揉んでほしい
ノックの音に椅子を立ち、引き戸を開ける。
「こ、は、る」
引き戸を閉める。と、向こうから開いた。
「……なぜ閉めたの?」
「いや、なんとなく」
ため息を飲みこみ、愁衣さんを診察スペースに案内する。それぞれの椅子に向かい合って座った。
「はぁ……、やっぱりここは落ち着くわね」
「わたしは愁衣さんとここにいると、なんだか落ち着かないよ」
「胸の高鳴りを感じてくれているのね」
「胸騒ぎを感じていますね」
「でも最近私たち、トイレでばっかりだったじゃない? こういう、ちゃんとベッドのある部屋だと、やっぱり落ち着くわ」
「なんか言い方嫌だな……。で? 今日はどうなさったんですか?」
すると、愁衣さんは椅子ごとわたしのほうにずいと寄り、両手を肩の下あたりに添える。
「こはるに、胸を揉んでほしいの」
またずいぶん、ストレートなのできたな……。まぁ、この手の「治療」もいつかはあるだろうなと思ってはいたけど……。
ふぅ、とわたしは小さく息を吐き出し、立ち上がる。
「はい、わかりました。じゃあこちら、ベッドのほうに来てください」
「こはる? ……でも、あれよ。ちょっと揉むくらいじゃなくて、時間をかけて、じっくり揉んでほしいのよ?」
「はいはい、わかりましたよ。わたしはここ座るから、愁衣さんはそっち座って」
「ふ、服の上からじゃだめで、直接じゃないとだめなのよ?」
「じゃ、脱いだ服はこの籠に入れといてくださいねー」
「ちょっと、こはる!」
「なに? まだなんかあんの?」
「そうじゃなくて……なんなの、そのおざなりな態度は? そんな事務的な調子でベッドに誘われたって、私ちっともときめかないわ」
「ときめく必要がないだろ。……はい、それで? 『時間かけて』って言ったけど、具体的にどれくらい? 片胸五分ずつくらいでいい?」
「あぁ……どうしてしまったの、こはる? 私たち、まだ始まったばかりだと思っていたのに、いつからそんなマンネリな関係に……」
「わけのわからないこと言ってないで、さっさと座って。そうして立ったままじゃ、いつまでも始められないよ」
「嫌よ。私、こはるが態度を改めるまで誘いには応じないわ」
フン、と愁衣さんは首を横に向け、腕を組み、仁王立ちのような格好になる。誘いってなんだよ。このまま放っておいてもいいのだけど、その状態で保健室に居座られるのもそれはそれで困る。やれやれ、とわたしはゆるく首を振り、愁衣さんのほうを向く。
「まぁ……正直さ、これまで愁衣さんのぶっ飛——変わった『要求』をいろいろ聞いてきて、わたしも慣れてきたというか、だいぶ麻痺してきてるんだよ。だからもうそうそうのことじゃ、いちいち驚いたり大きな反応を返したりできないというか……」
と、愁衣さんは仁王立ちの姿勢を解き、しゅんとした様子でベッドの端に腰を下ろす。
「そう……たしかに、考えてみればそうよね。ごめんなさい、こはる。私、反省したわ。今後は、もっとこはるがリアクションをとりやすいような刺激的な要求をもってこられるように努力するわね」
「いらん、そんな努力は。するなら、何事もなくいられるよう努力をしろ」
「だけど、ちょっと意外だったわ。今日のこれは、それでも少しくらいは狼狽えた反応を見せてくれるかと思っていたのに。こはるの恥ずかしがる顔、見たかったわ……」
「そんなもの期待されても……。いやまぁ、だってさ、胸を触るとか揉むとか、実際、女の子同士ならよくあるじゃん、着替えのときとかさ? だから正直、そこまで新鮮味はなかったというか……」
「よく……あるのね?」
「と、思うけど……」
「そう。こはるは意外と遊んでいるのね」
「なにを言ってるんだ、お前は」
「……篠崎さんとも、したことあるの?」
「陽菜? うん、まぁ、あるけど……」
「帰ろうかしら」
「なんで!? ……いやまぁ、帰るならべつに止めないけどさ」
「どうしてよ、止めてよ!」
「……なんか今日面倒くさいな、あんた。やるならやるで、さっさとやっちゃおうよ。さ、服脱いで」
「はっ」
「ど、どうしたの?」
「まさか、こはるのほうから脱ぐことを要求してくるなんて……。こはる、いまのはよかったわ。ちょっとドキッとしちゃった。ねぇ、もう一度……」
「いいから、さっさと脱げ!! ぱぱっとやって、ちゃちゃっと終わらせたいんだよ、こっちはッ!!」
脱ぎ終え、綺麗に畳んだ服を愁衣さんが籠に置く。それにしても、本当によく服を脱ぐ人だ。それを見慣れてしまっている自分もどうかとは思うけど、何度見せられても、きれいな肌だなとは思う。
愁衣さんが背中に手を回し、ブラのホックに指をかける。「ちょっと待った!」とわたしはそれを手で制した。
「どうしたの、こはる?」
「流れるように下着を外そうとしてるけど、それを取らなければならない理由は何かあるの? 揉むのは、絶対に直接じゃなきゃだめなの?」
「べつに、そういうわけではないけれど……」
「だったら、それは着けたままにしておいてください」
「どうして?」
「たしかに胸を揉むことに関しては了承したけど、だからといってべつに、積極的に人のむき出しの胸を見たいわけではないので。出さないで済むなら、なるべくしまっておいて」
ぷぅ、と頬を膨らませながら、愁衣さんはベッドの上に上がってくる。
「わかったわ……。ところで、こはるは? 脱がなくて大丈夫?」
「なにが大丈夫なんだ。あんたの頭が大丈夫か。今回、わたしが脱がなきゃいけない理由はないでしょ。ほら、もっとこっち来て」
愁衣さんがわたしのほうににじり寄ってくる。ふと、その視線がじっとわたしの胸のあたりに注がれているのが気になった。
「えっと……なにか?」
「前々から思っていたのだけど、こはるはけっこう胸が大きいわよね」
「へ? ……いや、そうかな。周りにもっと大きい子いるし、普通くらいだと思うけど……」
「でも、私よりは大きいわ。実際に、前に脇の匂いを嗅がせてもらったとき、下着のタグでカップ数が私より大きかったことを確認しているし」
「見るな、そんなとこ。んー……いやでも、そうかなぁ……。見た目的に、そこまで変わらない気もするけど……」
「胸が大きい人は、どういった要素がそうさせるの? 食事? 睡眠? 何か、サイズアップのために心がけていることはある?」
「い、いや、ないない、ないよそんなの。……っていうか、そういう質問はわたしなんかよりもっと大きい人に訊いたほうがいいと思うよ。そもそも、愁衣さんだってべつにそんな小さいわけじゃないんだし……そんなに気にしなくていいんじゃないのかな。変に大きすぎても、困ることも多いって聞くし……」
「こはる……ありがとう、こはるは優しいのね。でもいいのよ、そんなに気を遣ってくれなくて。自分の体のことは自分でよくわかってるから。……それにね、せっかく優しい言葉をかけてくれているのにこんな言い方をして申し訳ないのだけれど、自分より大きい人にそうやって慰めるようなことを言われると、なんだかかえって自分が惨めに思えてくるの。だからどうか、気を遣わないでちょうだい」
「う、うん……わかった」
わたしとしては、特に気を遣って言ったつもりはないんだけど……。実際本当に、べつに小さく見えないし。……ていうか愁衣さんって、胸のサイズとか気にするんだ。こっちからしたら、そんなことどうでもよくなるくらい他のパーツでカバーできすぎてると思うんだけど……。まぁ、本人の悩みは本人にしかわからないか。
……と、いうか。いま気づいた。ちょっと待てよ、仮に愁衣さんのバストサイズが、カップ数的に本当にわたしよりもいくらか小さいと仮定すると、にもかかわらず自分とそれほど大きな差がないように見えるのは、愁衣さんがスリムだからってことになる。となると逆に、わたしは——。なんだか、こっちはこっちで惨めな気分になってきた……。
「あの……こはる、ごめんなさいね。私の言い方、よくなかったわよね……? なんだかすごく落ち込ませてしまったみたいで……」
「あぁ、いや……大丈夫、愁衣さんのせいじゃないから……。こっちの話だから……」
……まぁ、モデル体型の人と自分を比べても仕方ない。取り繕うように「じゃあ、そろそろ始めようか」と笑いかける。
「えぇ、そうね。よろしくお願いするわ、こはる」
愁衣さんが心もち身を反らせるようにして、わたしに胸を向けてくる。つるりとした透明感のある肌に、ささやかな二つの膨らみが確かな存在感を放つ。布からはみ出た部分の肉はいまにも「ぷるっ」と音を立てるかのようで、仮に下着を取ってもさぞかし形が良さそうだ。なんだか、べつに普段見慣れているものだけど、いざこうしてその部分だけをクローズアップされると、妙な緊張感を覚える。なぜだか唐突に、してはいけないことをしようとしているような気がしてくる。
「どうしたの、こはる? 早く揉んで」
「え。あ、あぁ、うん……そうだ、そういえば時間って、どれくらい? さっきも訊いたけど、片胸五分ずつくらいで大丈夫?」
「えぇ、いいと思うわ。というか、どうして片方ずつなの? べつに、両方いっぺんに揉んでくれていいのだけど……」
え、あぁ、そうなの……? この間の指舐めが片手ずつだったから、今回もそうなのかなと勝手に思っていたんだけど……。まぁ、いっぺんにやって済ませられるなら、そのほうが効率が良い。
「じ、じゃあ、いくね」
「えぇ、お願い」
広げた手を目標に向かって伸ばす。両方いっぺんだとたしかに効率は良いけど……自分のこの手つき、なんか嫌だな……。まぁしかたない、ぱぱっとやって、ちゃちゃっと済ませてしまおう。
両手の指先がそれらに触れる。思わず、「やらかっ」と声に出てしまいそうになったのをすんでのところで堪え、手を添える。
そっと揉みはじめる。なんだこの胸……。本当に柔らかい。「マシュマロみたい」って、こういうことを言うのか……。
下着を通して、吸い付くような肉と肌の質感が手のひらに伝わってくる。ちょっと押すだけでふにふにと沈み込んで、まるでわたしの手と愁衣さんの胸が一つになっていくみたい……。控えめに押し返してくる、ほどよい弾力。直接触ったら、いったいどんな感触なんだろう。ちょっと気になる。
「ぅふ、なんだかくすぐったい」
クスクスと、愁衣さんが笑い声を洩らす。あ、よかった、この間の指のときみたいな反応じゃなくて。そうだよね、さすがの愁衣さんでも、胸を揉まれたくらいで……。
「ぅふ、ふ……ん……、ふぅ……ン、ンン…………あっ」
あれあれ、雲行きが怪しくなってきたぞ……。まぁまぁ、この程度はまだ想定済み。この間で学んだ。愁衣さんがどんな反応をしてこようと、わたしはそれにいちいち動じない。無心になればいいのだ。だってこれはあくまで治療なのだから。ただただ機械のように、自分の仕事に集中すればいい。
「ン……ふ、ん…………、あッ……ンン…………こはる……」
あぁ、そうだ、しまったな……わたしの名前を呼ぶことをあらかじめ禁止しておくんだった。っていうかこの人、なんで事あるごとにわたしの名前を呼ぶんだろう……。いやまぁ、問題ない。聞かなければいいだけ。無心、無心。無になれ、無に……無に……無に……むに……むに、ムニムニ……そう、この手の感触に集中するのみ。たまたまダジャレみたいになっちゃったけど、無心のわたしには何も気にならない。
五分、経過。わたしは愁衣さんの胸から手を離す。
「……どう、愁衣さん?」
「えぇ……よかったわ……」
「良くなった」と勝手に脳内変換して、うむと頷く。胸の内にこみ上げる達成感。最初ちょっと危なかったけど、今回、ついにわたしは乗り越えた。愁衣さんの妙な反応に惑わされることなく、冷静に、スマートに「治療」をこなしてのけたのだ。わたしは勝った。愁衣さんに……自分自身に。
「どうもありがとう、こはる。これで私の胸も、もう少し大きくなってくれると嬉しいのだけど……」
胸が大きく……? あれ、そういえば……。
「ねぇ愁衣さん、そういえば、今回の症状って何だったの?」
「症状?」
「うん。その、胸を揉むことで抑えられる何らかの症状が現れたから、その治療のために保健室に来たんでしょ?」
愁衣さんはきょとんとした顔をし、ゆるりと首を振る。
「いいえ。今日の私は健康よ。何の発作も起きていないわ」
「え……。じゃあ、保健室に来たのって……」
うふ、と少し照れたように笑い、愁衣さんは言った。
「もうすぐ水泳の授業が始まるでしょう? 水着を着たときに恥ずかしいから、バストを少しでもサイズアップしたいなと思って。ほら、誰かに揉んでもらうと大きくなるって、よく聞くじゃない?」
一瞬、すべての音が遠くなったような気がした。じゃあ……じゃあ……
「ただ胸を揉ませに来ただけかよッ!!」
だけかよ……だけかよ……だけかよ……
耳の奥で鳴る残響は、敗者の鐘の音のようにいつまでも鳴り響いていた。
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【おまけ:その翌日、こはると陽菜の昼休み中のやりとり】
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「陽菜って、胸大きいよね」
「え! 急になに……!?」
「胸を大きくする秘訣って、何かあるの?」
「べつに、意識して何かやってるってわけじゃないけど……。食事とかじゃない、一般的に?」
「あとは?」
「んー……睡眠とか? よく寝ると育つ、とか言うし……」
「ふんふん、それから?」
「サプリメントとか? 知らないけど。……っていうか、どうしたの、急に? 『胸を大きくする』って、べつにこはる普通に大きいし、それ以上無理に成長させようとしなくていいんじゃない? 大きすぎたって良いことないよ」
「たとえば?」
「えーと……まず肩が凝るし、姿勢も悪くなる……重いから走るのも遅くなるし……」
「ほうほう、他には?」
「あとは……バッグを肩掛けしてるとずり落ちやすいし、食べかすが胸の上につきやすいから、少し前かがみになって食べなきゃいけないとか——」
「うんうん、なるほどね」
「それに、胸が大きいと太って見えるし……。スリムなこはるが羨ましいよ」
「あぁ、もういいや。わかったよ、陽菜。ありがとう」
「え……もういいの?」
「うん。ちょっと気持ちがわかったから」
「……誰の?」
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お読みいただき、ありがとうございました。
次回第9話は、9月11日(金)18:00に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




