第八話
王鉄が変わったのは、決闘の翌日からだった。
朝の点呼で隣に並んでも絡んでこない。食堂で目が合っても、視線を逸らすだけ。肉を奪いに来ることも、槍に手を伸ばしてくることもない。ただ、黙っている。
「なあ坊主、王鉄さんなんか大人しくないか」
阿寛の耳打ちに、白霜は素振りをしながら答えた。
「勝負したから」
「それだけで変わるもんかねえ」
変わる、と白霜は思った。
あの類の人間は、力でしか納得しない。逆に言えば、認めさせさえすれば、それ以上は何もいらない。敵にする必要も、味方にする必要もない。ただ、干渉してこなくなる。それで十分だった。
◆
数日後。朝の冷えが残る訓練場に、孟岩秋の声が鋭く響いた。
「明日から二日間、山岳演習を行う。四人一組でチームを組め」
ざわり、と空気が揺れる。
白霜は無言のまま顔を上げ、視線だけを横に流した。阿寛、李従、孫堅──自然と、同じ顔ぶれが目に入る。
「…俺たちで組むか」
阿寛の一言に、誰からともなく頷きが返った。
演習は単純明快だ。
山中に設置された旗を奪い合う。複数のチームが同時に山へ入り、制限時間内に最も多くの旗を確保した者が勝つ。実戦を想定した地形で行われるため、道なき道を進むことになる。武器は演習用の木刀のみ、というのが決まりだった。
「チーム決まったし、次はリーダーだな」
阿寛が腕を組み、なぜか満足げな顔をする。
「これは俺しかいないっしょ。統率力、体力、経験──」
「凌博だろ」
李従が間髪入れずに言った。
「え」
「異論ある?」
「…俺の自己紹介、最後まで聞いてくれよ」
「凌博が適任だと思う」
孫堅も続ける。
「判断が速い。冷静。リーダーに必要な資質がある」
「孫堅まで!?」
阿寛は、目を見開いて白霜を見た。
「坊主、なんか言えよ」
「阿寛は先頭が向いてる」
「…それリーダーじゃないよな?」
「先頭は大事だよ」
「慰めてくれてる?慰めてくれてるよな?」
李従が小さく笑う。孫堅は真剣な顔のまま「決まりだな」と短く結論づけた。
阿寛はしばらく天を仰いでいたが、「わかった。でも手柄は全部俺のものな」と笑うと、さっさと地図を覗き込み始めた。
白霜が地図を大きく広げると、四人の影が紙の上に落ちた。
「李従。この北側の尾根、他のチームはどう動くと思う?」
「険しいから、大半は東の緩やかな道を選ぶと思う」
予想通りの答えだ。白霜は尾根に指を置いた。
「なら北側を取る。旗が密集してるうえ、競合も少ない」
李従と孫堅を交互に見る。
「阿寛は先頭で障害を排除。李従は地図と方角を任せる。孫堅は体力を温存しつつ後方警戒。私は全体の気配を見る」
「気配?」
阿寛が首を傾げた。
「うん。気配。山の中では索敵が一番大事。旗より先に他チームの位置を把握しないと、挟まれる」
「理にかなっている」
孫堅が短く頷いた。阿寛も続いて頷くが、すぐに口を開く。
「わかった。でも俺が一番活躍するからな」
「どうぞ」
一拍の間があった。
阿寛が「…なんか負けた気がする」と呟き、悔しそうに口を曲げた。
◆
翌朝、夜明け前に出発した。
山の中は静まり返り、朝靄が低く漂っている。先頭の阿寛が枝を払いながら進み、李従が地図を確かめつつ方角を示す。孫堅は黙々と後方を警戒し、白霜は全体の気配を探りながら歩いた。
最初の旗は、尾根手前の木に結ばれていた。阿寛が真っ先に駆け出し、ひったくるように取る。
「一本目!」
「阿寛、声が大きい」
白霜が注意すると、阿寛は慌てて口を押さえた。
二本目を探して進む途中、前方から人の気配。白霜が手で制すると、四人の動きがぴたりと止まる。
「別チームだ。三人いる」
白霜は声を潜めながら、岩陰に目を向ける。旗はあの裏だ。ただし三人に気づかれれば、四方から挟まれる。
「どうする」
阿寛が小声で問う。
「阿寛が正面で音を立てて気を引く。その間に李従と孫堅が迂回して旗を取る。俺は阿寛の援護。どう?」
「おとり役か」
阿寛は一瞬だけ考え、にやりと笑った。
「わかった、任せろ」
木刀を構え、身を低くした。次の瞬間には、もう動いていた。
作戦はうまくはまった。
阿寛が派手に枝を踏み折りながら正面に現れると、別チームの三人が一斉に振り向く。その隙に、李従と孫堅が裏から回り込み、旗を抜いた。
「取った!」
孫堅の声が、珍しく弾む。
「よし、撤退」
駆け出した四人の足音が、山の斜面に散る。追ってくる気配。相手も、足が速いようだ。
白霜は走りながら地形を読んだ。このまま真っ直ぐでは追いつかれてしまう。細い斜面へ進路を変えると、狙い通り、先頭の一人が前に出た。地形が絞られ、横に広がれない。その一瞬を待って、白霜は振り返りざまに木刀を振った。牽制で十分だ。相手が足を止めた、その隙に三人が抜ける。白霜はすぐに背を向け、最後に斜面を駆け下りた。
「坊主、やるじゃないか!」
阿寛が走りながら声をかける。
「作戦通り」
「お前、かっこよかったぞ」
「…ありがとう」
「なーに照れてんだよ」
白霜は何も言わなかった。
それからしばらく、四人は無言で山を進んだ。木々の隙間から差し込む光が、少しずつ傾いてくる。白霜は歩きながら、ずっと周囲の気配を探っていた。
ふと、足が止まった。
何かがおかしい。正体はわからない。ただ——山の空気が、さっきまでと違う。




