討伐され、二百年の時が経った。
魔王の死に伴ってモンスターや魔王軍が絶滅した。
やがて世界は――平和にならなかった。
そう、「前世自認覚醒」のせいで。
魔王という分かりやすい共通の敵がいなくなり、平穏を脅かす存在はこの世から消えた。
戦闘職と呼ばれる傭兵や魔術師、弓兵たちは戦うべき敵を失った。
そして、人間の薄汚い野望と欺瞞にまみれた、混沌とした世界が出来上がったのだ。権力を巡って争い、富を奪い、前世の力を振りかざして他者を支配するような、そんな世界。
前世を持たぬ者は、虐げられる。
前世が凡庸な人間であれば、馬鹿にされ、役立たずだと罵られる。
前世が偉大な人間であればあるほど、人々は敬い、その強大な地位と力を恐れおののく。
これが世界に蔓延る、絶対のルール。
「前世の自分」が、「今世の自分」を決定する。
そして、オーブ・セグリッドに、前世は無かった。
二十歳の誕生日を迎えてもなお、『前世自認覚醒』が起こらなかったことで、それは明らかになってしまった。
『前世自認覚醒』は、本来であれば二十歳までに誰もが経験するとされている。
主に十六歳~十八歳の覚醒率が高く、ある日突然、何の前触れもなくそれはやってくる。
まるで夢を見るように、自分の前世の一部の記憶や映像が脳裏に流れ込んだり、前世の自分が何者だったかを認知する。しかしそれは夢でも幻でもなく、生まれ変わった自分の前世での姿なのだ。
前世を自認することは、この世界で生きていくためには必要不可欠だとされている。
前世での自分の身分や職業が、そのまま今世の身分や職業に成り代わることがほとんどだからだ。
かつて生業としていた役職や、得意とした魔術、武具の扱いなどが現在の自分に受け継がれる。
「前世自認覚醒」を起こし、一人前として力を得る。
それは、誰しもが、二十になるまでに経験するのだ。
前世のない人間なんて、この世界ではただの生きた屍だ。
オーブ・セグリッドは、大きくため息をついた。
今日、この日を境に、自分には前世がないことが確定した。
自分には、人より秀でた才能もなければ、適性のある職業もない。それを、しみじみと実感する。
「オーブ。今日はもう、休んだら」
彼の落胆を読み取ったのか、エルセレナが優しく声をかけた。しかし、オーブはそれに従わなかった。ゆっくりと立ち上がり、衣服についたゴミを払う。
「メグルマさんのとこに行かなきゃ」
「師匠に?」
「ああ。今日の結果を、まだ伝えてないから」
「でも……。家で休んでからにしたほうがいいんじゃない? 傷も、完全には治せてないよ」
完治していないのは確かだ。しかし、これほどの傷で休んでいるような暇はなかった。
「ごめん、セレナ。メグルマさんには、一刻も早く伝えないと」
彼女は、俯いて何も答えなかった。それを了承と捉えたのか、オーブは路地裏を立ち去ることにした。




