第6話:大黒埠頭の包囲網 裏切り者とコンテナ迷路に降り注ぐ鋼鉄の雨
指向性爆薬によって吹き飛ばされたVIPルームの防音扉が、ひしゃげた鉄塊となって高級ベルベットの絨毯に突き刺さる。
鼓膜を破るような轟音と、視界を完全に奪う濃密な白煙。
それが晴れるのを待つような三流の真似を、警視庁の特殊急襲部隊がするはずもなかった。
「GO! GO! ターゲットは室内! 生死は問わん、制圧しろ!」
黒い防弾装甲に身を包んだ隊員たちが、アサルトライフルのフラッシュライトで硝煙を切り裂きながら雪崩れ込んでくる。
だが、彼らの銃口が捉えたのは、腰を抜かして泡を吹いている堂島会長と、その取り巻きたちだけだった。
「ターゲット・ロスト! 部屋にいないぞ!」
「馬鹿な、ここは地下四階だ! 出入り口はここしかないはず――」
SATの隊員たちが混乱の声を上げる中、俺、蓮見零は、彼らの頭上わずか一メートルの位置にある『空調ダクトの中』で息を潜めていた。
爆発の閃光が走ったコンマ数秒の間。
俺はカジノテーブルを足場にして跳躍し、あらかじめ『絶対記憶』で構造を把握していた天井のメンテナンスハッチを押し開け、ダクト内へ滑り込んでいたのだ。
『……ハッチのロック解除が間に合ってよかったわ。でも、あんた本当に人間なの? SATの突入と同時に天井裏に飛び乗るなんて、曲芸じゃない』
右耳の骨伝導イヤホンから、天海湊の呆れたような声が響く。
「曲芸じゃない。計算だ」
俺は薄暗いダクト内を這い進みながら、無音で答えた。
「SATの突入フォーメーションは、常に視線を『水平から下』に保つよう訓練されている。制圧対象が天井に張り付いている可能性など、彼らのマニュアルには存在しない。人間の心理的な死角さ」
『理屈はそうだろうけどね。……ルート案内を出すわ。そのままダクトを三十メートル直進して。地下駐車場のダストシュートに繋がってる』
「助かる。出迎えの車は?」
『手配済みよ。私たちの足になってくれてた情報屋の柴が、偽造ナンバーのワゴン車をアイドリングさせて待ってるわ。私も今、ハッキングの機材をまとめてそっちに向かってる』
ダクトの冷たい金属を這い進みながら、俺の脳裏には先ほど堂島が口走った名前が渦巻いていた。
――警視庁副総監、『神宮寺』。
日本警察の頂点に君臨する男の一人。
俺を陥れた黒幕がそれほどの権力者であるならば、六本木の地下にこれほど迅速に重武装のSATを送り込めたことにも納得がいく。
奴らは最初から、堂島が口を割る可能性を考慮し、トカゲの尻尾切りとしてこのカジノごと俺を消し去るつもりだったのだ。
ダストシュートを滑り降り、地下駐車場へと着地する。
カジノの裏口にあたるその場所には、黒いワンボックスカーがエンジン音を殺して停まっていた。
スライドドアが開き、後部座席から湊が顔を出す。
相変わらずのボサボサの銀髪に、不機嫌そうな顔。
だが、その手元にはすでに三台のノートパソコンが開かれ、凄まじい速度で文字列が流れている。
「遅い。SATの無線を傍受してるけど、あと一分でこの駐車場も封鎖されるわよ」
「悪かったな。手土産はバッチリだ。出せ、柴」
運転席に座る中年の男――裏社会で長年重宝してきた情報屋の柴に声をかける。
ワゴン車は鋭いスキール音を鳴らし、封鎖ゲートが降りる寸前の地下駐車場から夜の東京へと飛び出した。
「神宮寺副総監……。マジかよ、零。お前さん、とんでもないバケモノの尻尾を踏んじまったな」
ハンドルを握りながら、柴がバックミラー越しに引き攣った笑いを浮かべる。
「ああ。だが、尻尾の先は見えた。湊、神宮寺の個人口座と、ダミー会社の資金の流れを洗えるか? 堂島の証言と、金の流れ。この二つを紐付ければ、俺の無実を証明するどころか、警察のトップを社会的に抹殺できる」
『無茶言わないで。副総監クラスのファイアウォールなんて、国防省レベルよ』
湊はエナジードリンクを一気に喉に流し込み、カタカタとキーボードを叩き続ける。
『……でも、やってやるわ。私を怒らせたことを後悔させてやる』
雨上がりの首都高を、ワゴン車は猛スピードで駆け抜けていく。
サイレンの音は遠ざかり、一時的に追跡を振り切ったかに見えた。
俺はシートに深く背中を預け、目を閉じてこれまでの情報を整理し始めた。
絶対記憶のアーカイブ内で、すべてのピースが完璧な論理の塔を組み上げていく。
――勝てる。
黒幕の正体が割れた以上、あとは反撃のカードを揃えるだけだ。
タイムリミットまで残り二十九時間。
逆転のシナリオは、すでに完成しつつあった。
だが、その時。
『……ちょっと待って。おかしいわ』
湊のタイピング音が、ピタリと止まった。
彼女の視線が、中央のモニターに映し出されたレーダー画面に釘付けになっている。
「どうした?」
『Nシステムのアクセスログよ。警察は私たちの偽造ナンバーを完全に捕捉してる。なのに、背後からパトカーが追ってこない。……まるで、私たちが「ここに向かうこと」を最初から知っていて、待ち伏せしているみたいに』
湊が顔を上げ、運転席の柴を睨みつけた。
『柴。あんた、なんで首都高を降りて「大黒埠頭」方面に向かってるの? 私が指定したセーフハウスは逆方向よ』
車内に、異様な沈黙が落ちた。
高速で流れる街灯の光が、運転席の柴の横顔を等間隔で照らし出す。
その額には、びっしりと冷や汗が浮かんでいた。
「……悪いな、零。天海のお嬢ちゃん」
カチャリ、と。
運転席のコンソールから、全ドアのチャイルドロックが施錠される無機質な音が響いた。
「柴、お前……ッ!」
湊が叫ぶが、柴は前を向いたまま、震える声で言葉を絞り出した。
「俺だって、娘が病気じゃなけりゃ、こんなマネはしなかった……! だが、相手が悪すぎる。神宮寺の息がかかる特務公安の連中が、俺の娘の病室にまで現れたんだ。お前たちをあそこに運べば、娘の海外での移植費用を全額負担して、俺の過去の罪も帳消しにしてくれると……!」
「馬鹿ね! 警察がそんな約束守るわけないでしょ! 用が済んだらあんたも消されるわ!」
「娘さえ助かればそれでいいさ!!」
柴が絶叫し、ワゴン車のブレーキを思い切り踏み込んだ。
凄まじい慣性が働き、車体が横滑りしながら停車する。
そこは、東京湾に面した巨大なコンテナ街――大黒埠頭の最奥部、完全な袋小路だった。
柴は運転席のドアを蹴り開けると、俺たちを後部座席に閉じ込めたまま、夜の闇の中へ脱兎のごとく逃げ出していった。
直後。
漆黒の闇に包まれていたコンテナ街の四方から、数十を越える強烈なサーチライトが一斉に点灯した。
「――ッ!」
あまりの眩しさに、湊が顔を覆う。
俺は目を細め、光の壁の向こう側に展開された絶望的な光景を冷静にスキャンした。
装甲車両が五台。
完全武装のSAT隊員が優に五十名以上。
さらに、上空には機関銃を搭載した警察ヘリが二機、旋回しながら俺たちの乗るワゴン車にレーザーサイトの赤い光を無数に照射している。
六本木の時とは規模が違う。
これは「確保」を目的とした陣形ではない。
明確な「殲滅」のフォーメーションだ。
『……最悪よ。電波ジャックが始まった。ハッキングはおろか、外部との通信すら遮断されてる……!』
湊が血の気を失った顔で、圏外を示すノートパソコンの画面を叩く。
「神宮寺め。堂島に正体をバラされた時のバックアッププランも完璧に用意していたというわけか」
俺は閉じ込められた車内で、舌打ちを一つした。
情報屋の裏切り。
通信の遮断。
物理的な完全包囲。
逃げ道はゼロ。
俺の知恵も、湊のハッキングも、この圧倒的な暴力と物量の前では無力に等しい。
メガホンを通した、冷酷なアナウンスが夜の港に響き渡る。
『容疑者、蓮見零。および共犯者の天海湊。これ以上の抵抗は無意味だ。車両から降り、両手を頭の後ろで組んで投降しろ。十秒以内に投降なき場合は、テロリストとみなし、実力行使によって排除する』
「十、九、八……」
カウントダウンが始まる。
SATの隊員たちが、アサルトライフルの安全装置を外す乾いた音が、恐ろしいほど鮮明に耳に届く。
『零……っ。どうするの……っ、このままじゃ、蜂の巣に……!』
普段は強気な湊の瞳に、初めて明確な「死への恐怖」が浮かんでいた。
彼女の小さな手が、無意識に俺のジャケットの袖を強く握りしめている。
普通の人間なら、ここで発狂して命乞いをするか、絶望に押し潰されて死を受け入れるだろう。
だが、俺は蓮見零だ。
嘘と絶望のどん底から、幾度となく盤面をひっくり返してきた天才詐欺師だ。
「……湊」
俺は車のフロアマットを剥がし、隠されていた非常用のバールを手に取った。
「お前は、俺がどうして柴をずっと使ってきたか、知っているか?」
『え……? な、何言ってるのよこんな時に!』
「奴は臆病で、金に汚くて、すぐに人を裏切る。だが……奴の『情報収集の精度』と『神経質なまでの記録癖』だけは本物だ」
俺はバールを窓ガラスの隅に押し当てながら、脳内の『絶対記憶』を限界まで加速させた。
数日前、柴の事務所で打ち合わせをした時の記憶映像。
彼のデスクの上に無造作に置かれていた、大黒埠頭の『コンテナ配置図』と『LNG備蓄基地へと続く導線』が書き込まれたメモ書き。
ほんの一秒、視界の端に入っただけのその情報を、俺の脳は完璧な解像度で再構築していた。
「七、六、五……」
外からのカウントダウンが続く。
「通信が遮断されてるなら、有線で繋げばいい。俺たちが今いるこの区画は、全自動の無人コンテナターミナルだ。すぐ横にある制御ボックスの物理ポートにケーブルをぶち込めば、この埠頭全体の巨大クレーンとコンテナ群は、お前のおもちゃになる」
『……! まさか、この包囲網をコンテナの壁で分断する気!?』
湊の顔に、ハッカーとしての狂気にも似た生気がパッと戻る。
「三、二、一――総員、射撃用意!」
「伏せろ!!」
俺がバールで窓ガラスを粉砕した瞬間、無数の銃弾がワゴン車の車体をハチの巣に変えた。
火花とガラス片が飛び散る中、俺は湊の細い体を抱き抱え、粉砕した窓から車外へと身を投じた。
アスファルトを転がり、身を隠すように巨大な赤いコンテナの陰へと滑り込む。
「湊、あそこだ! 制御ボックスまで三メートル!」
俺が指差した先には、雨に濡れた無骨な配電盤があった。
「カバーして! 起動に十秒もらうわ!」
湊がノートパソコンを抱えたまま、銃弾の雨を潜り抜けて制御ボックスへと駆け寄り、有線ケーブルを乱暴にポートへ突き刺す。
「ターゲットが車両から脱出! コンテナの陰だ、追い詰めろ!」
SATの部隊が足音を響かせ、四方から俺たちの隠れるコンテナへと肉薄してくる。
逃げ場はない。
背後は海だ。
五メートル先まで迫った隊員たちが、再び俺たちに銃口を向けた。
だが、俺は焦るどころか、余裕の笑みを浮かべて彼らを見据えていた。
「……狩人だと思い込んでる連中を見るのは、いつだって傑作だ」
俺の背後で、湊がキーボードを叩く最後のエンターキーの音が、ひときわ高く響いた。
『システム・ジャック完了! 見せてあげるわ、現代の魔法を!!』
直後。
地響きのような轟音と共に、大黒埠頭の夜空を覆う巨大なガントリークレーンが一斉に稼働を始めた。
「な、なんだ!?」
「頭上注意! コンテナが……コンテナが降ってくるぞ!!」
SATの隊員たちが悲鳴を上げ、空を見上げる。
数百トンもの重量を持つ鋼鉄のコンテナ群が、湊の操作するクレーンによって次々と持ち上げられ、パズルゲームのように警察の包囲網のド真ん中へと叩きつけられたのだ。
ズシィィィィンッ!!!
凄まじい衝撃波が埠頭を揺らし、警察の装甲車両が紙切れのように押し潰される。
完璧だった包囲網は、突如として降り注いだ鋼鉄の壁によって分断され、ターミナル全体が巨大な「迷路」へと変貌した。
「道は作った! 走るぞ湊!」
「ええっ!」
分断されたSATの怒号と混乱を背に、俺たちはコンテナの迷路の奥深くへと駆け出した。
だが、危機を脱したと思ったその瞬間だった。
――ピリリリリ、ピリリリリ。
暗闇に沈むコンテナ街に、不釣り合いな電子音が響き渡った。
俺のポケットの中で、通信遮断されているはずのスマートフォンが、けたたましく着信を告げていたのだ。
足を止め、画面を見る。
発信元は『非通知』。
いや、違う。
この強固な警察のジャミングを突破して強制的に着信を割り込ませてくる技術。
俺は嫌な予感を覚えながら、通話ボタンを押した。
『――やあ、蓮見零くん。素晴らしい逃走劇だった。私の可愛い部隊をあそこまでコケにしてくれるとはね』
スピーカーから聞こえてきたのは、加工された不気味な合成音声だった。
しかし、その言葉の端々に滲む絶対的な傲慢さは、隠しきれていなかった。
「……神宮寺副総監。わざわざお電話を頂けるとは光栄だ。だが、残念ながらお前の書いた台本は破綻したぜ」
『ふふっ。果たしてそうかな?』
合成音声は、楽しげに笑った。
『君は確かに賢い。だが、賢すぎるが故に、すべてが自分の思い通りに動いていると錯覚している。――君は今、私が「あえて」君たちをこの大黒埠頭に誘導した可能性を、一ミリでも考えたかね?』
「……何?」
俺の背筋に、氷のような悪寒が走った。
絶対記憶が、猛烈な勢いで過去の映像を検索し始める。
柴の不自然なほどの裏切り。
都合よく置かれていたコンテナの配置図。
そして、この巨大な孤立空間……。
『君たちにプレゼントがある。君たちのスマートフォンの画面に、あるURLを送った。見てみるといい』
湊が息を呑み、自分のスマートフォンを開く。
そこに映し出されていたのは、どこかの動画共有サイトでゲリラ的に開始された『ライブ配信』の映像だった。
画面の向こう側。
そこには、大量のプラスチック爆弾に縛り付けられ、猿轡を噛まされた何十人もの一般市民の姿があった。
場所はどこかの地下鉄の駅構内のように見える。
『視聴者はすでに十万人を超えている。……さあ、蓮見零。君が警察に追われるテロリストではないというのなら、証明してみせたまえ。制限時間は三十分。私の用意したこの【新しい謎】を解き、爆発を止められなければ……何万人もの命が、君のせいで消し飛ぶことになる』
ツー、ツー、ツー。
電話は一方的に切断された。
「嘘でしょ……」
湊が、スマートフォンの画面を見つめたまま絶望に震える。
俺を陥れるための罠を抜けた先には、日本全土を巻き込む狂気のデスゲームが用意されていたのだ。
自分の推理が、すべて「黒幕の掌の上」で踊らされていた事実。
だが。
「……面白くなってきたじゃないか」
俺は暗闇のコンテナ街で、ライブ配信の不気味な光を顔に浴びながら、狂気じみた笑みを浮かべていた。
前提が覆ったのなら、もう一度すべてをひっくり返せばいい。
この極限の絶望こそが、天才詐欺師が真実を喰い破るための最高の舞台なのだから。




