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舐めてほしい

「こはる、いま好きな人いるでしょ」


 ふいにそう言ってみる。こはるはきょとんとした顔をして、目をぱちくりさせた。


「え、……いないけど」


「……」

「……」


 ……あれ?


「なに? 急にどうしたの、陽菜(ひな)?」

「……え? い、いやー、なんというか、こう……退屈な日常に、ひとさじのスパイスを、というか……」

「ふっ、なにそれ? 陽菜も知ってのとおり、好きな人なんてできたことないよ。あとスパイスはひとさじじゃ多いよ。ひとつまみで充分……」


 そう言ってこはるは机にぺたっと片頬をつける。昼休み。教室にはあたしたち同様、持て余した食後の時間を溶かすように過ごす生徒たちの、ささやかな喧騒と気だるさが満ちている。


 ふむ、とあたしは、机に沈み込むように突っ伏した友人の後頭部をしげしげと眺める。おかしいな。いまさっきの反応を見るにつけ、こはるは特に嘘をついていないように思える。こはるのこと、図星だったらもっとわかりやすく狼狽えたり、表情に出たりするはずだ。どうでもいいことへの細かいツッコミも健在だった。


 先週、あたしたちのクラスは遠足、もとい校外学習に出かけた。そのとき、こはるが同じクラスの愁衣さんと手を繋いで歩いているところを見たと言っていた生徒がいたのだ。想像もつかない組み合わせ。つまらない嘘だろうと一笑に付された話だったが、ここ最近のこはるの小さな変化を思うにつけ、あたしとしては「もしや」と思うところがあった。それでこはるにカマをかけて訊いてみたのだ。……が、どうやら不発だったようだ。


「次の授業、何だっけぇ……」

「数学だね」

「数学か……また宿題出るのかなぁ……」

「まぁ、いつもたいした量じゃないし、当日の昼休みにでもパパッとやれば大丈夫でしょ」


 そうだねぇ……むにゃ、とこはるは夢うつつのような声で返事をする。ここ最近のこはるの小さな変化……それは本当に小さな、些細な変化だ。けれど小学校以来の付き合いであるあたしにはわかる。こはるは身に纏う雰囲気というか、オーラが変わった。具体的に何とは言えないが、なにかしら秘密のようなものを誰かとこっそり共有しているような……。


「——あ」


 ガバッと、こはるが突然顔を上げる。


「ど、どしたの?」

「明後日、ダメじゃん。保健室当番がある」

「え、あぁ……数学の宿題のこと? まぁ、じゃあ普通に家でやるか……それか、保健室に持って行ってやればいいじゃん。当番っていっても、暇なんでしょ?」

「……まぁ」


 ここ最近のこはるの小さな変化……。保健室当番の話題が出ると、なにやら不安を抱えたような、同時にどこか諦めたような遠い目をするようになったこと。最初は「まぁ実態はただの留守番だから」なんて軽い調子で話していたのに。そのあたりに、愁衣さんに関連する何かがあるのではと、校外学習での目撃情報と結び付けて考えようとしていたのだが……予想は外れだったのだろうか。


 ——と、ふいに机に置かれたこはるのスマホが、ぴろん、と軽快な音を立てた。手に取り、画面をしばし眺めると、こはるはおもむろに立ち上がった。


「どっか行くの?」

「うん、ちょっとトイレ」


 それだけ言い残し、こはるは教室を出ていった。ひとり残されたあたしは、小さく首を捻る。



◇◇◇



 コン、コン、コン、と個室のドアを三回ノックする。


「……こはる?」

「そうだよ」


 カチャリ、とスライド式のロックが解除される音がした。ドアを開け、中に入る。


「こはる、待ってたわ……うぅ……」


 と、苦しそうに身を細かく震わせる愁衣さんを見て、「はぁー」とわたしは大きくため息をつく。


「こんなことになるなら、どうして昨日の夜に言ってくれなかったのよ……?」

「言おうと……うぅ……思ったのだけど……あぁ……こはるとのお喋りが、楽しくて……あぅ」


 昨晩、愁衣さんといつものアプリでチャットをしていてまた占いの話になり、愁衣さんがネットで見つけた占いをいろいろ試しているうちになんだか楽しくなってしまい、ついつい寝るのが遅くなってしまったのだ。……そのツケが、これ。


「私……うン……寝不足の日は決まって……あン……全身が、極度に敏感になってしまうの……あぁン……」

「知ってるよ。さっきメッセージ読んだから。……で? わたしは何をすればいいの?」

「こはる……ンン……今日はなんだか、受け入れが早いのね……ゥン……」

「……まぁ、今回に関してはわたしのせいでもあるからね。……っていうか、どうでもいいんだけどその『アン』とか『ウン』とか、どうにかならないの? 話が聞きとりづらいんだけど」

「積極的なこはるも……ゥン……嫌いじゃないわ……ァフン……」

「話聞けよッ!! 妙なセリフを妙な声混ぜて言うな!! なんかおかしな意味に聞こえるでしょ!!」

「ごめんなさい、こはる……ンン……。申し訳ないのだけれど、声を抑えるのは……ゥン……本来は服を着ていることすら……アァ……脱がずに待っていたことを、褒めてほしいくらぃ……あぁン……」

「着せる手間が省けたことには礼を言うよ。……で、あらためて訊くけど、わたしはどうすればいいの?」


 すると、愁衣さんはふるふると震える片手を前に出す。


「指を……ン……舐めて、もらえれば……」

「指を……」

「『ホムンクルスの脳地図』によれば……ゥン……脳の中で、『手指』と『口』が占める割合は他の部位に比べて異常に……アァ……広いのンン……。だからそれらを直接触れ合わせて……フ、ン……脳に、刺激を与えることで……あァ、こはるゥ……」

「いいから、医学的解説は。あとなんで最後わたしの名前呼んだ。とにかく、愁衣さんの指を……舐めればいいのね?」

「えぇ……あン……できれば……ゥン……ねぶってほしぃ……あゥン……」

「ね、ねぶ……わかったよ、しっかり舐めろってことね」

「そう……ンン……強く……あァ……ねちっこく……ンフぅ……しゃぶって……」

「わかったって、うるさいな!! 同じようなことをいろいろ表現変えて言うな!! 要は舐めればいいんでしょ!? ちゃんとやるから、さっさと指を出せ!!」


 愁衣さんが指をこちらに差し出す。はぁ、まさかこんなことをやらされるはめになるとは……。昨夜の占いはことごとく良い結果だったのに……やっぱり占いなんて信じない。


 まぁ、とりあえず、外に「清掃中」の立て札を出しておいたから、しばらくは誰も入ってこないでしょう……。



☆☆☆



 ……遅いな、こはる。


 どうしたんだろう、お腹の調子でも悪いのだろうか。そんな様子には見えなかったけど……。


 なんとなしに、教室後方に目をやる。空席になった愁衣さんの席が目に入る。愁衣さん、いつからいないっけ? 席を立つ直前、こはるのスマホにあった着信。もしかして、呼び出されたとか……?


 ……うーん、だめだ、一度頭から消した可能性なのに、どうしても首をもたげてくる。とにかく、ちょっと様子を見に行こう。もしかしたら途中で本当に具合が悪くなって、どこかで苦しんでるのかもしれないし。


 歩きながらも、こはると愁衣さんのことを考えてしまう。仮にあの二人が付き合っていると仮定すると、こはるについて納得できる部分はあるんだよな。友だちのひいき目が入っているかもしれないけれど、こはるはけっこう可愛い。なのにこれまで浮いた噂をとんと聞いたことがなかったのは、こはるがそもそも異性との交際にまるで興味をもっていなかったからだ、と。


 ……さらに、あたしが感じていた、こはるの「小さな変化」。女子同士の交際となれば、それはそうそう他人には話せない「秘密」といえるだろう。「秘密の共有」。それがこはるの雰囲気に小さな変化を与えたのかもしれない。だとしても、せめてあたしにくらいは、信頼して打ち明けてくれてもいいのにさ、とは思うけど……。


 そうこう考えているうちに、トイレに着いてしまった。——と、出入り口に「清掃中」の立て札が置いてあるのが目に留まる。珍しいな、昼休みに清掃なんて。となれば、こはるはここにはいない。スマホのチャットアプリを開き、どこにいるのかとこはるにメッセージを送った。


 ——ぴろん。


 え? と、思わず声が出そうになった。いま、たしかに、トイレの中から……。


 立て札の横を抜け、顔だけ出して中を窺う。清掃員の姿はない。——と、奥の個室からなにか音が聞こえる。そろそろと近づいていってみる。これは、人の声。こはる……と、愁衣さん——?


「ァ、こはる……ンン……もっと、強く……」

「もっと……? こ、こう……?」

「ァン、こはる……激しぃ……あァ……ゥン……」

「ちょ、ちょっと愁衣さん、あんまし動かないでよ、舐めづらい……」

「だって……ぁン……いま敏感で……ンン……刺激が……アァン……」



 なにやってんだ、こいつら——————!?



 声からして、中にいるのはこはると愁衣さんで間違いない。その声に混じって、じゅぷじゅぷ、ちゃぷちゃぷと、なにか液体をかき混ぜるような生々しい音が聞こえてくる。「舐めづらい」って、こはる……あなた、いったいどこを……何を舐めているの……!?


「あぁ、こはる……ゥン……そこ……ンン……もっと、深くゥ……」

「……こ、こう? こんな感じ……?」

「あン……こはる……ァフン……すごいわ……あァ……こはる、こはるゥ……」


 その場で声が出なかったのは、自分の存在を気取られないようにと理性がそうさせたというよりも、驚きのあまり声を失っていたと言ったほうがおそらく正しかった。なんということだろう……。付き合っているのはおろか、まさかすでにこんなことをする関係にまでなっていただなんて……。


 瞬間、パズルのピースがカチッとはまった感覚がした。秘密の共有……そして、保健室当番の話題が出たときの表情の理由……。きっと彼女たちは昼休みのたびに、頻繁にこうして会っていたのだろう。保健室当番の日はそれができなくなる。こはるの表情、そしてあの目は、その悲しみが表れたものだったのだ……。


 ふらふらと、ふらつく足でトイレから出る。どこへ向かうでもなく、歩きはじめた。


 ぼんやりとした頭に、こはるの笑顔が浮かんだ。いまのこはるじゃない、出会ったころのこはる。初めて同じクラスになったのは小学三年生のとき。席替えでたまたま前後の席になり、こはるの「日向」とあたしの「陽菜」、ちょっと似てるね、というところから話すようになって、仲良くなった。


 こはる。あなたはもう、あのころのこはるとは違うんだね……。


 なぜだか目に熱いものを感じ、上を見る。脳裏に浮かぶこはるの残像が滲んでいった。



◇◇◇



「ハァ、ハァ……。う、愁衣さん……どう、少しは、良くなった……?」

「こはる……。えぇ……とってもよかったわ」

「頬を赤らめるなッ!! 『よかったか』じゃない、『良くなったか』を訊いてるんだよッ!! 症状が治まったかどうかの結果を言えッ!!」

「えぇ、おかげさまですっかり良くなったわ。ついでに眠気まで解消したみたい。こはるのテクニシャンな舌使いのおかげで私、全身すっきりよ」

「ならよかったよ。はぁ、それにしても疲れた……。なんか、舌がピリピリする……」

「うふ。その言い方、なんだかエッチね」

「なにがッ!? 指舐めただけだからね、わたしはッ!! バカなこと言ってないで、さっさと出るよ!!」


 愁衣さんと二人、個室から出る。廊下に誰もいないのを確認してから、立て札を用具入れにしまい、トイレを出た。


「それにしても、こはるったら。行為の最中にスマホを鳴らすなんて、ずいぶん上級者なことをするんだから」

「なんの上級者だ。あと『行為』って言うな。……陽菜からのメッセージだよ。『どこにいる?』って。トイレ行くって言って出てきたから、帰りが遅いのが気になったみたい」

「あら、じゃあ早く返信してあげないと。心配しているんじゃないかしら」

「大丈夫だよ。陽菜のことだから、どうせ一人になって暇だから気まぐれに送ってきただけだって」

「そうかしら……。こはるが心配になって、いまごろ探し回ってたりとか……」

「あはは、そんなことしないよ陽菜は。きっといまごろ教室で退屈そうにしてる。清掃中だったから別の階のトイレに行ってたって言えば、『あ、そ』で終わりだよ」

「……ふぅん。なんだか、よくわかってるのね、篠崎(しのざき)さんのこと」

「まぁね。一応、長い付き合いだから」

「……」

「? どうしたの、愁衣さん?」

「なにが?」

「なんか、怒ってない?」

「べつに」

「えぇ? いやでも、なんか……」

「怒ってないわ。さ、早く教室に戻りましょう。あまり遅いと、心配かけてしまうわよ」

「いやだから、大丈夫だって。……ちょっと、待ってよ、愁衣さんってば」



☆☆☆



 ささやかな喧騒、けだるい空気。教室にたゆたう緩んだムードも、昼休みの終わりが近づくにつれ、次第に薄まっていく。引き締まる、というよりも、これから始まる午後の授業の気配を受けての、どこか投げやりな悲壮感がその色合いを濃くしていくような。


 それでもなお、教室全体の弛緩した空気感は完全には終わらない。教材を取りに立ち上がったり、くっつけた机を元に戻したりする生徒はなかなか現れない。外見上は、昼休み前半の様子と同じ。まるで生徒全員で束になって、この貴重な自由時間が終わることに必死に抵抗しているかのようだ。


 そんな中に、あたしはひとり、話し相手もいないままにぽつんと座っている。窓の外に目をやり、ふっと小さな笑みが洩れる。


 ……そうだ、あのころのあたしもそうだった。昔から人見知りをする子どもで、小学校に上がっても周りとあまり上手に打ち解けられずにいた。何の時間だったか、あの日もこうして、教室のみんなが楽しそうに騒いでいる中でひとり黙って座っていたんだ。そこに声をかけてきてくれたのが、こはるだった。


 そうか。あたしは何を悩んでいたんだろう。何を迷っていたんだろう。こはるはいつだって、そうやってあたしを助けてくれた。こはるはあたしの、ただ一人の大切な友だち。その友だちが選んだ道ならば、それがどんなものであれ応援してやるのが、同じ友だちであるあたしの役目なんじゃないだろうか。


 少しして、こはるが教室に戻ってきた。「いやぁまいったよ、トイレが清掃中でさぁ。別の階まで行ってたから、時間かかっちゃった」と笑顔で言うこはるに、あたしはなるべくそっけなく聞こえるよう、「あ、そ」と返す。


 こはる、安心して。あたしはあんたと愁衣さんのことを他の誰にも言わない。こはるにとってそれは、あたしにさえ打ち明けられない大切な秘密なんだものね。だからあたしも知らないふりをして、二人のことを陰ながら見守ることにする。


 こはる、応援してるよ。だからいまは、ひと言だけ、言わせて。


「こはる」とあたしは、こはるに声をかける。



◇◇◇



「頑張ってね。あたし、応援してるから」


 と、陽菜はわたしに力強く言った。


 ……。


 数学の宿題のこと、かな……?








---------------


【おまけ:その日の夜、チャットアプリ内での二人のやりとり】


◇ ━━━━━━━━━━━━ ♡


〈こはる〉

〈占いしましょ〉


〈あんたは〉

〈反省というものを知らんのか〉

〈だめ〉

〈今日はやらない〉


〈大丈夫よ〉

〈今日は一個だけだから〉


〈だーめ〉

〈どうせそう言ってまた〉

〈遅くまでやっちゃうんだから〉

〈今日は早寝〉


〈えー〉

〈こはる、お願い〉

〈あ、一生の〉


〈ついでみたいに一生のお願いするな〉

〈だめったらだめ〉

〈今日はもう寝る〉

〈おやすみ〉


〈こはる〉

〈待って〉

〈こはるー〉

〈寝ちゃったの?〉

〈本当に?〉

〈こはる〉

〈こはる!〉

〈こはる……〉

〈こはるのばか〉

〈あほ〉

〈かわいい〉

〈好き〉

〈抱きしめたい〉

〈嗅ぎたい〉

〈なめたい〉


〈うるさい、やめろ〉

〈途中からただの変態になってるから〉


〈こはる〉

〈占い〉


〈もー〉

〈じゃ一回だけね〉


〈(๑˃ ᵕ ˂๑)〉

〈こはる〉

〈好き〉


〈はいはい〉


〈大好き〉


〈わかったわかった〉


〈嗅ぎたい〉


〈それやめろ〉








○ ━━━━━━━━━━━━ ○


お読みいただき、ありがとうございました。

次回第8話は9月6日(日)20時に投稿予定です。

よろしくお願いいたします。

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