第九話
王鉄のチームと鉢合わせしたのは、三本目の旗を探して尾根を下りかけた頃だった。
向こうも白霜たちに気づいて、足を止めている。王鉄が腕を組んだまま、じろりとこちらを見た。値踏みするような目だ。
「何本持ってる」
「二本」
「こっちは三本だ」
王鉄はふんっ、と鼻を鳴らした。それからしばらく何も言わずに前方を一瞥して、顎をしゃくる。
「左の分岐は行くな」
それだけ言って、歩き出した。子分たちが慌てて後を追う。王鉄の背中が木々の向こうに消えてから、阿寛がようやく声を出した。
「…今の、なんだ?」
「左の分岐は行くな、って」
「なんで教えてくれたんだ」
「さあ」
白霜にも理由がわからなかった。親切心とは少し違うし、気まぐれとも思えない。ただ、あの男がわざわざ嘘をつく理由もなかった。
「じゃあ、右に行こうか」
「信じるのか?」
阿寛が眉をひそめる。だが、白霜は迷わず頷いた。
「信じる」
李従も孫堅も納得していない顔だったが、それ以上は言わず後に続いた。
◆
「よっしゃ!三本目!」
王鉄の勧め通り分岐を右に回ると、たしかに三本目の旗があった。阿寛がはしゃいで手に取り、李従が地図に印をつける。
「…そろそろ野営の準備しないと」
孫堅の言葉に空を見上げると、木々の隙間から見える空が橙色に染まり始めていた。思ったより時間が経っている。
「この辺りで準備しよう。平らな場所を探して」
少し歩いた先に、うってつけの場所を見つけて荷を下ろした。
阿寛が枯れ枝を集め、孫堅が地図を広げて翌日のルートを確認している。李従は無言で荷物から食料を取り出した。白霜は周囲の気配を探りながら、火の準備に取り掛かる。
「火、どうやって起こすんだ」
阿寛が枯れ枝を抱えたまま聞いた。
「石打って火おこしできる奴いる?」
「木を擦る方が簡単だよ。乾いた細い枝と、少し太めのを一本。…で、ここに切り込みを入れて」
細い枝を両手で挟んで回転させると、しばらくして煙が上がり、やがて小さな火が生まれる。
「おお!」と阿寛が目を丸くするから、思わず白霜の口に小さな笑みが浮かんだ。
「どこで覚えたんだ、そんなの」
「…教わった」
「旅の師か?」
「うん。まあ」
沈燼だった。
山で一緒に過ごした夜、不器用に枝を擦り合わせて笑っていた。白霜が手を貸すと、「さすがだな」と言って、少し照れたように視線を外した。あの横顔が、ふと浮かぶ。
(思い出したくないのに)
途中で仕留めた兎の肉を焼きながら、白霜は火に視線を落とす。沈燼が山の木の実をすり潰して香りをつける方法を教えてくれたことを思い出し、試してみると─思ったより悪くない。
「うまい!なんか香りがする。これ、どうやったんだ」
「この木の実をすり潰して混ぜた」
「よく知ってんな」
「…教わった」
今度は短く答える。誰に、とは言わない。
「凌博は山育ちだっけ?どんなとこだったんだ」
目を閉じると、あの山が見える気がした。朝靄の中に浮かぶ、鉄嶺荘の輪郭。そこかしこで響く訓練の声と、昼飯どきの美味しそうな匂い。
だけどその美しい思い出は、すべて燃えてしまった。
「…静かなところ」
阿寛はそれ以上聞かない。
火が、静かに燃えている。あの日と同じ揺らめきで。
◆
火が落ち着いた頃、四人並んで夕餉を食べた。
しばらく誰も喋らなかった。火のはぜる音と、遠くで鳴く鳥の声だけが続く。阿寛が珍しく静かだと思っていたら、火を見つめたまま、ぽつりとこぼした。
「俺さ、軍に来る前、ずっと田舎にいたんだよ。食えなくて来たんだけど…なんか、今日楽しかったな」
誰も答えない。けれど、空気は柔らかかった。
「坊主はなんで来たんだ」
「…やりたいことがあって」
「へえ。なんだよ」
「内緒」
「教えろよっ」と阿寛が体ごとこちらを向く。
「李従は?」
「まあ、色々あって。お前と似たようなもんだ」
李従は火を見たまま答えた。
「孫堅は?」
「強くなるために来た。それだけだ」
即答だった。阿寛が少し目を丸くして、それから笑う。
「ほんとお前はブレないな。志が高い」
「性分だ」
孫堅は少し照れたように視線を外した。
「強くなりたいと思ったら、来るしかなかった」
「家族は反対しなかった?」
白霜が聞くと、孫堅は少し間を置いた。
「…した」
事情があるのは、私だけではない。
白霜は火を見つめながら、この四人で夜を過ごしていることを不思議に思った。それぞれに背景がある。それぞれに抱えているものがある。だが今夜だけは、ただの仲間だった。
やがて阿寛が「俺、先に寝るわ」と横になると、あっという間に寝息を立て始めた。孫堅も地図を畳み、静かに目を閉じる。李従は火が消えるまでしばらく起きていた。白霜も同じだった。
ふと、李従が口を開く。
「凌博」
「なに」
「…何でもない」
一瞬、迷ったような表情が見えたけれど、気のせいだったのかもしれない。白霜が視線を向けると、李従はもう目を閉じていた。
(何が言いたかったんだろう)
引っかかりを覚えながら、白霜は空を見上げる。木々の隙間から、いくつかの星がのぞいていた。
鉄嶺荘の山から見た星と、どこか似ている。
沈燼と、何度も夜空を見た。
降り注ぐ淡い光の下で、ずっと一緒にいられると思っていた。
(馬鹿みたい)
込み上げてくるものを、静かに飲み込む。怒りなのか、悲しみなのか、自分でもよくわからない。ただ、星だけが変わらずそこにあった。
白霜は膝を抱えて、夜の番を続けた。




