第73話 登竜門
12月の中旬、らんきりゅうの二人にチャンスが訪れる。それは、フレッシュハウスで定期的に開催されているライブの中でも、最も有名な『登竜門』の出演が決定したのである。
この『登竜門』は、カンサイに所属する若手芸人が一気に名を馳せる事が出来る賞レースである。
フレッシュハウスは、KCSと同じ様にランク制が用いられており、上から〝メディア組〟〝A〟〝B〟〝C〟〝オーディション組〟と分けられている。1番トップのメディア組はたった3組にしか許されておらず、そこまで登り詰めればテレビへの出演などが確約される。
本当なら地道な活動をし、結果を出し続け、一つ一つランクを上げていくのだが、『登竜門』で目覚ましい結果を出せば、CクラスからAクラスに一気にステップアップが出来たりする。そのため、この『登竜門』の出演が決まった芸人は、死にもの狂いで笑いを獲りにいくのだ。
その『登竜門』の当日、フレッシュハウスの楽屋で乱子と希子がネタについて話し合っている。
「やっぱり私はこっちのネタでいった方がええと思う。確実に笑いを取れるのはこっちやと思うから。」
「うちはインパクトの強いネタの方がええと思うねんけどなー。」
「それはリスクが高過ぎるって!今回のライブのお客さんはいつもの人達とは違う。めちゃめちゃ目の肥えたお客さんばっかりなんやから!」
「分かった分かった。希子の好きな方でええよ。絶対うちらが1番を取るって結果は変わらん。」
「そんな事ない。私らはまだKCS生でCクラスにも入れてないんや。ほんまやったらオーディション組で登竜門にすら出る資格は無い立場やねんから…。」
「そんなもん、一気にぶち抜いたったらええんや。うちらにはこんな所で足踏みしてる暇は無いんやから。」
「乱子…。」
乱子の焦る気持ちは、やはりフラッシークラウンの躍進にあった。この時すでにフラッシークラウンはフレッシュハウスのAクラスに所属しており、なんとOABに初挑戦ながら準々決勝にまで駒を進め、とんでもない超新星が現れた事に関西芸能のみならず、関西の芸人界隈が大きく揺れ動いていたのだ。
「あいつらの背中は見飽きたんや。だから、今回の登竜門で周りをアッと驚かす結果を出したる。」
「そう…やな…。絶対に1番の結果を出そう…。」
乱子の発言に、希子は複雑な気持ちになっていた。実際、希子は彼氏である荒木の活躍を心の底から嬉しく思っていたのだろう。しかし、最も大事な存在の乱子が、フラッシークラウンの活躍に反発の気持ちを持っている。板挟みに合っているような希子の心は、徐々に軋む音を立て始めるのだった。
そんな二人に、同じく登竜門に出場する芸人達が見下したような視線を浴びせながら、コソコソと陰口を言っている。
『KCSではスペシャルとか言われてるけど、フラッシークラウンとはえらい違いやな。』
『所詮女芸人やろ。大した事ないて。』
『あのボケの方の奴、かなり調子に乗っとるみたいやからな。今回のライブでスベり散らかしたらええねん。』
『俺らが何年も苦労してやっとここまで辿り着いたのに!あいつらは…!』
彼らの言っている事は全て妬みである。だが、これこそ芸人の世界なのだ。いや、芸に携わった世界なら当たり前の事だろう。芸人、アイドル、歌手、俳優、声優など、どの世界でも上を目指せば避けては通れない道である。
そんな人の悪意ともとれるような感情が渦巻く世界に耐えきれず、数多の才ある人間が消えていったことだろう。
希子もその一人であり、初めて人の負の感情を真正面からぶつけられる場所に萎縮してしまっている。KCSや、今まで出たライブで感じていた〝人からの嫉妬心〟とは比べものにならないこの空気に、希子の緊張感は頂点に達していた。
「なぁなぁ、もしも朝起きてチンコ生えてたらどうする?」
アホな乱子が突然意味の分からない質問を希子にしだした。
「は…はぁ!?急に何なん!?」
「いやな、この前のココさんとの第7回下ネタパーリナイの時に物議を醸した議題やねん。」
「あれ…第7回もやってんねや…あんたら暇過ぎるやろ…。」
「ココさんはとりあえずSNSに投稿するとか言うててんけど、どうもうちは納得でけへんくて、もっとなんか…世界から戦争を無くすような事ができるんちゃうかと思うねん。」
「ら…乱子何を言うて…」
ネタを考えている時よりも真剣な顔つきで話す乱子を見ていると、希子の緊張がほぐれてくる。
「あはは!ほんまあんたは…。」
「あ!何で笑うんや!いや!ええやろう!歴史に名を残した賢人達も始めは笑われたはずや!うちはこの問題を解決して!この世界から戦争を―」
「無くなるかー!そんなもんで平和な世界が訪れるんやったら私も生やしたるわ!」
「え…キモ…。うちはそこまで言うてない…。」
「こいつ…!いっつもいっつもこっちがツッコんだってんのに!」
そこで、希子がバシーン!と乱子の胸を叩く。
「痛ーーーっ!!やめろや!せっかくの胸が無くなるやろ!」
「元から無いくせに何を言うてんねん!あるっていうのは私の胸みたいなもんを言うんや!」
「うわぁ…。とうとう巨乳を武器にしだしたわ…。これやからグラマー女子は…。」
「うるさい!」
乱子と軽く漫才をした希子は、今は完全に緊張がほぐれ、笑顔を取り戻している。そして、希子が乱子に聞こえないような小さな声で呟く。
「やっぱり…あんたは私のヒーローやわ…。」
そう呟いた希子は、クサい言葉を言ってしまった恥ずかしさからか、誤魔化すようにストレッチを始めた。
その様子を見ていた周りの芸人達は、乱子と希子の実力の一端を目にし、悪態をつくのを止める。
そして、『登竜門』が開演の時間を迎え、次々と順番が回ってきた芸人達が舞台へと向かう。
らんきりゅうも自分達の出番が近付き、舞台袖近くで立って待つ。
普段なら舞台袖に来ると笑い声がよく聞こえるのだが、今日はそれがあまり聞こえない。やはり、『登竜門』のお客さんは一味違うと希子は感じる。
「おーい。次はらんきりゅうやけどおるかー?」
「ここにおるでー!」
スタッフから声が掛かり、乱子が返事をしてから舞台袖ギリギリの所で待機する。
そして、前のコンビのネタが終わり、出囃子が流れる。いつもならキラキラと輝いて見える舞台が、今日は何故か自分達を飲み込む光に見える。
完全なアウェイの空気の中、乱子と希子は、フラッシークラウンの背中に追い付くために、一歩前へと踏み出すのであった。
ここで、また一つ歯車が狂ってしまう事も知らずに…。




