第80話 絶望よりも残酷で…
ドアを開けた乱子が見たココと鉄平の表情には、どこか安堵の色が見える。
「乱子…生きてたか…。」
ココがそう言うと、乱子は二人が来た理由が飲み込めず、場の空気を軽くするために、落ちている気分を隠すように精一杯ヘラヘラと笑った。
「そら生きてるっすよ!ココさん何を言うてんっすか!?ちょっと考え事があって引きこもってただけやないっすか!それに、二人共何なんすっか?その格好は?全然似合ってないっすね!
あ!まさか…希子を連れてきたとかやないっすよね!?うちはまだ気持ちの整理がついてないし、会わへんっすよ!」
まだ何も理解していない乱子が、早口で捲し立てるように喋る。するとココは、乱子が言った『希子』の件を聞いた瞬間、みるみると怒りの表情に変わり、本気の力で乱子の顔面を殴った。
平手打ちで叩くとかでは無かった。乱子の顔面を真正面から握り拳で殴ったのだ。
ココから殴られた乱子は、堪らず部屋の床に仰向けで倒れた。突然殴られた乱子は、何をされたか理解するのが遅れ、心臓がバクバクと鼓動を激しく刻む。すると、その鼓動に合わせるかのように、段々と鼻から上唇にかけてズキズキと激しい痛みが襲い始める。
鼻の穴から温かい液体が流れる感覚があり、それが鼻血だと気付いたのは、震えながら上半身を起こした時だった。
乱子は、片手で顔を押さえながら玄関に立つココ達を見た。だが、鼻を殴られた痛みで目に涙が溜まり、それが邪魔をして視界がぼやけている。
そして、乱子が何か喋ろうとした時、ココが土足のまま部屋に上がってきて、乱子の胸ぐらを激しく掴む。その顔を見ると、ココの目から大粒の涙が溢れていた。
「この格好がなんやって!?似合わへんって!?そらそうやろな!こんな格好似合いたい奴なんかおらんわ!」
「コ…ココさん…!一体何を言うてんっすか…!何で急に怒ってるんっすか!?」
「このボケ!私と鉄平さんの服装をもう一回良く見ろ!」
ココからそう言われ、乱子は改めて二人の服装を頭から足先まで見る。鉄平はいつものサングラスをしておらず、ココはピアスを全て取っており、化粧もいつもと違ってかなり薄い事に気付いた。
そして、乱子はやっと二人の着ているものが『喪服』だと分かったのだ。
「え…あ…あの…。何で喪服なんか着てるんっすか…?」
乱子が、虚ろな目でココに聞く。それに対し、ココは乱子の襟元を強く絞り上げながら答える。
「喪服を着る理由なんか一つしかないやろ!!人が亡くなったんや!!」
感情が抑えきれず、ココの手の力はどんどんと強くなっていく。
「く…苦しいっす…。ココさん…。」
苦しそうにそう言う乱子の顔を見て、ココは突き飛ばすように強く握っていた手を離した。
解放された乱子は、床にヘタったまま、痛む首元を気にしながら、泣くほど怒る理由をココに聞く。
「ほんまに…よく分からんっす…。誰が死んだんっすか…?」
乱子の質問の後、しばらく静寂が流れる。聞こえるのはココの荒い息遣いだけだった。
そして、息を整えたココが乱子の問いに答える。それは、乱子を絶望の奥底まで叩き落とす答えだった。
「希子や!!!!」
ココが泣き叫ぶように言った『希子』という言葉を聞いた乱子は、その単語が全然頭の中に入ってこなかった。
全く予想もしていなかったココの答えに、苦笑いをしながら乱子はもう一度聞き直した。
「へ…?誰が死んだって言いました…?」
ココは、情けない表情を浮かべる乱子に対し、一層怒りが込み上げてきたのか、また胸ぐらを掴み、顔を鼻先まで近付ける。
「しっかりしろや!腐ってんちゃうぞ!乱子!ちゃんと聞け!死んだんは希子や!希子が死んだんや!」
「希子が…死んだ…?え…何なんっすか…それ…?」
ココは言い終わるとその場で泣き崩れた。そして、ココに叩き込むように言われた乱子は、この状況を理解するために必死で頭を動かすが、中々理解が追いつかない。本能が理解する事を拒んでいるような気分だった。
そこで、鉄平が泣き崩れているココを優しく起こすと、落ち着いた口調で乱子に話し出した。
「乱子…。端的に話すから落ち着いて聞けよ。5日前に希子が自宅で死んでるのを、希子の妹さんが発見したんや。死因は薬の大量摂取によるものって言うてたわ。警察も自殺やろうって判断や。ほんで今日、希子の告別式があったから俺とココは参加してきた。お前にもずっと連絡取ろうとしたけど…スマホは繋がらんし…家に来ても反応ないし…。」
鉄平はそこまで話すと、下を俯いて目頭を押さえる。その様子を、呆然と聞いていた乱子の気持ちは、鉄平の話がどこか他人事に聞こえ、絵本を読み聞かされているような感覚だった。
「ちょっと…待って…。希子が死んだって…マジで言うてるん…?そ…そんなわけない…!うちは…だって…ずっと考えてて…気持ちの整理がついたら…希子ともう一回ちゃんと話そうって思ってた所やのに…。ほんで…もう一回らんきりゅうとして…。」
乱子が、希子の死を受け入れられず、自分の気持ちをボソボソと話していると、乱子の中に希子の顔が浮かぶ。
それは、乱子が解散を告げたあの時見た、希子の最後の顔である。ずっと気になっていたあの顔の意味が、ここに来てやっと乱子は分かったのだ。
「あ…あの時の希子の顔…。『死にそうな顔』やったんや…。やのに…うちは気付かんと…手も差し伸べる事もせんと…。」
そして、乱子はそこで糸の切れた人形のように床にうずくまる。
「うわあぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
乱子の号哭が部屋に響く。あの時の希子の気持ちを理解した乱子の、後悔や無念といったやり切れない想いを乗せて…。




