第74話 痛恨のミス
登竜門のセンターマイクの前に立ったらんきりゅうの二人に、客席からとてつもない圧力が襲いかかる。新参者に対する拒否感ともとれるそれが、同じ立場だった無名の芸人達のネタを、数え切れないぐらい狂わせてきた事だろう。
「どうもー!らんきりゅうですー!よろしくお願いしますー!」
いつも通り希子が挨拶をするが、拍手など一つも起こらない。
(重い…めちゃめちゃ重いな…。乱子の掴みでどれだけこの空気を和らげられるか…。)
ほとんどが女性のお客さんで埋められた客席を、どうにか自分達の味方にできるかは乱子に掛かっていた。
「あれ?みなさんもしかして…。」
乱子がわざとらしく客席を一瞥した後に、怪訝そうな顔で言う。
「ウンコ我慢してはります?」
「してるかー!何の我慢大会やねん!」
「だって!これだけ可愛くて綺麗で良い人丸出しの顔したみなさんが渋い顔してはんねんもん!大丈夫ですよ!うちも便秘ですから!」
「『大丈夫ですよ!』やあらへん!誰がそれで『それなら安心ね!』ってなんねん!」
まずは乱子がお客さんが気持ち良くなるように褒めにかかった。そのおかげか、お客さん側の警戒心が少し緩んだ気がする。
「ウンコやないならあれやな…。」
「何なん?もういらん事言わんといてや。」
「みなさんカンサイに人質取られてます?」
「どういう事やねん!」
「たぶんみんなカンサイに人質取られて笑われへんねん!『笑ったら人質のスマホのロック画面を類人猿に変えるぞ!』とか言われてんねん!」
「めちゃくちゃ嫌やなそれ!」
「『まぁでも…チンパンジーかゴリラかは選ばせたるわ。』とか言われてんねん!」
「どっちでもええわ!変な優しさ見せてくんなよ!」
「『じゃあ私はボノボで…。』とか言うてもてんねん!」
「こだわってる人がおるみたいやな!ボノボもチンパンジーも見た目はほぼ一緒や!ボノボが平和で穏やかな性格してるのは画像からだけじゃ伝わらん!」
本ネタに入る前に、いつもより長めに掴みを行い、十分お客さんの空気が緩んだ所を乱子が見計らう。
「みなさん安心して下さいね。うちのスマホのロック画面はアーノルド・シュワルツェネッガーですから。」
「あの人ゴリラじゃないねん!尋常じゃないぐらいマッチョなだけや!」
「それはそうと、さいきんどう?」
「相変わらずネタの切り替え下手くそやな!何やねん『最近どう?』って!」
「いやいやちゃうて、細かい菌で『〝細菌〟どう?』って聞いてん。」
「ばい菌をオススメしてきてたん!?いらんわ!」
「恋の病にかかっちゃう細菌やねんけど。」
「あれ…それはちょっと欲しいな。」
こうして二人はネタを進めていくが、少し緩んだとはいえ、やはりいつもよりウケが悪い。
この状況に、意外と希子の方が段々とペースを乱され始める。
(どうしよ…。何か分からんけど私の頭が回らんくてツッコミの言葉が弱い…。確実に私が足を引っ張ってもうてる…。)
ネタが進むにつれて、希子の焦りが大きくなってくる。何とか気持ちを立て直そうとするが、中々上手くいかない。そんな時、乱子がアドリブの流れをぶち込んでくる。
「あれ?でもそんなん頼らんでも、希子ちゃん恋してる顔してない?」
「は…はぁ!?してへんわ!」
「ほんまに〜?さっきからちょっと震えて顔も赤くなってるし!もしかしてその相手が見に来てるんちゃう〜?」
「来てへんし恋もしてへん!」
「さっきからあんたがチラチラ見てる視線を辿れば〜その相手が分かるんちゃうか〜…。」
乱子が指を差しながら希子の視線の先を辿るような仕草をとる。
「え…照明の梶原さんなん…?」
「ちゃ…ちゃうわ…!ベテラン照明の梶原さんに恋してない!お…おじいちゃんやし…!」
ここで、希子のツッコミが大きくブレてしまう。
(や…やってしまった…!アドリブ中やのに色んな事に気を取られ過ぎてしまった…!)
『恋してる云々』からは乱子のアドリブだったのが原因なのだが、乱子のボケは決して悪くは無かったし、本ネタのままいくよりも良い判断だった。
それに、らんきりゅうの醍醐味は、普段からしている面白い会話劇にこそある。それを本ネタ中に入れる事によって大きな笑いを勝ち取ってきた。
だが、ブレた希子のツッコミにより、乱子が頭の中で描いていたアドリブが台無しになったのだ。
だから、乱子は自然と本ネタの方へと戻る。
「あらあら、たぶんドンピシャで恋する相手を当てられたから、希子ちゃんが慌てふためいて雑なツッコミになってしまいましたけども。」
「あんたのせいやろ!ちょっと!梶原さんもまんざらじゃない顔せんといて下さい!」
乱子のフォローに乗っかって、なんとか希子も持ち直す。だが、この登竜門のお客さんはそれほど甘くはなく、希子のミスが本物だと気付いており、笑い自体はそれほど大きなものにはならなかった。
そして、そのまま乱子達はネタを進めていき、オチに差し掛かる。
「まぁうちは恋なんかでけへんねんけどな!」
「なんでやの?あんたもしたらええやんか!」
「無理やねん。カンサイに人質取られてるから。」
「関西芸能の闇は深いな!もうええわ!」
「「ありがとうございましたー!」」
ネタを終えて舞台袖へと向かうらんきりゅうの二人に、客席からはまばらな拍手が送られた。
ウケ方としては、登竜門に出場した芸人の中でも上位ではあったが、普段の力を発揮できなかった事を考えると全く納得できなかった。
それに責任を感じた希子が、楽屋で乱子に謝罪する。
「ごめん…。私がミスってしまった…。」
下唇を噛み、心底悔しそうにする希子に、乱子はキツイ一言を返した。
「なんか、いつかこうなるって分かってたわ。」
らんきりゅうの明るかった未来に、陰りが見え始める。




