第10話 ヒーロー
華は気力を振り絞って、落とした資料を拾おうと屈むと、前から桐原が歩いてくるのが見えた。資料を拾うのを手伝ってくれるのかもしれないと、一瞬頭の中をよぎったが、そんな考えはすぐに消える。
「ほな、ライブ頑張ってな。」
桐原は、一言そう言い残すと、華を見る事すらせずに早々と事務所を出ていった。
残された華は、惨めさが溢れてきて、手に取っていた資料をグシャっと握り締める。そして、クシャクシャになった紙の上に、ポタポタと涙が流れ落ちた。
小さく、声にならない嗚咽が静かな事務所に微かに響く。そんな華を見かねた三田が、資料を拾い上げながら声を掛けてきた。
「華奈…。卒業ライブ…キャンセルでもええんやぞ。」
「………。」
三田が気を遣ってそういった案を出してくれているのは分かる。だが、華からすれば、三田の案は助ける事を放棄したようにしか聞こえなかった。
そんな三田の案を聞いて、心の折れた華は、もうどうでもよくなり、本当に卒業ライブをキャンセルしようと思った。
「……。三田さん…あたし…卒業ライブを…」
その旨を三田に伝えようとした時だった、華の頭の中に、何故か乱子の顔が思い浮かぶ。
物凄いエネルギーを撒き散らせながら舞台に立っていた彼女を思うと、まだやれる事があるのかもしれないと、ほんの少しの勇気を与えられたようだった。
(なんで…やろ…。乱子さんを思うと…ちょっと力が湧いてくるのは…。)
「おい!華奈!大丈夫か?卒業ライブをどうするんや?やっぱりキャンセルにしとくか?」
どうせ最後の舞台なんだと、最後ぐらい自分らしく爪痕を残して散ってやろうと、華は強くそう思い、涙を拭って力の戻った目で三田に答える。
「いえ。やります。予定通り今週末に卒業ライブをします。あたしも色々考えるのでこれで失礼しますね。」
「お…おう…。」
華の答えを聞いた三田が、豆鉄砲を食らったような顔をしたところを見ると、初めからここで華は心が折れて、どうせ卒業ライブをキャンセルするという算段だったのだろう。
それがたぶん、桐原の作戦だったかもしれない。『そんなものには自分は負けたくない』その一心で、華は何とか前を向いて事務所を後にするのであった。
しかし、華は事務所を出て、数歩歩いた所で困った顔をしながら立ち止まる。
(はぁ…。勢い良く出たものの…どうすればええんやろ…。ちゃんと人来るんかな…。やっぱり心はグシャグシャのままや…。ほんまに病みそう…。)
卒業ライブまで後4日しか残っておらず、タイムテーブルも自分で作成しなければならない。華は、手を差し伸べてくれる人間が一人も居ない状況がこれほどまでに苦しいとは思わなかった。
その時である。
「おーい。そこの女子。道に迷ったんか?人生の。」
昼間に嫌という程聞いた声が後ろから聞こえる。先程、自分に勇気を与えてくれた人の声に、華はゆっくりと振り向いた。
「乱子…さん…。」
振り向いた先には、両手を腰に当てて堂々と立つ乱子の姿があった。丁度通りがかった車のヘッドライトが彼女を後ろから照らし、それによって光り輝く乱子が、華にはヒーローのように見えた。
「で、迷ってるんか?道に。人生の。」
「さっきからそれうるさいです。わざわざ倒置法で聞いてくんのも腹立ちますし、それに人生の道は迷ってませんから!」
「あはは!ナイスツッコミ!さすがうちの相方やで。」
「相方ちゃいますから!っていうか、乱子さんは何でここにおるんですか?」
「ん?金玉やな。あ、間違えた。たまたまやな。」
「よくそんなベタなボケで自分の事天才やとか言えますね…。」
「そんなん言いつつ笑てもてるやん。」
華自身そんなつもりはなかったのだが、言われてみれば口角が少し上がっている事に気付く。
「その!なんか!金た…とか!たまたま!とか!そんなんで笑ったんじゃないですから!」
「いやいや!『たまたま』のイントネーションが、金玉を表す方の『たまたま』になってますやん!アイドルやのに!」
乱子が指摘したように、確かに『たまたま』の『た』の部分に強くアクセントを付けてしまった。
「もう!いらんとこ拾わんで良いです!ほんまに!どうやってあたしの居場所が分かったんですか!?」
「これ。」
乱子はそう言うと、華がライブハウスで落としたビラを手渡してきた。
「あ…これ…。」
「このビラに書いてある運営を鉄平に調べさせたら、このビルの住所が出てきたからな。ちょっと寄ってみただけや。ほんまに華がおるとは思わんかったけどな。運命やん。」
「それでも…。何であたしなんかのためにわざわざ…。」
「華、死にそうな顔してたから。」
乱子のその言葉に胸が締め付けられ、華の目から涙が自然と一粒零れ落ちる。




