第四話
第三隊の兵舎は、城砦の北側にあった。
二十人ほどが雑魚寝する大部屋に通されて、隅の寝台を割り当てられた。荷物を置きながら、さりげなく周囲を見渡す。食えなくて来た者、罪を帳消しにするために来た者、本当に戦いたくて来た者。さまざまな顔ぶれだ。
「おー、審査場にいた細いやつじゃないか!」
隣の寝台から声がする。日に焼けた、愛想のいい顔をした男だった。どこかで見た顔だと思ったら、審査の列に並んでいた男だ。まさか同じ隊になるとは。
「…どうも」
「縁があるな!俺の隣だから、よろしく。阿寛っていう」
男はにかっと歯を見せて笑った。
「審査の時からずっと気になってたんだよ。女みたいな顔したやつがいるなって」
「お、女じゃない!」
「え、急になに」
「男!俺は男!」
「…わかってるよ」
阿寛は少し引いた顔で言った。
「そんな力説しなくていいだろ。変なやつ」
しまった、と思った。言いすぎた。
後悔してる横で、阿寛はもう次の話をしている。細かいことを気にしないらしい。
「坊主って呼んでいいか?」
「…好きにして」
「よっしゃ坊主!」
どうしてそんなに嬉しいのか、満面の笑みだった。犬のようだな、と失礼な感想を抱きながら、白霜は荷物の整理に戻った。
「俺のことは阿寛兄って呼べよ。年上だし」
「…何歳?」
「十九」
「…同い年じゃん」
「は?」
素っ頓狂な声が上がる。
「お前何歳だよ。どう見ても十三くらいだろ」
「…じゅ、十六」
「じゃあ十六だろ!なんで同い年になるんだ」
「…言い間違えた」
「言い間違えるか、普通?」
言い間違えない。どう考えても言い間違えない。なんせ男装するのも年齢を詐称するのも、生まれてこのかた初めてだ。この調子で本当にやっていけるのか——そこまで考えたところで、阿寛があっさり言った。
「まあいいや。で、やっぱり俺が年上だからな。阿寛兄って呼べよ」
白霜は黙って荷物の整理を続けた。
「おい、無視すんな!」
かなり騒がしい隣人だ。でも、悪い人間じゃない。そう判断する。
その時、阿寛が荷物をごそごそと漁り始めた。
「そうだ、坊主。甘いものとか好きか?街にいた時に蜜餅買ったんだけど、余ってて」
その瞬間、白霜の目が光った。蜜餅。甘い。ほしい。復讐だの男装だのとぴんと張り詰めていた気持ちが、その一言でふっと緩んだ。
「…いただいても?」
「いいけど」
阿寛はにやりとした。
「阿寛兄って呼んだらやる」
そんなの、考えるまでもない。
「阿寛兄!」
「はや!?さっきまで無視してたのに!」
噴き出した阿寛の声が、大部屋に響いた。
「さっきまでと態度が全然違う!」
「蜜餅が先」
「清々しいほど正直だな坊主!」
差し出された蜜餅を受け取って、一口食べた。じわりと甘さが広がって、思わず目を細める。おいしい。鉄嶺荘では師父が時々買ってきてくれた。懐かしい味だった。そう思ったら、少し胸が痛くなった。でも、それも一瞬のことだ。
「坊主、今めちゃくちゃいい顔したぞ」
「してない」
「したって!さっきまでと全然違う顔した!」
「気のせい」
「気のせいじゃないって。甘いもの好きなのか?」
「…別に」
「絶対好きじゃん」
白霜は黙って蜜餅の続きを食べた。隣では阿寛がげらげら笑っている。かなりうるさい。でも、蜜餅はおいしかった。
◆
その夜、兵舎に灯りが落ちた後も、阿寛はしばらくぶつぶつ言っていた。
「兄って呼ぶのに蜜餅が必要なのかよ。変なやつ」
「…」
「おーい、坊主。聞いてるか?」
「…」
白霜は聞こえないふりをして目を閉じた。静かになったのは、それから少ししてからだ。
中庭で、馬が止まったときのことを思い出した。あの目が、一瞬だけ自分の上で止まった。それだけのことだ。それだけのことのはずなのに、また心臓がうるさくなる。
(気のせいだって、決めたじゃない)
でも、あの目が頭から消えない。
鋭くて、静かで、隠し事なんてできそうにない目。あんな目をした人間が、なぜ一瞬足を止めたのか。
そんなことを考えているうちに、だんだん瞼が重くなってきた。
白霜はため息をついて、そっと目を閉じた。どうせ今夜は答えが出ない。
隣で阿寛が寝息を立て始めた。さっきまであんなにうるさかったのに、寝るのは早いらしい。白霜は小さく笑った。今夜は、悪くない夜だと思いながら、意識が遠のいていった。
◆
翌朝の点呼は、城砦の中庭で行われた。
整列する中、白霜は列の端に立って、できるだけ目立たないようにしていた。隣で阿寛が「緊張するなあ」とひとりごとのように言っている。
第三隊の隊長・孟岩秋が前に立った。三十がらみ、顔に古い刀傷。新入りを歓迎する素振りも、冷たく扱う素振りもない。ただ、よく見ている。その目が鋭くて、白霜は思わず姿勢を正した。
点呼が始まった。一人一人、名前を呼ばれて返事をする。白霜の番が来た。
「凌博」
「…はい」
声が上ずらないように、腹に力を入れた。孟岩秋の目が一瞬だけ白霜の上で止まって、それからすぐに次へ移る。
(大丈夫。ばれてない)
ほっとしたのも束の間、孟岩秋が短く言った。
「気をつけ。玄鷹将軍がいらっしゃる」
将軍、という言葉が耳に届き、昨日の目が頭をよぎった。心臓が、跳ねた。
遠くから馬蹄の音。玄鷹が現れた瞬間、中庭が静まり返った。
近くで唾を飲み込む音がする。兵士たちの緊張が、伝わってくる。
玄鷹は、昨日と同じ姿勢で、昨日と同じ目で。整列した兵士たちの前をゆっくりと進みながら、一人一人を見ていく。その目が、端から端へ流れて——白霜の上で、止まった。
昨日と同じだ。でも昨日と違うのは、今日は整列していて、逃げられないということ。
白霜は前を向いたまま、息を殺した。なるべく気配を消して、目を合わせないように。
将軍の目が、一瞬だけ細くなった。
それから、また流れた。何事もなかったように、馬が進んでいく。
白霜は前を向いたまま、微動だにしなかった。でも背中に、冷たい汗が伝っていた。
(今の…絶対、気のせいじゃない)
二日連続で、目が止まった。偶然とは思えない。
わからない。でも、玄鷹の考えがなんであれ、白霜のすることは変わらない。
今は、ただ生き延びる。復讐のために。それだけを考えていればいい。誰かを傷つけたいわけじゃない。でも——師父の死を、仲間の死を、このまま終わらせるわけにもいかなかった。
そう思った時だった。
「おいおい、将軍、かっこよくねーか!?」
阿寛の耳打ちに、思わず、肩の力が抜ける。
「…そうだね」
阿寛のおかげで、少し息ができた気がした。
でも、それも三日間だけの話だった。
孟岩秋が白霜のもとへ来た。
「凌博。将軍がお前を呼んでいる」




