気づいてほしい②
「ママ! ぼく、レモン!」
「あたし、メロン!」
「はいはい。店員さん、レモン味とメロン味、一つずつ頂けますか?」
「はい」と返事をし、私は氷を氷削機にセットする。山型に盛った氷に黄色と緑、それぞれのシロップをかけ、営業スマイルで子どもたちに手渡す。母親からお金を受け取り、「ありがとうございました」と去っていく親子連れを見送った。
はぁ、と小さくため息をつき、タオルで額の汗を拭う。人手が足りないからどうしても、と知り合いに頼まれて手伝いに来たけれど、想像した以上にハードだわ。かき氷屋なら涼しいかな、と思ったけど、全然そんなことなかった。冷房の利いた店内が恋しいわ……。
「あ。雅哉、かき氷だよ。美味しそう」
「いいね。買っていこうか。何味にする?」
若い男女のカップルがやってくる。けっ、リア充が。お揃いの浴衣なんか着て。お前らに甘さはもう充分足りてるんだから、シロップなんかいらないだろ。氷だけで食っとけ。
男女のカップルはこれで何組目だろう。店が非番の今日、本来なら家でお気に入りリストに入れておいた百合映画をまとめて鑑賞する予定だったのに。それをこんな、見たくもないものを見せつけられることになるとは。……まぁ、夏祭りだから仕方ないけど。
「あ。見て、かき氷よ」
いま来たカップルを処理し終えると、すぐに近くから若い女の声が聞こえた。またカップルか? もう勘弁してくれ、と顔を上げた私の目は、その瞬間、大きく見開かれた。
「本当だ。美味しそうだね、水汐」
「えぇ。どの味にしようか迷っちゃうわ」
ま、間違いない……前に店に来た、百合カップルだわ。まさかこんなところで、また出会えるなんて……! 前言撤回、今日は来てよかった。百合映画より本物の百合。お気に入りリストより、お気に入りの推しカプ。本当にナイス判断よ、蓮根杏子三十二歳……!
「うぅーん……決められないわ。こはる、選んで」
「水汐にはブルーハワイが似合うと思うよ」
「わかったわ、こはるがそう言うなら。こはるは何味にするの?」
「わたしもブルーハワイにしようかな」
「同じ味? 違う味にして、食べさせ合いっこしたほうが……」
「うん。……でもわたし、何でも水汐と同じがいいからさ」
「こはる……」
し、しかもなんか、やりとりの豊潤さがグレードアップしてるわ。特にこっちのミディアムヘアの子。前に会話を聞いたときは受けかなと思ったけど、今日はなんだか妙に積極的。夏祭りで気分が開放的になっているのかしら。それか時を経て、リバ関係になった? どちらにせよ、今日は仲良さそうに手なんか繋いで……。二人の関係性の成熟を感じる……。
「あ。ブルーハワイもいいけれど、抹茶も気になってきたわ。……両方買っちゃおうかしら」
「あはは。水汐ったら、食いしん坊さんだなぁ」
「あら。それを言うなら、こはるだって。口の端に、さっき食べたたこ焼きのソースがついてるわよ?」
「え、えぇ? うれ——水汐、もっと早く言ってよぉ。意地悪だなぁ」
「あ、待って。私がとってあげる」
「え、とるって……あ、ちょっ——」
「うふ。おいしい」
ゆ、指でっ! 指でぇぇぇッ!! 負けてない、こっちの子も相変わらず凄いわ……! あぁ、こんな良いもの見られていいの、私? 「おいしい」はこっちのほうだわ。ごちそうさま。願わくばこれを映像に収めたいところだけど、さすがに目の前でスマホを構えるわけには……。まったく、法律ってどうして存在するのかしら。
あ。いけない、鼻の奥に気配が……。落ち着きましょう、蓮根杏子三十二歳。そしてよだれを啜りましょう。たしか見世棚の下にティッシュが……あ、あった。これを事前に詰めておけば……ん? サングラス……。いいわね、これもかけておきましょう。万一、私のことに気づかれないように。夏祭りの夜、せっかく二人きりの世界を堪能しているのだから、知り合いとの遭遇で二人の気分を冷めさせてはいけない。私は壁、もとい、ただの売り子に徹するべき。
「あ、店員さん。ブルーハワイ二つください」
ミディアムヘアの子の声に「はいはい」と顔を上げる。明らかに「うっ」という顔をされた。たしかに、冷静に考えればだいぶ怪しい出で立ちになってしまったわね。……まぁ仕方ない。警戒されつつもかき氷を渡し終え、お金を受け取る。
「わぁ。とっても美味しそうね、こはる」
「う、うん……」
「どうしたの?」
「いや、いまのお店の人……」
「まぁ、こはる。いやよ、他の女の人のことを気にして。お願いこはる、私だけを見ていて……」
「え? あ、あぁ、うん。も、もちろんだよ水汐。わたしの目には、水汐のことしか見えていないよ」
「こはる……。好きよ」
「わたしもだよ、水汐」
そう言って去っていく二人を見送る。あぁ……いいものを見られた。最高の時間だった。このまま二人についていきたいところだけど、二人に貰った元気で、店番がんばらなくちゃね。それにしても、本当に今日は来てよかった。神様、ありがとう……。
「ママ―。あの人、鼻からいちごシロップ出てるよ」
「しっ。見ちゃいけません」
◇◇◇
「こはる、次はどのお店に行く?」
愁衣さんが嬉々として訊ねる。もうけっこういろんな屋台に行った気がするけれど、お祭りが初めての愁衣さんにとって、珍しい食べ物や遊びばかりで楽しいのだろう。それはいいのだけど……
「み、水汐は、どのお店が気になる?」
「うふ。こはるが決めて。大好きなこはると一緒なら、何を食べても、何をしていても楽しいから」
このノリはいつまで続くのだろう……。いや、たしかに提案したのはわたしだけど、まさか愁衣さんがここまでノリノリでカップルごっこに没頭するとは思わなかった。名前の呼び方や、セリフまで細かく決められて。なぜこの遊びをする人は、とかくわたしに演技指導をしたがるのだろう……。
「えーと……じゃあ次は、射的とかやってみる?」
「射的……。いいわね、おもしろそう。うふ。こはるに手取り足取り教えてもらいながらやったら、的だけじゃなく、私のハートも撃ち抜かれちゃいそう」
「ず、ずきゅーん。あはは……」
わたしはいったい、なにをやっているんだろう。そんなことを思いつつ射的の屋台に向かっていると、ふいに愁衣さんの体がふらりとよろめいた。
「愁衣さん? どうしたの、大丈夫?」
「え、えぇ。ちょっと、人に酔ってしまったみたいで……」
言われて、周りを見回す。そうか、お祭りが初めてなら当然、この人混みにも慣れていないか……。
「いったんこの通りから離れて、どこか静かなところで休もうか」
「えぇ……ごめんね、こはる……」
ううん、とわたしは首を振る。とはいえ、静かなところ……自分で言っておいて、すぐには思い付かない。この近くにどこかあったろうか。静かで、少し座って休めるような……
「ママ―。神社の裏の公園で遊んできてもいーい?」
「だ、だめよぉ、まなちゃん。あの辺りは夜になると人通りが少ないからぁ。一人で行ったら危ないわぁ」
「そっかぁ、わかったよママ―。あの公園は、夜は人がいなくて静かなんだねー。ベンチもあってー。じゃあまた、明日の昼に遊びに行こーっと」
どこからか、親子のものと思われる声が聞こえてきた。神社の裏の公園……そうか、あそこなら。
「愁衣さん、行こう」
と、愁衣さんの手を引いて歩き出す。数歩歩いたところで、ふと気になり、振り返った。
いまの声、誰か知り合いの声に似てたような気がしたけど、気のせいかな……。
☆☆☆
「どう、愁衣さん? 少し落ち着いた?」
「こはる。えぇ、おかげでだいぶ気分が良くなったわ」
「よかった。……はい、これ。飲んで」
「お茶……。わざわざ買ってきてくれたの? どうもありがとう。お金払うわね」
「いいよ、それくらい。愁衣さんには勉強教えてもらってる恩とかあるし」
「こはる……。ありがとう。それじゃ、頂くわね」
神社の裏の公園。予想どおり、園内は閑散としていて静かだ。まなつちゃんの機転で、親子の演技をした会話で二人をここに誘導し、あたしたちは二人の先回りをした。いまは二人が座っているベンチの後ろにある茂みの陰に、まなつちゃんと二人、しゃがんで身を潜めている。
……のだけど、
「それにしても、いい公園ね。静かで、心が安らぐわ」
「昼はけっこう子どもがいて、騒がしいんだけどね。わたしも小さいころはよく、まなつと遊びに来たなぁ」
「うふふ、小さいころから仲良かったのね。まなつちゃんは元気?」
「元気、元気。相変わらず毎日、遊んでばかりいるよ。宿題は大丈夫なのかね」
「こはるが手伝ってあげたら?」
「えぇー、嫌だよ面倒くさい。毎年、夏休みの終わり間際になって泣きついてくるんだから……あいつは一回、痛い目見たほうがいいよ」
(まなつちゃん、まなつちゃん)
(なに、陽菜姉?)
(なんか……大丈夫? 静かな場所でいい雰囲気になるどころか、なんか日常会話始まっちゃったけど。カップルごっこも、いつの間にか終わっちゃったし)
(だ、大丈夫、大丈夫。ここからだよ。ここからやがて、ふと会話がやみ、二人はいい雰囲気に……)
(あと、まなつちゃん。宿題はちゃんとやりなよ)
(な……! い、いま、ウチのこと関係ないでしょ……!?)
「まなつちゃんといえば、また一緒にゲームがしたいわ」
「あぁ……あのホラーゲーム? よくやるよね、あんなの。わたしはああいうのは、ちょっと……」
「こはるは、ホラーが苦手なの?」
「うーん……まぁ、得意ではないね。そういえば、愁衣さんは意外とホラー大丈夫なんだね。あのゲームもすごく上手だったらしいし」
「私もけっして得意というわけではないけれど、ゾンビは平気ね。少なくとも火葬が一般的なこの国において、あまり出会う機会はないだろうから」
「妙に現実的だな……」
うーむ……なんというか、だめだな、こりゃ。ただただ日常会話が盛り上がりを見せている。それにしても、こうして見ているとこの二人、おたがいにずいぶん打ち解けた感じで話すようになったな。二人の友だちとしての関係性の成熟を感じる。……友だちとしての。
(水汐姉、また家来ないかな……。あのゲーム、二周目でまた詰まってるんだよな……)
こっちはこっちでゲームのこと考え出しちゃってるし。
たぶん、このままこうして見ていても、まなつちゃんが期待するような展開にはもうならない。ずっとしゃがんでてだんだん足も痛くなってきたし、そろそろ潮時かな……。
「だから実際、この公園もけっこう怖いんだよね。静かだし、街灯少なくて妙に暗いし……」
「そうだったのね。うふふ。怖いものが苦手なこはる、なんだか可愛いわ」
「からかわないでよ。だってさぁ、ここ、なんか草も生い茂ってるし……ほら、あそことか、何かいそうじゃ……」
周りに目をやっていたこはるが、ふいに振り返ってこちらを見る。一瞬、目が合った気がした。
まずい、気づかれたか……?
◇◇◇
「い、いま、そこの茂みに何かいたような気が……」
「うふふ。こはるったら本当に怖がりなのね。好き」
「いや、『好き』のタイミングよくわかんないけど……。でも、確かに……」
「わかったわ。じゃあ私が確認してきてあげる。こはるは座っていて」
そう言うと、愁衣さんはおもむろに立ち上がった。土の地面を下駄でサクサクと歩き、茂みのほうへと近づいていく。
やがて愁衣さんの足が止まった。少し背伸びをして、茂みの向こうを覗き見るように首を伸ばすと——
「きゃあぁぁっ!!」
と悲鳴を上げた。
「う、愁衣さん!?」
慌てて立ち上がり、走って愁衣さんの元に行く。愁衣さんはわたしに縋るように抱きつくと、
「は、はにゃはにゃはにゃはにゃ、はんにゃ、……般若!」
と口もとを戦慄かせる。
「は、般若?」
「そう、般若がいたの! 茂みの向こうに……」
コクッ、と唾を飲み込み、二人でじりじりと茂みのほうに寄る。手でそっと草を掻き分ける。
「な、何もいないみたいだけど……」
「そんな……でも、さっきはたしかに……。暗闇に白い般若の顔がぬぼぉっと……」
「気のせいか、なにか別の物と見間違えた、とか……?」
「そ、そう、ね……。よく考えたら公園に般若がいるはずないわ。能の舞台でもないのに……」
「般若を霊として恐れているのかそうでないのか、どっちなんだ……」
ところで、と愁衣さんに遠慮がちに声をかける。愁衣さんに抱きつかれ、わたしも怖くて愁衣さんの背中に手を回していたため、二人で抱きしめ合うような体勢になってしまっていた。「そろそろ、離れない?」
「あ。ごめんなさい、こはる。私ったら……」
「いや、わたしこそ……」
おたがいに手を離す。体を離そうとすると、愁衣さんがわたしのTシャツの裾をきゅっと掴んできた。
「……愁衣さん?」
「こはる、その……」
言い淀み、それから愁衣さんは続きを言う。
「カ、カップルごっこの、続きをしない……?」
「えぇ、またやるの? いいけど、なにを——」
わたしが言いかけると、愁衣さんは頬を赤く染めて、もじもじと言った。
「キ、キス、してほしい……」
ひゅるりと、風が通り抜けた。辺りがしんとした静寂に包まれる。
「え、と……あ、あはは……ちょっとどうしたの、愁衣さん? 急にそんなマジな感じで。やめてよ、驚くから……」
愁衣さんは答えず、黙ったまま、潤んだ瞳でわたしを見つめてくる。そして一歩、わたしのほうに寄った。
「う、愁衣、さん……?」
愁衣さんがゆっくりと両瞼を閉じる。
「……」
————え、マジ?
目を閉じたまま、愁衣さんは動かない。両手を胸に当て、赤らんだ頬で、控えめにツンと唇を突き出している。これは……マジだ。マジのキス顔だ。いつもの「こはる、キスして」のノリとは違う、本気でそれを待ち受けるときの顔……。
え……いや、え? 本当にキスしろってこと? カップルごっこの一環として? ……い、いやいや、いくらなんでも。そんな、ただのごっこ遊びでキスまでするなんて、さすがに行き過ぎてる。そういうのって、もっと大事なもののはずだ。遊びで、好きでもない相手とすることじゃ——
……好きでも、ない。そう思った瞬間、胸の中が風で揺れる木々のようにザワザワと音を立てた気がした。わたしと愁衣さんは友だち。友だちとしては、もちろん、わたしは愁衣さんのことが好きだ。ただ、それだけ。それだけ……の、はず。
なのに、どうしてだろう。それを思うと、わたしの体内がザワザワと音を立てる。まるでわたしの中にいる誰かが、わたしに「そうじゃない」と言っているみたいに。
……お、落ち着け。わたしはブンブンと首を振る。そして顔を上げ、愁衣さんの顔を正面に見据えた。
はっきり断らないと。こんなことはやめようと。さすがに行き過ぎだと。カップルごっこ。言い出しっぺの立場で申し訳ないけれど、さすがに限度がある。
そうだ、前にもこんなことがあったじゃないか。あれは愁衣さんがわたしに「唾を飲ませろ」と言ってきたとき。わたしは愁衣さんの話をよく聞かずに一度了承したけど、あとで「口から口へ、直接」という意味だと知って、それだけはどうしても、と断った。だって、愁衣さんとキスをするのが嫌だったから。いまだってそうだ。わたしは、愁衣さんとキスをするのがい——
「……」
思わず、あれ、と声が出そうになった。目を閉じた愁衣さんの顔をじっと見つめる。
わたしは、愁衣さんとキスをするのが……
嫌じゃ、ない————?
□□□
氷削機のハンドルを回す手を止め、ふと神社があるほうの空を見やる。
百合の波動を感じる——————。
ひょっとしたら、あの子たちかしら。いまごろどこか静かな場所で、しっぽりとよろしくやってるのかも。あの髪の長い子、浴衣姿がとてもよく似合っていたわね。二人でベンチにでも座り、ふと横を向いた瞬間、浴衣の襟から覗く白いうなじに思わず心をときめかせ——
あぁ。見に行きたいけれど、いまは仕事中。遠くからあなたたちの恋路を応援しているわ。
頑張ってね、二人とも……。
「タ、タカくん、わたしのブルーハワイが、真っ赤に……」
「か、かき氷、別の店で買おう、結花……」
(③へ続く)




