第35話 乱子の反撃
頼みの綱の乱子は、華の振りに全く反応しない。まるで、絶望に包まれた顔のまま固まっているかのようだった。
「あ〜あ…。乱子はもうあかんか〜、華ちゃんが頑張ったのに無駄になったの〜。」
「うーん。乱子に限ってそんなはず無いと思ってたんやけどな。でも、あの固まりようはちょっとオーバー過ぎると思うねんけど―まさか…。」
反応の無い乱子に対して、華は段々と気持ちに変化が訪れてくる。それは、焦燥感でいっぱいだった心に、怒りの感情が侵食し始めたのだ。
(このー!あたしが頑張ってこの場を引っ張ってんのに乱子は何なん!?アホみたいな顔でフリーズして!もう良い!どつく!)
すると、華は右手を大きく挙げて、自分の右側に立つ乱子の後頭部を思いっきり叩いた。
「ほんであんた!いつまで情けない顔で固まってんねん!」
パシーーン!という軽快な音が娯楽室に鳴り響くと、クスクスと小さな笑いが起こると共に、乱子がやっと目を覚ました。
「はっ!?ここどこ!?」
「漫才の舞台や!」
「え!?誰!?」
「相方の華や!」
「うわ!じいさんばあさんの群れや!」
「群れとか言うな!またぶち殺すって言われるで!」
「殺す…あ!思い出した!華が最初の挨拶でたくさんの老人の方々を殺してしまったんや…。それでうちは衝撃の結果に固まってもうて…。」
「殺してへんわ!むしろその後元気に『ぶち殺すぞ。ガキ共』って言われとんねん!あんたのせいでな!」
「大丈夫やから…華…うちがついてる…一緒に自首しに行こな…。」
「いや行くかー!優しくギュッてしてくな!」
「でも面会ではもうお互い触れられへんねんで?今触れとかな。」
「なんで有罪確定して刑務所行く事なっとんねん!だから誰も死んでないて!」
「そんなわけない!みんな死んでなあれだけ『シーーーーン…!』ってなるわけないやろ!うちがババスベリしたみたいやんか!」
「ババスベリしたんや!逆に相手様が殺意を覚えてまうぐらいのスベリ方やったわ!」
「あれ?ふと思ってんけど、ババスベリがあるならジジスベリもあるんかな?」
「知らんわ!ってかもうジジババでボケるのやめて!この場でそんな事ようできるわ!」
「うわ…華もジジババって言い方してるやん。きっつ…。」
「あんたのせいや!」
目が覚めた乱子は、さっきまで固まっていたとは思わせない勢いで漫才を始める。
『アハハハハハハ!』
あまりにも急に始まった乱子の怒涛の喋りに、入居者の人達は勢いに飲まれて思わず笑ってしまう。あれだけ頑張っていた華をイジくり倒しているのが理不尽で面白いのだろう。
そのあまりにも急な展開に、舞台袖の美幸と太郎は目を丸くして驚いている。
「あれ〜。乱子がまさかの爆笑取りだしてるで…。」
「あいつはほんま…!全部計算やったって言うんか…。どんな心臓しとんねん!やっぱあいつ狂ってるわ!」
「いやいや、それは無いやろ〜。あそこまでシラけた空気になってたんやぞ。」
そこで美幸は、いつの間にか握りしめていた手の中が汗で濡れている事に気付く。
「たぶん…計算や。全部はじめから決めてたわけやないと思うけど、そこがアドリブの強みやな、相手のリアクション次第でなんぼでも柔軟に対応できる。」
「そやかて、あの地獄の空気は数分続いたぞ。リスクが高過ぎへんか?」
「乱子は自分の苦手な長尺をちょっとでも短くしたかったんやろ。それはまんまと成功したっちゅーわけや。」
「んなアホな!15分全部捨てる羽目になるかもやぞ!いや、それどころやない!途中で終わらざるを得ない状況になってまうわ!」
「乱子は巻き返す自信があったんや。あの固まっとる時間の間に必死で漫才の道筋を作っとったんやろ。」
「ぶっつけ本番で…ギャンブルやないか。」
「その通りや。こんなもん、紐がついてるかついてないか分からん状況でバンジージャンプを飛ぶようなもんや。でもな、あいつは信じとったんや。絶対に紐がついてるってな。」
「その紐っていうのは…まさか…。」
「華ちゃんやな。華ちゃんが必ず持ち堪えてくれるって信じとったんや。私には無理や。華ちゃんはド素人でしかも初漫才やで…そんな中であの空気を突破してくれるなんて微塵も信じられへんわ。」
「俺には壮大過ぎてよう分からんわ…。」
二人からは見えない観客側から聞こえる笑い声に、美幸は心底悔しそうに歯を食いしばる。
「はぁ…。嫌になるな…。天才共と一緒にやると…。毎回毎回実力の差を見せつけられるわ…。」
「『共』って事は、華ちゃんもか?」
「見てたら分かるやろ。認めなしゃーないやないか。さっきまであんな空気やったのに、もう楽しそうに漫才しとるんやもん。」
「まぁええやないか!俺らは俺らや!今はガーリー・ロックの漫才に勉強させてもらおや。」
乱子と華の漫才を見ていると、美幸と太郎は悔しさを忘れ、とうとう諦めたように微笑んだ。
そして、乱子と華が持ち直して漫才をしている中、デコボコカップルの漫才ではピクリともしなかった強面の老人が、片眉を上げながら呟く。
「ほぉ…なるほどな…。やるやないか。」
しかし、まだ老人の顔に笑顔はない。乱子は残りの時間で老人を笑わせる事ができるのだろうか。




