抱きしめてほしい③
テーブルをどかし、愁衣さん用の布団を敷き終わる。
「よし。じゃあ愁衣さんは今日、ここで寝て」
「ありがとう、こはる。……ごめんなさいね、急に泊まることになってしまって」
「いいよ。この雨じゃ、帰るの大変だし。愁衣さんのお家の人がオッケーなら、うちは全然大丈夫」
ガタガタと風雨が窓に叩きつけられる音が聞こえる。嵐のような突然の大雨は、天気予報によると明日の朝までやまないそうだ。現在単身赴任中の父が家にいれば、車で送ってもらうこともできたのだが。
「ごめんね。うちのお母さん、車乗らない人だから」
「ううん。私もこういう場合に備えて、将来は絶対に自動車免許を取らないことに決めたわ」
「こういう場合に備えるんだったら、むしろ取ったほうがいいんじゃないの……? あとその服もごめんね。Tシャツと短パンなんて……。わたし、ちゃんとしたパジャマって持ってなくてさ」
「そんなにいろいろ謝らないで。泊まらせてもらえるだけでありがたいのに、その上服まで貸してもらえて、本当に感謝しかないわ。こはるの部屋で、こはるの服を着て、こはるの匂いのついた布団に包まれながら眠ることを考えたら、私、今日はきっと安らかに……」
——と、愁衣さんはぴたりと言葉を止め、閉じていた瞼をカッと見開く。
「寝られないかも……ハァ、ハァ」
「な、なんで息荒らげてんの……!? よくわからないけど、とりあえずその布団はお客さん用のやつで、わたしのじゃないから」
なあんだ、そうなの、と愁衣さんは唇を尖らせる。なぜ残念そうなのか。
「えっと、じゃあそろそろ寝ようか。電気消していい?」
「うん。おやすみ、こはる」
電気を消し、ベッドに横になる。寝ようか、と言ったのはわたしだけど、せっかくの「お泊まり」ですぐに寝てしまおうという気にはやっぱりなれない。
「それにしても、愁衣さんが作った夕食、美味しかったなぁ」
と、結局わたしから話しかけている。
「うふ。よかったわ。こはるさえよければ、毎日作りに来てあげる」
「それだとうちの母の仕事がなくなっちゃうので……。でも、そういえば愁衣さん、前に調理実習のときやたらやる気出してたことあったもんね。料理、得意だったんだね」
「嬉しいわ、覚えていてくれて。あれは、こはるの脇を嗅がせてもらったときだったわよね」
「その覚え方は、なんか嫌だな……。でもまぁ、あれのおかげでこの夏も安心してノースリーブとか着られてるわけだし、そういう意味では感謝かな」
「ノースリーブ!? 待って、私それまだ見たことないわ。いつ着たの? ずるい!」
「ずるいってなに……? まぁ、じゃあ、今度また遊ぶとき、着ていくよ」
「約束よ。……ねぇ、こはる」
「なに?」
「夏休み、まだまだたくさん遊びましょうね」
「うん。……まぁ、宿題もやんなきゃだけど」
だらだらと話はやまない。お泊まりのときって、こうやって電気が消えたあと、どうしていろいろと話したくなってしまうんだろう。
愁衣さんは、校外学習で中華街を一緒に回ったときのこととか、学校帰りに下着屋に行ったときのこととか、この間の水族館でのこととか、これまで一緒に遊んだときのことを次々と話してきた。わりと前のことだったりもするのに、ついさっき誰かを相手に話す練習をしてきたみたいに流暢だ。
こうして聞いていると、短い間だけど、愁衣さんとの思い出はすでにけっこうあるんだなぁと気づく。なんなら、もしかしたら、高校に入ってからいままで、いちばん多く一緒に時間を過ごしている相手は愁衣さんかもしれない。最初、クラスで初めて愁衣さんの姿を見たときは、こんな綺麗な子と自分が仲良くなることなんて絶対ないんだろうなぁ、なんて思ったけど、わからないもんだ。いまではこうして同じ部屋で寝ていても、緊張とか気まずさとか、まったく感じない。ひょっとしたらもう、親友って感じ? ……なんて、愁衣さんのほうはどう思ってるかわからないし、調子乗りすぎか。
「ふぁ……」
ふと、欠伸が出た。眠くなってきたな。
「愁衣さんごめん、わたしそろそろ寝るね。眠くなってきちゃった」
「あ、……うん」
ふっ、と小さく息を吐き、目を閉じる。愁衣さんが遊びに来た日。愁衣さんといっぱい話せて、美味しい料理も食べられて、今日は本当に大満足だった。いい夢が見られそう……。
「こはる」
——と、愁衣さんが小声で声をかけてきた。
「ん? どうしたの、寝られない?」
「え、えぇ。あの……」
愁衣さんは言い淀む。暗くてよく見えないけど、たぶんもじもじしながら愁衣さんは言った。
「わ、私も、ベッドで寝てもいいかしら……?」
「え、……あぁ、うん、わかった。いいよ。じゃあわたし、そっちの布団で寝るから」
「そ、そうじゃなくて、その……」
すっ、と細く息を吸う音が聞こえて、愁衣さんは言った。
「こ、こはるの隣で、寝たい……」
「……」
「……」
「え、と……」
「……だめ?」
「いや、だめってことはないけど……でもわたしのベッド、狭いよ?」
「大丈夫。むしろそのほうがいいし……」
「そのほうがいいってことはないと思うけど……」
「じ、じゃあ、……行ってもいい?」
「う、うん、まぁ……、どうぞ」
ありがとう、とか細く返事をし、愁衣さんがそろそろとベッドに上がってくる。愁衣さんの細さのおかげで、想像したより窮屈にはならなかったけど、それでも二人分の体を乗せたシングルベッドはそれでもう定員いっぱいな感じだ。
「……狭くない?」
「平気。こはるは?」
「うん、まぁ、大丈夫」
よかった、と微笑む愁衣さんの顔が目の前にある。なんか、恥ずかしいな。後ろ向きで寝ようかな、と寝返りを打とうと思ったところで、愁衣さんの腕がわたしの背中にすっと回された。
「……あの」
「ごめんなさい。私、こうしないと寝られないの」
「こうしないと、って……家ではいつも誰かと一緒に寝てるってこと?」
「ううん、家では、その……」
言葉を切り、少し恥ずかしそうに愁衣さんは言った。
「ぬ、ぬいぐるみを、抱きしめて寝てる……」
え、なにそれ。かわいい。言った愁衣さん以上に、聞いたわたしもなぜか恥ずかしい気持ちになる。
「こうされるの、嫌……?」
「いや、べつに……まぁ、好きにして」
「ありがとう、こはる」
手を背中に回したまま、愁衣さんがきゅっと体を寄せてくる。寝られないというなら、まぁ仕方ない。翌朝、また寝不足の愁衣さんの指を舐めることになるのも困るし……。
「えぇと……、じゃあ、寝れそう?」
「うん。ごめんね、いろいろさせてもらって」
「いいよ。それじゃ、寝ようか。おやすみ」
「あの、こはる。できたら、こはるも……」
「うん? なに?」
「……ううん、なんでも。ありがとう。おやすみなさい」
愁衣さんが目を閉じる。何を言いかけたんだろう。……まぁいいか、わたしも寝よう。
ほどなくして、愁衣さんの寝息が聞こえてきた。そっと目を開ける。うん、確かに寝てる。すごいな、本当にこれで寝られるんだ……。
愁衣さんの寝顔、可愛いな。寝てても可愛いなんて、なんかずるい。まつ毛、なが。鼻の形も綺麗で、ピンク色の薄い唇は桜の花びらのようだ。……なんか、愁衣さんを最初に保健室に連れて行ったときのことを思い出す。あのときもこんなふうに、愁衣さんの顔に見惚れたっけ……。
「こはる……好き」
思わず、少しドキッとしてしまう。たしか前もこんなことあったな。あのときは、図書室で。
……そういえば、愁衣さんってよくわたしのことを「好き」って言うけど、それってどういう意味なんだろう。いや、どういう意味って、そりゃ、「友だちとして好き」ってことだと思うけど……。友だちとして好き。わたしも、愁衣さんに対して同じ気持ちだ。普段は恥ずかしくて言えないけど、寝ているいまなら……
「わたしも好きだよ、愁衣さん」
そう小声で言ってみる。寝てても、結局ちょっと恥ずかしい。口に出したら、なんか少しドキドキしてきた。ドキドキ……何にだろう。わからないけど、なんだか……
「ん、こひゃる……」
ふにゃふにゃと力の抜けた声で言い、愁衣さんがさらに身を寄せてくる。足の先まで、触れ合っていない箇所がないほどに密着してしまった。腕はわたしの背中にしっかり回されている。鼻先がぶつかってしまいそうな距離だ。愁衣さんの温かい吐息が顔にかかる。
「う、愁衣さ……」
ひょろひょろと喉の奥から絞り出したような声が出た。どうしてか、身体が固まったように動かない。愁衣さんの体温、心臓の音……嗅ぎ慣れているはずのシャンプーの匂いは、なぜか知らない甘い匂いに感じた。なんで。なんでわたし、こんなにドキドキしてるの……?
「好き……」
甘い吐息とともに、愁衣さんがまたその言葉を呟く。鼓動がさらに速くなる。ね、寝ないと。夜なんだから。でも、寝られない。さっきまでの眠気がどこかに行ってしまった。顔が熱い。身体も。熱い、熱い……
暑い……!!!
そうだ、暑いからだ、寝られないのは。考えてみれば、そりゃそう。この真夏に、人にこれだけ密着されているのだ。こんな状況で寝られるわけない。首筋や胸もとにじんわりと汗をかいているのを感じる。
冷房の温度を下げ……たら、愁衣さんが寒いかもしれない。着替えよう、もっと涼しい服に。そのためには、まずここから脱出しなければ。
愁衣さんの腕をそっと掴む。慎重に一本ずつ、わたしの体からそれらを離した。「ん、んん……」と愁衣さんは少し声を発したけれど、寝息は一定のリズムで続いている。よかった、起こさずに済んだ。
愁衣さんの体を跨ぎ、わたしは静かにベッドから降りる。自室とはいえ、暗い中ではチェストが探しづらい。手探りでなんとかたどり着き、音を立てないよう引き出しを開ける。手に触れたのはブラトップだった。……まぁ、これでいいか。暗くて奥のほう探しづらいし。
着ているTシャツを脱ぎ捨て、取り出したブラトップに着替える。あぁ、Tシャツより断然涼しい。ついでに短パンも脱いじゃいたいけど、そんな格好で寝てるとこ愁衣さんに見られたら、だらしないと思われるかな。……いやまぁ、大丈夫か。いま寝てるし、愁衣さんより先に起きて何か穿いちゃえばいいんだし……。
衣擦れの音に注意しながら、ウエストゴムに手をかけ、短パンをそっと足もとへ滑り落とす。涼しい。風が通り抜けるみたい。これなら寝られそうだ。わたしはまた足音を殺しながらベッドに戻る。
愁衣さんの隣にそっと身を横たえる。安らかな寝息。一度寝てしまえば、わたしを抱きしめた状態でなくてもそのまま熟睡できるらしい。着替えを挟んだことで、結果的にわたしも愁衣さんに抱きしめられながら寝ることにならずに済んだし、これでようやく安眠できそうだ。「おやすみ、愁衣さん」とささやいて、わたしは目を閉じる。
「こひゃりゅぅぅ……」
——と思ったら、愁衣さんの腕が再びガシッとわたしの背中に回された。体を寄せてくる。こいつ、ほんとに寝てるんだよな……?
……って、いうか。そうか、しまったな。一度ベッドを出たのなら、わたしは愁衣さん用に敷いた布団のほうで寝ればよかったじゃないか。なにを律儀にベッドに戻ってきてるんだ。わたしってアホなのかな。気づいたいまとなっては時すでに遅し。愁衣さんの腕はわたしをがっちりホールドしている。気のせいか、さっきよりも拘束力が強い気がする。
愁衣さん、それにしても心地よさそうな寝顔だ。何かを抱きしめて寝るのって、そんなに気持ちいいものなのかな。
……。
わたしも、ちょっとやってみようかな……。
そろそろと腕を動かし、愁衣さんの細い腰に回す。背中にそっと手を置いてみた。……あ、これ、なんかいいかも。なんか不思議と安心する。もう少しだけ、愁衣さんのほうに体を寄せる。温かい。甘く、優しい香りに包まれて、次第に目がとろんとしてくる……。
「こはる……」
愁衣さんの声が遠くに聞こえる。
「愁衣さん……好き……」
————。
◆◆◆
タオルケットを跳ね除け、ガバッと起き上がる。
……寝られん。
まぁ、そりゃそうか。昨日寝たのほぼ朝だったからな……。恐るべし、夏休みの昼夜逆転ライフ。
ひとまず部屋を出て、トイレに向かう。どうしよっかな。このまま眠くないのに横になってても仕方ないし、眠くなるまでまたリビングでゲームでもしてようかな。……でもなぁ。いまやってるホラーゲーム、ちょうど強い敵が出てきて詰まってるところで、やってもかえってストレス溜まりそうなんだよな。うぅん、どうしよう……。
用を足し、自室に向かい廊下を歩く。途中にある、お姉の部屋のドアが目に入った。
あ、そうだ。お姉の部屋に遊びに行くのはどうかな。愁衣さんもいるし、どうせまだ起きてるでしょ。二人に話し相手になってもらって——じゃなくて、えぇと、そうだ、「治療」の話を聞かせてもらおう。愁衣さんからは聞いたけど、お姉の口からもちゃんとその内容を聞いて、妹として、しっかりその実態を把握しておかないとね。うん、そうだそうだ。
ドアの前に立つ。ノック——は、しなくていいか。ワンチャン寝てるかもしれないしね。
部屋のドアを薄く開ける。あれ、暗い。なんだ、本当にもう寝ちゃってるのか。ドアの隙間から、床に敷かれた布団が見える。人が泊まりにきたとき用の布団。今日はそこで、愁衣さんが寝て——
ない……? 布団の上に人影はなかった。え、じゃあ愁衣さん、どこで寝てんの……?
まさか、とある考えが頭をよぎる。ベッドのほうは暗くてよく見えない。え、まさか、一緒に寝て……?
『私ね、こはるのことが好きなの』
愁衣さんの声が脳内に甦る。お姉とのことを幸せそうに語る顔も。
ま、まさか、この機に乗じて、お姉を——? い、いやいや、さすがにそんな。仮にそんなことしようとしたとして、お姉だって拒むでしょ。拒む、よな。拒む……かな? だって、お姉もたぶん、愁衣さんのこと……。
ごくり、と唾を飲み込む。確認……すべきか。
ドアを静かに大きく開ける。忍び足で室内に踏み入った。と、足が何かを踏んで危うく転びそうになる。なんだ? と見ると、お姉のTシャツだった。少し離れたところに、短パンも脱ぎ捨てられたように転がっている。
こめかみを汗が伝う。暑いわけじゃなかった。一歩一歩、ベッドのほうに近づいていく。
ようやくたどり着いた。そして——
見下ろした先にあったのは、抱きしめ合って眠る二人の姿だった。
「……」
床に脱ぎ捨てられたTシャツと短パン……下半身下着姿のお姉……そしていま二人は、なにか満ち足りたように安らかな表情で、ひしと抱きしめ合って眠りに就いている……。
ど……、ど……、
「どう見ても、『事後』の絵面じゃねぇかああぁぁぁぁッッッ————————!!!」
家の壁が揺れるのが聞こえた気がした。
◆◆◆
『グゥオオオォォォォ……!!』
と、巨大ゾンビが右から振り下ろしてきた鉈を左にかわす。その隙を突き、頭部めがけてショットガンをぶちかます。後ろに大きくのけぞるゾンビ。やったか? ——と、思ったのも束の間、ゾンビはすぐに体勢を立て直し、またこっちに向かってくる。クソ、どんだけしぶといんだ、コイツ。
『きゃあっ!!』
攻撃を避けそこない、ゾンビに足を掴まれてしまった操作キャラが悲鳴を上げる。なんだよお前、主人公ならそんな情けない声出すな。操作キャラに馬乗りになるゾンビ。ショットガンの弾はもうない。ハンドガンで応戦するも、力不足。あっという間に首もとに咬みつかれ、肉を食いちぎられてしまう。
ゲームオーバー。
「はぁ」
コントローラーを置き、上を向いて息を吐き出す。——と、トッ、トッ、と階段を下りる軽い足音が聞こえてきた。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと喉が渇いちゃって」
と、愁衣さんはキッチンに行き、コップに水を注いで口を付ける。
「……寝られないの?」
戻ってきた愁衣さんに声をかける。
「あぁ……うん。私、一度起きちゃうと、なかなかまた寝付けなくて」
「ごめんね、起こしちゃって」
「あ。ううん、いいのよ、そういう意味で言ったんじゃ……。まなつちゃんが起こしてくれたおかげで、こはるのあんな格好も見ることができたし、気にしないで」
はは、と苦笑いで応じる。まぁ、いま思えば、お姉はたぶん単純に暑いから服を着替えただけなのだろう。もっと冷静になるべきだった。それでも、友だちの前でパンイチで寝るな、とは思うけど。
「それにしても、こはるったら全然起きないのね」
「あぁ。お姉、眠りが深い人だから。そして朝は太陽と共に起きる。健康優良児だよ」
そしてそれはお母さんからの遺伝らしい。そんなわけでお母さんも、ウチの絶叫にまるで動じることなくすやすや寝ている。
「なるほど。つまりこはるは、寝かせてしまいさえすれば……」
「おい、余計な学びを得るな。なんか怖いから」
と、愁衣さんがすたすたと歩き、ソファまでやってくる。
「まなつちゃん、なにしてるの?」
「見てわかんない? ゲームだよ。ホラゲー」
「ほらげ?」
「ホラーゲームの略」
わかんないのか。まぁ、この人ゲームとかしなそうだもんな。
「ゾンビを銃で倒して進むの。街とか、森の中とか」
「ゾンビなのに銃で倒せるの? 死んでいるのに?」
「いや、そのへんの設定はウチもよく知らないけど」
「なぜ個人で戦うの? 戦車や航空機を使えば……」
「知らない。それじゃつまんないからじゃないの?」
ゲームオーバーになり、いまはオープニングデモが流れている画面をしばらく眺めて、愁衣さんは言った。
「私も、やってみていい?」
「え。……いいけど、寝なくていいの? 愁衣さん、寝不足だと翌朝、大変なことになるんでしょ?」
「大丈夫よ、ちょっとにするから。一回だけやったら、お部屋に戻るわ」
「……」
ぽすっ、とソファの隣に座った愁衣さんにコントローラーを渡す。予想どおり、ゲームというものにほとんど触れたことがないようで、まず握り方からのレクチャーとなる。何が可笑しいのか、アナログスティックを触り、「あはは、ぐりぐり」と喜んでいた。
ひと通りの説明を終え、ゲームを開始する。愁衣さん操る女主人公が夜の森に入っていく。あ、ていうか、さっきの続きのまま始めちゃったけど、最初からとかのほうがよかったかな……。まぁ、いいか。どうせどこをプレイしても、すぐやられて終わりだろうし。
「まなつちゃん、このゾンビはどこを撃てばいいの?」
「頭。ゾンビは基本みんな、頭撃てば倒せるから」
「どうして? 頭に何か核みたいなものがあるの? そこから体に指令を送っているとか……」
「だから知らないって。理屈はいいから、とにかく撃って」
現れた三体のゾンビを愁衣さんが順に撃ち倒す。こいつ、意外にうまいな。無駄にエイムいいし……。まぁ、ここから敵強くなるから、そろそろ苦しくなってくるだろうけど。
「うふふ。楽しいわね、ゲームって」
「そりゃよかった」
「こはるとも一緒にゲームするの?」
「たまにね。ま、お姉はウチに比べて、てんで下手だけど」
「いいわね、姉妹でゲーム。楽しそう」
愁衣さんが微笑む。その横顔が、なぜか少し寂しそうに見えた。
「……愁衣さんは、きょうだいいないの?」
「いるわ。姉が一人」
「仲いい?」
「そんなに。姉はなんていうか、私のことがあまり気に入らないみたいで」
一瞬、間が空いて、愁衣さんは口もとを微笑ませたまま言った。
「私も、まなつちゃんみたいに可愛い妹だったら、もっと姉に好いてもらえたかもしれないわね」
「……」
夕食のとき、お姉を「お姉ちゃん」と甘えたような声で呼んでいた愁衣さんの姿が脳裏に浮かんだ。二度、唇を噛みしめてから口を開く。
「愁衣さんは、その……けっこう、いい人だと思うよ、……意外と」
「まなつちゃん……?」
「だから……きっと、お姉さんとも、いつか……仲良くなれるんじゃない?」
顔を背けて言う。「そうね、ありがとう」と愁衣さんのやわらかな声が横から聞こえた。
「ところで、まなつちゃん」
「……なに?」
「なんだか大きいのが出てきたんだけれど、これはどう戦えばいいの?」
「大きいの……え、えっ!? ボスまで来てんじゃん!! とと、とりあえず、鉈の攻撃よけて!!」
「わ、わかったわ。——こう?」
「うまいっ!! で、その隙にヘッドショット!! で、そいつすぐまた攻撃してくるから、油断しないで!」
「う、うん。……ねぇ、まなつちゃん。この敵、どうしてわざわざ鉈で攻撃してくるのかしら? 振り下ろしたときの隙が大きすぎるし、直接、腕で殴ったほうが……」
「い、いいから、理屈は!! いまは特にいいから!! ——あ、ほら、来るよ!! かわす体勢とって!!」
————。
◇◇◇
朝。リビングに降りると、ソファで抱きしめ合うようにして寝ている愁衣さんとまなつの姿があった。テーブルの上に置かれたコントローラー、画面には「クリアデータを保存しますか?」の文字……。一緒にゲームをやっていて、寝落ちしてしまった、というところだろうか。
「お姉……」
「お姉ちゃん……」
むにゃむにゃと二人が寝言を言う。思わず、ふっと口もとが緩む。昨日の夕食のとき、愁衣さんに「お姉ちゃん」と言われたのを思い出した。妹が二人っていうのも、意外と悪くないかもな……。
「お姉、おんぶ……」
「お姉ちゃん、揉んで……」
「……」
やっぱり、よく考えよう。
◇◇◇
共に朝ごはんを食べ、それから愁衣さんが帰る段になった。わたしは愁衣さんを駅まで送るため、着替えて一緒に玄関に行く。
「寂しいわ、水汐ちゃん。またいつでも来てね」
「はい、ありがとうございます」
「次来るときまでに、書類は用意しておくから」
「何の書類だ。本気で愁衣さんに日向姓を与えようとするな」
と、リビングのほうから、まなつが遅れてやってくる。
「また来なよ、……水汐姉」
照れくさそうに言うまなつに、愁衣さんは笑顔で「うん。また来るわね、まなつちゃん」と返した。
二人に見送られ、愁衣さんと一緒に家を出る。昨夜からの雨はすっかり上がり、空は快晴。今日も暑くなりそうだ。
「こはる、手を繋ぎましょう」
愁衣さんが言った。わたしはぽりぽりと指で頬を掻き、
「ちょっとね」
と言って、手を差し出した。
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【おまけ:愁衣さん帰宅後の、日向姉妹のやりとり】
◇ ━━━━━━━━━━━━ ◆
「ねー、お姉。水汐姉、次いつ来んの?」
「いま帰ったばかりでしょ。知らないよ、当分先」
「えー。このゲームの二周目、一緒にやりたかったのになぁ」
「……ところで、まなつ」
「なに、お姉?」
「今朝、なんで愁衣さんと一緒に寝てたの?」
「なんで、って。だから、ゲームやってて二人とも寝落ちして……」
「それは聞いた。そうじゃなくて、……なんで愁衣さんと抱き合って寝てたの?」
「あぁ。寝てたら水汐姉がウチのこと抱きしめてきたんだよ、寝ながら。で、ウチも抱きしめ返してみたら、なんかあったかくて気持ちよかったから、そのまま寝たって感じかな。寝ぼけてたから、よく覚えてないけど」
「ふぅん……」
「……もしかしてお姉、怒ってる?」
「は? 何に? なんで? 怒ることなんか何もないじゃん。意味わかんないんだけど」
「意味は……まぁ、ウチはわかる気がするけど……」
「それより、まなつ。そろそろ夏休みの宿題、やり始めなさいよ」
「え、なんで急に……」
「あと、掃除もしなさい。あんたの部屋、ちょっと汚すぎ」
「え、と、……はい。あの、お姉。確認だけど、怒ってはないんだよね?」
「怒ってない! わかったら、さっさと動く!」
「は、はい! 掃除からします!」
「あ、待って、まなつ。ついでにお風呂掃除と、トイレ掃除もお願い」
「……えぇと、お姉。再度確認するけど、怒っては……」
「怒ってない!! さっさとやれっ!!」
「は、はいっ!! 行ってきますぅ!!」
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お読みいただき、ありがとうございました。
次回は10月30日(金)18:00に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




