第72話 予兆
希子の地元に帰省した後、10月、11月と時は過ぎていく。その間、らんきりゅうはフレッシュハウスの定期ライブに出演したり、小規模のローカル賞レースで優勝したりと、順調に実績を積み上げていた。
しかし、確実に一段ずつ階段を登っていくらんきりゅうに対し、フラッシークラウンは何段も飛ばしながら階段を駆け上がっていたのだ。
そんなフラッシークラウンの背中を追うような毎日に、乱子はフラストレーションが溜まっていた。
そんなある日、乱子と希子が、小さな賞レースで優勝したお祝いで、鉄平といつもの日本橋の居酒屋でご飯を食べていた時の事である。いくら小さいとはいえ、KCS在学中にこれだけ結果を出しているにも関わらず、不機嫌そうにご飯を食べている乱子を見て、鉄平は何が不満なのか彼女に質問をする。
「おい乱子よ、何がそんなに気に食わんねや?今日だって優勝できたやんけ。」
「はぁ!?超が付く程のローカル賞レースやがな!『鶴見商店街よっこいしょグランプリ2020』って何やねん!2020とか付けて『ちょっとでも大きいイベントっぽくしたろ』みたいな目論見が腹立つし!
ほんで審査委員長の〝マジポンヌひろ吉〟って誰やねん!優勝しても賞金も賞品も無し!『名誉よっこいしょ民』って意味分からん地位だけ与えられたわ!」
「お?なんや?マジポンヌひろ吉さん知らんのか?」
〝マジポンヌひろ吉〟。芸歴30年を超えるベテランであり、『嘘みたいな本当の話』をしゃべった後に『マジ!?マジマジ!!マジポンヌ!!』という決め台詞を放つネタをするピン芸人である。ネタは全く面白くない。
「知るかー!!うちらの後にネタしてたけどおもくそスベってたがな!!」
それを聞いた鉄平が堪えきれずに『ガハハ』と大笑いする。隣に居た希子も、他人事ではないのにクスクスと顔を背けて笑ってしまった。
「何を笑てんねん!あいつらはどんどん先に行ってるっていうのに!」
「フラッシークラウンの事か?」
「そうやんか!あいつらはうちらより大きいライブに出たり!賞レースもテレビに映るような大きいのんにも出とる!何でうちらと差が出るんや!?」
乱子からの予想通りの返答に、鉄平ははっきりと乱子に事実を告げる。
「それはな、フラッシークラウンの方がおもろいって結果が出とるからや。」
「そんな事…!」
「あぁそうや、そんな事ないな。少なくとも俺はらんきりゅうの方がおもろいって思ってる。」
「それならなんでや!」
「同じスペシャルでも、あいつらの方が金になるってカンサイの判断なんや。」
鉄平の口から出た社会的で非情な理由に、納得出来ない乱子はとうとう机を強く叩きながら立ち上がる。
「そんなもん納得でけへんわ!うちらがあいつらに負けてる所なんか一つもないはずや!」
店内にいる他のお客さんの事も考えず大声を出した乱子を、希子が周りに頭を下げながら座らせる。
「乱子…一回落ち着こ。私らだって他のKCS生からしたらかなり特別な待遇受けてるんやから。」
「でも!こんなペースやったら希子の夢が!」
「大丈夫やから…。私の事考えてくれててありがとう。」
乱子が、希子のお母さんの事を気にして焦っているのが希子には分かっていた。それは自分も同じだったからだ。その二人の焦りが、最近の漫才に悪影響になっている事も…。
そこに、タバコを吸いながらココがやって来て椅子に座る。またややこしいタイミングでやって来たなと思った鉄平が声を掛ける。
「ココ…俺らは一応お客さんやぞ。」
「私も今からお客さんです。バイト終わったんで。」
鉄平が時計を確認すると、時刻は22時を過ぎていた。もうそろそろ乱子達を帰さなければならない時間になっていたため、鉄平が会計をしようと立ち上がると、すでにココがグビグビと生ビールを飲んでいる。
「おい…ココ…何してんねん…。」
「鉄平さん、ゴチになりまふ。」
いつもはクールなココが語尾を可愛く噛んだ事に、乱子と希子はキュンッとなる。
「アホ!もう乱子らを帰さなあかんのや!」
「え?そうなん?まだ愚痴り足りへんのとちゃう?」
ココが2本目のタバコに火をつけながら乱子に話を振ると、乱子も乗り気になる。
「はい!まだまだ話したい事あるっす!でもココさん!タバコ臭いっす!」
「タバコは心を安らかにしてくれるんや。我慢しなさい。ほんで、乱子も喋り足らんみたいやし、鉄平さん2軒目行きましょうよ。」
「はぁ!?お前ら俺を何やと思てんねん!」
「財布。」
「エセプロレスラー。」
「ココの財布は正直に言うとるからまだ許したるわ。乱子のエセプロレスラーだけは許されへん。何か分からんが腹立つわ。」
乱子とココがケタケタと笑いながら鉄平をイジっていると、希子が申し訳なさそうに手を挙げる。
「あ…あの〜…。私は用事があるんでここで帰らせてもらいます…。」
「お!そうか、気を付けて帰るんやぞ。」
そう言う希子に、鉄平は普通に対応するが、乱子の表情が少しムッとしたものに変わる。
「荒木か?」
「え…いや…うん…。」
「今からココさんと下ネタパーリナイが始まんのにこーへんのか!?」
「そんなパーティーには用事が無くても行きません。」
きっぱりと下ネタパーリナイを断られたココは、ちょっと傷付いて口を尖らせている。
「あの!じゃあお先に失礼します!ご馳走様でした!」
これ以上この場に居ても、乱子にグチグチ言われるだけなので、希子は足早に店を出ていった。
そんな希子の背中を見送った後、ココが少し羨ましそうに話し出した。
「希子ちん上手いこといってんねやー。ええなぁ、私にも彼氏でけへんかなー。」
「ココさんは無理っしょ。」
「おい、私にも傷付く心はあんねんぞ。」
「何か…最近希子は荒木によく会いに行きよるんですよね…。」
何か悪い予感がするのか、憂いた表情を見せる乱子のせいで空気が重く沈んでいく。
それに気付いた鉄平が、2軒目に行く事を二人に促した。
「まぁ話の続きは次の店でええがな!ほら行くぞ!」
気を遣った鉄平の言葉に、乱子もココも笑顔になって店を出ていく。
「下ネタパーリナイやー!!」
「わっしょーーーい!!」
「やめろ!街中で変な事を大声で言うな!そんなパーティーなんかせーへんぞ!」
乱子は楽しそうにココと歩いているが、どこか無理矢理悪い事を考えないようにしている様に見え、鉄平は心配の眼差しを乱子に向ける。
これが、未来への歯車が狂う1つ目の予兆であるとは、まだ誰も知らなかった。




