抱きしめてほしい②
コンコン、とノックの音が響く。ドアを開けると、立っていたのはお姉だった。
「ごはんできたから呼びに来たよ」と言う。
首を振り、廊下の左右に目をやる。あいつの姿はない。
「……愁衣さんは?」
「下にいるよ。今日、愁衣さんも一緒に夕飯食べてくから」
ついに、このときが来てしまった。お姉には悪いけど、あいつと食卓を囲むなんてごめんだ。
「ウチ、いい。今日はいらない」
「え、食べないってこと? なんで?」
「お腹空いてないから」
そう言ったまさにその瞬間、ぐうぅぅ……、とお腹が唸るような音を立てた。
「……」
「……」
「笑いたきゃ笑いなさいよ」
「いや、どっちかというと戸惑ってるけど……」
お姉に連れられ、階下に下りる。ダイニングテーブルにはすでにたくさんの料理が並べられていた。
お姉が、いつも座っている席に座る。その隣には愁衣さんが座っていた。
「ちょっと。そこ、ウチの席なんですけど」
「え。……あら、そうだったの? ごめんなさい」
「どこでもいいでしょ、席なんて」
軽い調子で言ってくるお姉に、思わずムッとする。
「よくないよ! だって……」
「だって?」
「ぅ……」
「まなつ、お母さんの隣じゃ嫌? なんなら膝の上でも……」
お母さんの言葉を聞き流しながら、その隣に座った。お母さんの「じゃ、いただきましょうか」の合図に、三人の「いただきます」の声が重なる。ウチも呟くように言って箸を取る。
それにしても、とあらためてテーブルの上の料理を眺める。煮込みハンバーグに大きめな鶏の唐揚げ、サーモンのカルパッチョ、トマト、チーズ、オリーブの入った色鮮やかなサラダ……。手のかかりそうな料理ばかり。お母さん、ずいぶん気合入れて作ったな……。
「んー。この茶碗蒸し、おいしぃー」
碗を手に、お姉が幸せそうに目を細める。
「そう? うふ。よかったわ。ちゃんと固まっていた?」
「うん。もう、最高の食感。だしも効いてて、めっちゃおいしいよ」
——は?
「ち、ちょっと待って。その茶碗蒸しって、愁衣さんが作ったの?」
「そうだよ。愁衣さん、お母さんの料理手伝うって言ってくれて。すも入ってなくて見た目も綺麗だし……愁衣さん、茶碗蒸し名人だね」
「嬉しいわ。ありがとう、こはる」
なんてことだ……。こいつが作った料理なんて口に入れる気がしない。他の料理から食べよう。
「まぁ! 水汐ちゃん、この唐揚げすっごくおいしいわ! 外はカリッと中はジューシー。まるでお肉屋さんの唐揚げみたい」
お母さんが言う。え、唐揚げもなの? お腹空いてるから食べたかったのに。しかたない、じゃあ——
「うわっ、このハンバーグもおいしい! 味が奥まで染み渡ってる感じ……。愁衣さん、なんでこんなふうにできるの?」
「煮込んだあと、一度冷ますとお肉が旨味を吸い込みやすくなるのよ。あとは時間をかけて弱火でじっくり煮込むのもポイントね」
ハ、ハンバーグも封じられた。ウチはいったい何で白米を食べれば……。
「はあ……。水汐ちゃん、このスープ、コクがあってとてもおいしいわ……」
スープもかよっ! ほとんどの料理、こいつが作ってんじゃん! 「手伝う」って次元じゃないだろ、もはや!
「あ、あの、お母さん」
「なあに、まなつ?」
「お母さんが作った料理って、なにかないの?」
するとお母さんは、テーブルの端に置かれたマグロの刺身をすっと指さした。
ザ・切って出しただけ——————!!!
「いやぁ、まさか愁衣さんがこんなに料理上手だなんて知らなかったよ。勉強もできて、料理もできて、そのうえ美人。あらためて考えてみると、愁衣さんって実はかなり高スペックだよね」
「もう、こはるったらそんな、恥ずかしいわ……もっと褒めて」
「あはは、じゃあこのくらいに……って、え? もっと褒めるの? 文脈的に『そんなに褒めないで』かと思ったのに」
な、なんてことだ。困ったぞ。こうなるともう、ウチは刺身だけで白米を消化しなければいけなくなる。漁師かよ。
「まなつ、どうしたの? あなたさっきから全然食べてないけど……。お腹空いてない?」
お母さんが訊いてくる。空いてない、ということにはできない。もうお姉にバレてしまっているから。
「わかった。まなつ、愁衣さんが一緒で緊張してるんでしょ? ほら、まなつもこのハンバーグ食べてみな。まなつ、ハンバーグ好きでしょ?」
と、お姉がハンバーグの載った皿を近づけてくる。違うよお姉。ウチが好きなのはお母さんやお姉が作ったハンバーグだ。でも、そんなふうに勧められてしまったらもう断ることはできない。みんながウチのことを見てる。仕方なく、箸で小さく切った塊を口に放り込む。
「……うまっ」
思わず、そう口から出てしまった。なんだこのハンバーグ。そもそも箸を入れたときにその柔らかさにまず驚いたけど、実際に嚙むとただ柔らかいだけじゃなくて滑らかでしっとりしてる。さっきお姉も言ってたように、ソースが肉の奥まで染み込んでるからだ。それでいてふんわりと、肉らしい弾力もしっかりあって……。これは、悔しいけど……本当に美味しい。
「ね? おいしいでしょ」
お姉がどこか誇らしげにそう訊いてくる。作ったのお前じゃないだろ、と言いたいところだけど、まずは黙って頷きを返した。ちらと愁衣さんのほうに目をやる。嬉しそうに微笑んでいる顔が見えた。ムカつく。でもハンバーグはうまい。もっと食べたい。箸が勝手に動く。
「ねぇ水汐ちゃん、本当にうちの子にならない?」
「はい、なります」
「だから即決するなっての。お母さん、自分が料理で楽したいだけでしょ」
「水汐ちゃんがうちに来たら、こはる、妹が二人になるわね」
「まぁ、本当に来たらね。誕生日的に」
「私が、こはるの妹に……」
「あ、あはは……。嫌だよね、こんな頼りない姉じゃ——」
「お姉ちゃん」
「すぐ認められた」
「ほらこはるお姉ちゃん、水汐ちゃんを抱っこしてあげなさい」
「愁衣さんを何歳くらいの子として設定してるの、それは?」
「お姉ちゃん、キスして」
「それは姉に対してする要求じゃないぞ、妹」
あぁ、最悪だ。最悪の会話が繰り広げられてる。だけど箸は止まらない。そしてハンバーグ以外も食べたくなってくる。お姉の妹はウチだけだ。こんなやつに「お姉ちゃん」なんて絶対に呼ばせない。あぁなにこの唐揚げ、サックサク。めちゃうま。あっちの生春巻きも気になってきた……。
結局この夜、ウチはご飯を三杯おかわりした。
◆◆◆
レバーハンドルを上げ、シャワーを頭から受ける。温かいお湯が身体に溜まったイライラを洗い流してくれるようだった。少し後ろに下がり、水流を胸もとに当てるようにする。はぁ、と息をついた。
夕食のあと、デザートの冷やしプリン(これも愁衣さんが作った)を食べながらしばらく談笑し、それからようやく愁衣さんは帰っていった。当然、そんな場にはいられないから、ウチはすぐ自分の部屋に帰ってやった。……プリンは、貰って部屋で食べたけど。おいしかったけど。
シャワーを止め、足からゆっくり湯船に入る。夏でも、ウチは湯船にしっかり浸かりたい派。肩まで浸かると、熱い湯が全身にじわっと染み入ってきて、身体の内側から温まっていく感じがする。浴槽の縁に頭をあずけて、「ふぃ~」なんてババくさい声を出してみる。
——と、外からザァザァと音が聞こえるのに気が付いた。しばらくシャワーを浴びていたから気が付かなかったけど、雨が降っているらしい。しかもこの音の大きさ……けっこうな本降りっぽいな。
——どうしたの——
——たいへん——
——とにかく——
——そうね——
……ん? なんだ? 今度は家の中のほうが騒がしい。お姉とお母さんの慌てたような声と、それからこちらに近づいてくる複数の足音。そして——
バコッ、と浴室のドアが突然開いた。入ってきたのは、
「う、愁衣さん……!?」
一糸まとわぬ姿の愁衣さんだった。
「まなつ、ごめん。愁衣さんを一緒にお風呂に入れてあげて」
脱衣所からひょこっとお姉が顔を出す。
「は、はぁ!? なんで……」
「愁衣さん、駅に行く途中で雨に降られちゃったらしいの。びしょ濡れで、このままだと風邪引いちゃいそうだから」
あらためて見るとたしかに、愁衣さんの髪は、それこそまるですでにシャワーを浴びたあとのようにびっしょり濡れている。帰る途中でこの大雨に降られて、それで引き返してきたってこと……?
「じゃ、よろしくね」
そう言って、お姉はバタンとドアを閉める。「ごめんね、まなつちゃん」と愁衣さんが申し訳なさそうに微笑む。マジかよ……。
愁衣さんがシャワーを出し、髪を洗いはじめる。あぁ、どうしてこんなことに。この狭い空間にこいつと二人きり。しかも裸で。最悪だ……。
しかし……と、くしゅくしゅとシャンプーで髪を洗いはじめる愁衣さんの体をそっと眺める。こいつの肌、ほんと綺麗だな。ソファで下着姿を見たときにも思ったけど。つるつるで、ぷるっとしてて、さっき食べた冷やしプリンみたい。……ちょっと、触ってみたい。
「——ん?」
ふいに愁衣さんが手を止めて、こっちに目をやる。やべ、と重なってしまった視線を慌てて外し、隠れるように湯船の中に身を沈める。なにやってんだ、ウチは。女の体に見惚れるとか……イカれてんのか?
「——う、愁衣さん。湯船、先使って」
「え、でも……」
「い、いいから。雨に濡れて、体冷えてるでしょ? お湯に浸かって温まりなよ」
愁衣さんと交替でウチは洗い場に行く。ちゃぽっ、と愁衣さんは静かに湯船に浸かると、「ありがとう、まなつちゃん。優しいのね」と笑顔を向けてきた。「べつに」と返し、シャンプーボトルの頭をこすこすと押す。もう充分温まったし、髪と体を洗って、さっさと風呂から出てしまおう。
「……あら? まなつちゃん、足に薄い傷跡があるのね」
ふと、愁衣さんが言った。
「え? あぁ、これ……。小さいころにした怪我の跡だよ」
「大きな怪我だったの……?」
「遊んでて枝で切ったの。けっこう深く切っちゃって痛かったけど、お姉が応急手当てしてくれて……」
喋りながら、当時の思い出が甦る。家族で行った自然公園。走っていて転んでしまったウチは、近くに突き出ていた枝で腿の横を切ってしまった。痛さで泣き叫ぶウチに、お姉は持っていた水筒の水で傷口を洗い、自分のお気に入りのキャラクターのハンカチをそこに押し当ててくれた。そして泣きじゃくるウチをおんぶして、少し離れたところにいた両親の元まで連れ帰ってくれたのだ。
あのときのお姉の手当てがなかったら、もっと大きな傷跡が残っていたかもしれない。いまではもうすっかり薄くなって、たぶんもうじき完全に消えてなくなる。それは嬉しいことだけど、できればこのまま残りつづけてくれないかな、とも少し思う。
「さすが、こはる!」
話を聞き終えると愁衣さんは目をキラキラさせ、胸の前で手を組んで言った。
「昔からこはるは優しかったのね。そうやって、いつも私にしてくれるみたいに、まなつちゃんに対しても治療を……」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に口が動いた。
「はぁ!? 一緒にしないでくれる!? ウチの大切な思い出を、あんたの意味わかんない病気の治療と同じにしないで! お姉は優しくて……困ってる人を放っておけない性格だから、ただ親切であんたの相手をしてやってるだけ! それがなかったらあんたなんか、お姉の友だちでも何でもないんだから! 勘違いしないで!」
言い終わり、ウチははっとする。愁衣さんが悲しそうに顔を俯かせていた。
「あ……その、ちがう、いまのは……」
「いいの」
と、愁衣さんが顔を上げる。
「こはるはただ親切で私の相手をしてくれているだけ……まなつちゃんの言うとおりだと思う。私とまなつちゃんでは、こはるにとっての存在の大きさが全然違うわよね。きっと私、少し調子に乗っていたんだと思う。まなつちゃんの大事な思い出を自分のことと軽率に重ねたりして……本当に、ごめんなさい」
「……」
頭を下げる愁衣さんに返す言葉が何も浮かばなかった。人に謝られて、こんなにすっきりしない気持ちになったのは初めてだ。
「私ね、こはるのことが好きなの」
頭をゆっくりと上げて、それから愁衣さんは静かに言った。言われなくても、そんなことはとっくに気づいてる。それが「友だちとして」という意味ではないことも。
「寝ても覚めても、こはるのことだけを考えていたいくらい。部屋の壁紙をすべて、こはるの顔写真にしたいくらい。今後、言葉をただ一つだけしか喋れなくなる場合、それが『こはる』であってほしいと願うくらい」
そしてその愛が、少々重すぎることも……。
「……そうなるきっかけが、こはるが私にしてくれた治療だったの」
「え?」
「保健室でね、低体温症になった私をこはるは優しく抱きしめてくれた。『放っておけば治る』と言っても、『愁衣さんが辛そうだから』って。家族でも、そのときはまだ友だちですらなかったのに、なんて優しい人なんだろうと思ったわ」
「……」
そのときのお姉の顔が目に浮かぶようだ。きっと苦しそうにしている愁衣さんを放っておけなかったのだろう。
「だから私にとっても、こはるの『治療』は大切な思い出なの」
「あ……」
それでウチの話を、自分のことと重ねて……。愁衣さんにとっても、それがお姉との大切な思い出になってるんだ。それなのに、ウチは……。
……思い出を傷つけたのは、ウチのほうだったのかも。
「それからも、こはるは私にたくさんの治療をしてくれたわ。声が出なくなってしまった私に唾液を飲ませてくれたり、私の胸を自分の胸で揉んでくれたり……」
愁衣さんは語りつづける。それにしても、あらためて聞いてもすごい内容だ。こんなこと、よくやってるな、お姉……。
「胸で胸を揉むのは、下着屋さんの試着室でもしてくれたわ。あとは、校外学習で一緒に手を繋いだまま中華街を巡ったこともあったわね」
へぇ、保健室だけじゃなく、けっこう外で遊んだりとかもしてるんだ。手を繋いだまま、中華街でどうやってごはん食べたんだろ……。
「あ。そうそう、この間ね、こはると一緒に水族館に行ったのだけど、そのときこはる、私にラッコのキーホルダーを買ってくれたのよ。『愁衣さんには、ダイヤよりハートかな』なんて言って……こはるったら普段鈍感なくせに、ふいにああいうことしてくるから困るわよねぇ」
……ん、あれ? なんか治療の思い出を語るふりして、途中からただノロケを聞かされてない? 困るわよねぇ、じゃないよ。ウチが困ったよ。なんか話を切り上げるタイミング、なくなっちゃったよ。
「しょれから、ねぇ……こひゃる、ったらぁ……」
体を洗いながら、なおも続く愁衣さんの話をほぼ聞き流しつつ聞いていると、ふと愁衣さんの口調がなんだかふにゃふにゃしていることに気が付いた。ろれつも怪しい。「愁衣さん?」と見ると、こちらを向いている愁衣さんの顔がゆでだこのように真っ赤になっていた。今日、初めて会ったときみたいに。
「う、愁衣さん!? どうしたの!?」
「ちょっと、のぼしぇちゃっら、みたいぃ……」
「のぼせたって、そんな大した時間入ってないのに……」
「わらし、のぼしぇやしゅくって……家れは、お湯の温度低めにしぇっていして入ってるんらけろ……」
「そんな……だったら水でうめてくれれば……」
「まにゃつちゃんがまら入ると思ったから……勝手にしょんなことしたら、わりゅいと思って……」
「……」
なに言ってるんだ、この人。気を遣うポイントおかしいだろ。……なんだか、普段のお姉の苦労が少しわかった気がした。
「とにかく、のぼせたなら早く出て、外で涼まないと」
しかし愁衣さんはふるふると首を振る。
「わらしは、それじゃ治らにゃいのぉ……」
「はぁ? じゃあ、どうすれば……」
「まにゃつちゃん、一緒にゆぶにぇに入ってぇ……」
「え、なんで……?」
「健康な人の体を抱きしめしゃしぇてもらえれば、それで、治りゅのぉ……」
「……」
なぜ、それで治るのか。気にはなるけど、訊いてる場合じゃない。ウチは立ち上がり、愁衣さんの前に屈み込むような形で湯船に身を沈めた。ざぱぁ、と浴槽から溢れたお湯が洗い場に落ちる。
「まにゃつちゃん……もっと、こっち来てぇ……」
「わ、わかった」
言われたとおり、愁衣さんのほうに体を寄せる。と、愁衣さんの腕がぬるっとウチの体の前に回された。そのまま、ぴとっと、愁衣さんがウチの背中に上半身をくっつけてくる。
「ほ、本当にこんなんで治るの?」
「ぅん、治りゅぅ……」
本当だろうな。もし嘘だったら、顎にエルボー入れてやるからな。
フゥ、フゥ、と首筋に愁衣さんの浅い吐息を感じる。背中に触れる愁衣さんの体は、さっき見ていた印象どおり、つるつるとして柔らかい。やっぱ、プリンだ。
その体勢のまま、どれくらい経ったろう。ふいに愁衣さんが「まなつちゃん」と声を発した。首だけ後ろに振り向かせる。
「治ったの?」
「少し、良くなったわ。あとちょっとこのままでいさせてもらえれば、完全に回復すると思う」
そう言う愁衣さんの顔はまだ赤い。でもたしかに、さっきまでより赤みは引いたように見える。活舌もまともだ。すごいな、本当にこれで回復するなんて。「あとちょっと」か……と思ったところへ、愁衣さんがさらにきゅっと体をくっつけてきた。
「な、なに?」
「ふふ。まなつちゃんの感触、こはるを抱きしめたときの感触と少し似ているわ」
「そ、そう……なの?」
「うん。さすがは姉妹ね」
「そう、なんだ……へへ」
と、ふいに愁衣さんがウチの胸もとに手を置いてきた。
「でも、ここはあまり似ていないけど」
こいつ、やっぱり一発ヒジ入れてやろうかな……。
「ねぇ、愁衣さん」
「なあに、まなつちゃん?」
「お姉との『治療』の思い出、もっと聞かせてよ。さっき、途中だったでしょ?」
「聞いてくれるの? 嬉しいわ。えぇと、何から話そうかしら……。そうだ、じゃあ、私の熱中症を治すために、水着の隙間から股に手を入れてもらったときのことを……」
「ま、股に手? そんなことまでしてんの?」
「えぇ。そのときは……あ、待って。それより、机でベッドを作って足をマッサージしてくれたときの……いや、図書室でお腹をさすってもらったときのことを先に……あ、そうだわ、それより、さっきちょっと言った中華街でのこと。右手を使えない私に、こはるがラーメンを『あーん』して食べさせてくれて……」
「……」
なるほど、中華街ではそうやって食事をとったのか……。その後も、ウチが相槌を打つ間もなく愁衣さんの話は続く。さっきひどいことを言ってしまった罪悪感から、それと単純に「治療」の内容が知りたかったから、ちょっと話を聞いてやろうと思っただけなのに、「こはるが……、こはるで……、こはるったら……、こはるなのよ」と、お姉一色の話はいつまでも終わらない。こいつ、本当にお姉のことが好きなんだな……。
……て、いうか、この人。さっきからまるで自分がお姉に片想いしてるかのように話すけど、本気でそう思ってるの? いくらお姉でも、ただの親切だけでそんなになんでもかんでもしてくれるわけないだろ。こいつ、それに気づいてないの? お姉のことを言う前に、本当の鈍感はお前のほうなんじゃないのか……?
「それでね、こはるがね……、こはるに……、こはると……」
幸せそうな顔で愁衣さんは語りつづける。……ま、いっか。黙っとこう。なんかちょっと腹立つし。
でも、こうして愁衣さんに抱きしめられていると、なぜだか自分も穏やかな気分になってくる。不思議だ。小さいころ、お姉と一緒にお風呂に入っていたときのことを思い出す。
————。
「それでね……あ、ごめんなさい、ちょっと喋りすぎてしまったわね。まなつちゃんのおかげで、もうすっかり体も良くなったわ。そろそろ、出ましょうか」
そう言って湯船から出る愁衣さんに、「待って」と声をかける。
「どうしたの?」
「の、のぼせた……」
頭がふらふらと揺れ動く。「まぁ、大変」と愁衣さんは湯船に戻り、ウチに背中を向けてくる。
「さあどうぞ、まなつちゃん」
「ウ、ウチはそれじゃぁ、治らねぇよおぉぉ……」
(③へ続く)




