抱きしめてほしい①
パン、パンッ——。
『ウオオォォォォ……』
二発目の銃弾がゾンビの頭を撃ち抜く。ヘッドショットが決まった。鳴き声とも断末魔ともつかない声とともに、ゾンビがその場に崩れ落ちる。
懐中電灯で暗闇に覆われた室内を照らす。これでこの部屋のゾンビはすべて倒した。ハンドガンのリロードをし、次の部屋に向かう。
——と、部屋の隅、ぽつんと佇む本棚にふと目が留まった。裏側に微かに隙間がある。——隠し部屋? 本棚を横から押してずらしてみる。と、裏に開けた空間が現れた。しめた。もしかしたら、何か貴重なアイテムが……。
『ウオオォォォォ』
『ウオオォォォォ』
瞬間、空間の奥から唱和するように響くゾンビの声。チッ、まだこんなにいたとは。ここはハンドガンじゃ分が悪い。ショットガンに持ち替えようと背中に手を回す。すると、
『グゥオオオォォォォォ』
ガシッと、その手を力強く掴まれた。しまった、後ろにもまだいたのか……! 振りほどこうにもびくともしない。なんて力……見れば他のゾンビたちより体もでかい。こいつ、ここのボスか……?
おーい
ギリギリとねじ上げられた手からハンドガンが落ちる。片足を後ろへ跳ね上げ、脛を思いきり蹴るけれど、敵は怯みすらしない。脱出は絶望的だ。
おーい、まなつー
目の前にゾンビたちが迫る。だらしなく開いた口が糸を引いているのがはっきりと見えるほどに。万事休す。ゾンビどもの硬い歯が、いま、首筋に強く押し当てられる——
「まなつってば! おい、起きろっ!」
頭上から降ってきた声に、はっと目を覚ます。目の前にはゾンビ……ではなく、ウチを見下ろすお姉の顔があった。
「まったく、いつまで寝てんの。夏休みだからって、ここぞとばかりに昼夜逆転して」
ソファの上で半身を起こす。壁の時計を見ると、もう昼過ぎだった。
「いやぁ、ウチもいろいろ忙しくて。特に昨晩は遅くまで夏休みの宿題をやっていましてね」
イシシ、と頭を掻きながら言うと、お姉は腕組みをしたままの手で、黙ってテーブルの上に人差し指を向ける。そこには出しっぱなしのコントローラー。Oh……。
「とにかく、さっさと起きて服着替えといてよ。もうすぐ愁衣さん来るんだから、そんなみっともない格好でいないで」
「愁衣さん?」
「友だち。今日来るって言っといたでしょ?」
あぁ、そういえば。それ、今日だったのか。
「学校の友だち?」
「そ。同じクラスの」
「男?」
「なわけ。女の子だよ。すっごい綺麗な子だから、まなつ、きっとびっくりするよ」
「あ、そ」
何がおかしいのか少し笑って、お姉がリビングを出て行こうとする。
「どこ行くの?」
「愁衣さんを駅まで迎えに行くんだよ。うち来るの、今日が初めてだから」
なるほど、それでそんな出かける用の服着てたのか。
「いい、まなつ? わたしが帰ってくるまでに、ちゃんとしといてよ。愁衣さんに、だらしない妹がいるって思われたくないから」
へいへい、と適当に返事を返す。お姉はそのままリビングを出て行った。やがて、ガチャン、と玄関ドアの閉まる音が響く。
ふわあ、と大きな欠伸をひとつして、のそのそとソファから起き出す。まだぼんやりした頭のまま、洗面所へ向かった。
友だちね。
陽菜姉以外で、お姉が家に友だちを連れてくるなんていつ以来だろう。高校の友だち。お姉は部活をやってないし、何か大きな学校行事があったとも聞いていない。同じクラスに、たまたまそんな気の合う人がいたってこと?
愁衣さん、とか言ってたっけ? 「すっごい綺麗な子」なんて、嬉しそうにニコニコしちゃって……気に食わない。なんでそんな人がお姉と仲良くしてんの? お姉、なんか騙されてるんじゃないだろうな……。
顔を洗うとだいぶ目が覚めた。髪を簡単に整え、自室に行って服を着替える。
よし、決めた。お姉にふさわしい人間かどうか、ウチが見てやろう。お人よしで面倒見のいい姉だ。そんな性格につけ込んで、何か悪いことに利用しようとするような奴かもしれない。もしそうだったら、お姉に代わってウチが家から追い出す。
来るなら来い、愁衣! と、姿見の前で構えをとったところで、ピンポーン、と家の呼び鈴が鳴る。お母さんは買い物に出ていていない。駅まで行ったお姉が帰ってくるには早いし、荷物でも届いたのかと玄関に見に向かう。
「はーい」
念のため、ドアの向こうに返事をしておく。声は返ってこない。やっぱ宅急便かな、と外に置かれているであろう荷物を回収するため、ドアを開けた。すると意外にも、そこには人影があった。
立っていたのは、上下黒のスカートスーツを着た女の人だった。保険のセールスとかかな、と思ったけど、それにしては年齢が若そう。ゆらゆらと上半身が左右に揺れている。足もとも、その場で足踏みするようになんだか覚束ない。そしてスカートから伸びる足も、それから手も、なにより顔がゆでだこのように真っ赤だった。女の人が、なぜか震えている口をゆっくり開く。
「こ、こひゃりゅゥゥゥ……」
なんかすごい人きた————————!!!
女の人は、ふらふらといまにも倒れそうな足どりで家の中に入ってこようとする。「ちょ、ちょ、ちょっと!」と止めようとするも、その異様な勢いに圧され、侵入を許してしまう。
「こひゃりゅ、こひゃりゅゥゥゥ……」
女の人は焦点の定まらない目をこちらに向けながら、意味のわからない言葉をうわごとのように呟く。声は喉がひび割れているかのようにガラガラだ。両手をだらりと前に垂らし、よろよろと一歩ずつこちらに近づいてくる。なにコイツ……ゾンビ? ウチ、まだ夢の続きを見てるの……?
足をもつれさせながらじりじりと後ずさり、上がり框につまずいて廊下に尻もちをついてしまう。そのウチに向かって、ゾンビ(仮)は覆いかぶさるように抱きついてきた。
「こはるぅゥゥ、ダスゲテェェ……」
「ひ、ひえぇ……」
こ、怖い、怖いよ……! お姉、助けて……!
……っていうか、あれ? コイツいま、「こはる」って言った? そういえば、さっきから言ってたのも……。お姉の知り合い? ——もしかして、
「あ、あの……あなたもしかして、愁衣さんですか?」
「そうよォ……」
そうなのかよッ————!? 姉の友だちが、ゾンビだった件————!! ならさっき考えてたのとは違う理由で、いますぐ家から追い出したい————!!
い、いやまぁ、冷静に考えてゾンビのはずない。どう見たって普通の状態でもないけど……。っていうかこの人、顔の赤さから熱中症だとばかり思ってたけど、触れてみたら全身氷みたいに冷たい。だけど顔も手足も真っ赤。どういうこと? 暑いの? 寒いの? なんなの、この人……?
「ち、ちょっと来て」
とにかく、ここでこのままにしておいていいはずがない。立ち上がらせ、手を引いてリビングに連れていく。二階にベッドがあるけど、階段を上らせるのはこの状態じゃ難しそうだ。とりあえず、ウチがさっきまで寝ていたソファに横になってもらう。
お姉のスマホに電話をかける。状況を伝えると、「すぐ戻るから、そのままにしておいて!」とだけ言われ、通話は切れてしまった。スマホをテーブルに置き、寝かせた愁衣さんに向き直る。
それにしても、まさかこの人が愁衣さんだったなんて……。たしかに、あらためて見てみるとすごく綺麗な人だ。顔真っ赤だけど。「まなつ、きっとびっくりするよ」か。別の意味でびっくりしたよ、お姉……。
「うぅ……うぅん……」
愁衣さんが苦しげな声を上げ、眉間にぎゅっと皺を寄せる。「そのままにしておいて」とは言われたけど、本当にこのままにしといていいのかな。……お姉だったらきっと、何もせずにはいない気がする。
「あ、あの、愁衣さん」
と、愁衣さんに声をかけ、ソファのわきに膝をつく。
「えっと……なにか、ウチにできることあったら言って」
「ん……こはりゅ……」
「あ、ちょっ——」
愁衣さんがウチの胸もとに顔を埋めるようにして抱きついてくる。さっきも感じたけど、すごくいい匂い……。意識が朦朧としているからか、目がよく見えていないのか知らないけど、玄関で会ったときからずっとウチのことをお姉と勘違いしているようだ。それか単純にウチって、そんなにお姉に似てたりする? ……えへへ。
「——ん? あら?」
「え、あの……」
愁衣さんが、ふと何かに気が付いたように顔を離し、ウチの胸に手を当ててくる。不思議そうに首を傾げると、
「こはりゅ……? 胸、しぼんだ……?」
やっぱこいつ、いますぐ追い出そうかな……。
そのとき、玄関のドアが開く音がした。「ただいまぁー」とのんびりした声。お母さんが買い物から帰ってきたのだ。
「ただいま、まな——あら? 誰、その子? どうしたの?」
「おかえり、お母さん。ええと、この人はお姉の友だちで——」
と、事情を説明しようとしたところで、「お義母しゃま……!?」と愁衣さんの目がカッと開かれた。ふらつきながらソファから立ち上がる。
「お、お義母しゃま、初めまして。わらくし、愁衣水汐と申しましゅ。こはりゅしゃんとは、清いお付き合いを……」
なんか挨拶はじまった——————!!
「い、いやいや、なに急に、どうしたの!? いいよ挨拶とか! ほら、寝てて! もうすぐお姉帰ってくるから」
そう言って愁衣さんを再びベッドに寝かせる。
「まぁまぁ、これはどうもご丁寧に。こはるの母です。平素はうちのこはるが大変お世話になっておりまして……」
「あんたもなに平然と挨拶返してるんだよ!! ほら、よく見てこの顔の赤さを! いまそういう場合じゃないから!」
「い、いえ、おしぇわになっているのはわらしのほうれふ。こひゃるしゃんは本当に、やしゃしくて、しゅてきな女性で……」
「寝ながら挨拶を続けるなッ!! いいってもう愁衣さん! いまはおとなしく——」
「あら、そんな。あのとおり、ちょっと抜けてるところのある子ですから、なにかご迷惑をおかけしていないといいんですが……」
「お前も続けるなよッ!! なんなら、どっちかっていうともはやお前のせいだよッ!! いまそんな場合じゃないって言ってんでしょ!! いいから二人とも、もう黙ってて!!」
ようやく静かになってくれたお母さんに、あらためて状況を説明する。説明といってもウチ自身、まだ何がなんだかよくわかってはいないのだけど。
「まぁ。じゃあこの子が、こはるが今日うちに連れてくると言っていた子なのね」
「そうみたい。なんでこんな状態になってるのかは謎だけど……」
「でも、『そのままにしておいて』って……。こはるは、帰ってきてこの子をどうするつもりなのかしら」
「さあ。なんか、治療法とか知ってるんじゃない?」
「治療法ねぇ」
「ち、ちりょぉ……」
と、愁衣さんがふと声を上げた。ぼんやりした目でウチのほうを見ている。
「こはりゅ……治療、してくぇりゅの……?」
「だから、こはるじゃないって言ってんでしょ。ウチは妹のまなつ。お姉はもうすぐ帰ってくるから、もうちょっと待ってて」
「うぇしいわ、こはりゅ……。いつもあぃがとぉ……」
「……」
だめだこりゃ。意識が混濁してるのか、状況を正しく吞み込めていないらしい。こんな状態の人を治す方法なんて、本当にあるの? 早く救急車とか呼んだほうがいいんじゃ……。
——と、
「えっ、ちょっ——! う、愁衣さん!? なんで急に服を脱ぎはじめてるの……!?」
「どうしてって……。だってこはりゅ、治療してくぇりゅんでしょ? ……んしょ」
と、愁衣さんは手を下半身に当てながらソファの上でもぞもぞと体を動かす。ぱさり、とスカートが床に落ち、ぷりっとした形の良い白いお尻が現れた。それから次はシャツ。寝た状態で愁衣さんは器用に服を脱いでいく。なんか、脱ぎ慣れてる……?
「あ、あの、愁衣さん……?」
愁衣さんは上下の服をすべて脱ぎ終え、下着だけの状態になると、ウチに向かって両手を伸ばして言った。
「こはりゅ、来て……」
どゆこと——————!?
「どうしたの、こはりゅ……? やり方、忘ぇちゃった……?」
呆然としているウチに愁衣さんが悲しそうな顔で言う。
「やり方って……?」
「低体温しょぉの治療。こはりゅも裸になって、わらしを抱きしめてくぇればいいのよ……」
なに言ってんだ、こいつ——————!?
「う、愁衣さん。その相手って、わたしでも大丈夫?」
「——って、おい!! なんであんたちょっとやる気になってんだ!?」
服に手をかけるお母さんを慌てて制する。まずはこの人の言ってる言葉をよく吟味しないと。
裸になって抱きしめる? それが低体温症の治療……? だめだ、あらためて考え直しても、日本語なのにまったく意味がわからない。
……っていうかこの人、さっき治療の話になったとき、「いつもありがとう」とか言ってなかった? 「いつも」ってなに? ひょっとしてお姉、この人に対していつもそんな「治療」をしてあげてるってこと? 嘘でしょ……?
「待っててね、愁衣さん。いま、わたしが——」
「だから脱ぐなってッ!! なんでこの人の『治療』に対してそんな前のめりなの!?」
「離して、まなつ。いまを逃したら、こんな美少女を裸で抱きしめられる機会なんて、そうそう……」
「なにそのキモい発想ッ!? やめろッ!! この人の前に、まずその脳をどっかで治療してこい!!」
そこへ、バンッ、と玄関のドアが勢いよく開閉する音が響いた。ドタドタと廊下を走る足音が近づいてくる。
「愁衣さんッ!! 大丈夫ッ!?」
リビングに駆け込んできたお姉が、ぴたりと動きを止める。服を脱ごうとしている母親、それを止めようとしている妹、そして下着姿で寝ている愁衣さんへと順に視線が注がれるのがわかる。駆け込んできた瞬間とは裏腹の、冷え切ったような表情でお姉が言った。
「……なにしてんの?」
ですよね、以外に言う言葉のないウチは、「はは……」と力ない笑みを返す。ソファの上で愁衣さんが「あぇ? こはりゅが二人……?」と首を傾げていた。
◇◇◇
二人に謝りたい、という愁衣さんに付き添い、母とまなつへの謝罪(とあらためての挨拶)を終えたわたしは、愁衣さんと共にまた自室に戻る。
愁衣さんの治療はすべてわたしの部屋で行なった。単純にそれを二人に見られるのも嫌だったし、「いや、これは治療なんですよ」と二人に言い訳するみたいにやってたら無駄に時間がかかる気がしたから。
……それにしても。低体温症に熱中症、さらに急性声帯硬化症まで併発するとは、挨拶代わりにしてはずいぶん派手にやったもんだ。愁衣さんいわく、
「待ち合わせ場所に着いたまではよかったの。でもそこから『今日は頑張らなきゃ』と気合を入れすぎてまず声を失ったわ。さらに『これからこはるの家に行くんだわ』という緊張をあらためて感じて、低体温症にもなってしまって……」
とのことらしい。二つの発作を同時に起こした愁衣さんはパニックになり、「とにかく早くこはるの家に行かなきゃ」とうちに向かって歩きはじめた。しかしその道中で道に迷ってしまい、炎天下の外を長時間歩いているうちに、体のほとんどの部位が局所的熱中症になったのだそうだ。それはもはや「局所的」ではない。
複数の症状に苛まれ朦朧とする意識の中、それでも愁衣さんは「こはるの家に行く」という任務の遂行だけをプログラムされたロボットのように……いや、その本能だけで動くゾンビのように道を徘徊しつづけ、ようやく日向家を発見した。今日はわたしが駅まで迎えに行くことになっていたのだけど、一応事前にうちの住所は愁衣さんに伝えてあった。愁衣ゾンビはそれを頼りにうちを探し当てることができたのだ。
ちなみに、状況的に隠し通すのは不可能なため、母とまなつには愁衣さんの「発作」に関する諸々の事情をすべて話した。二人に言ってよいか愁衣さんに伺いを立てると、
「もちろんよ。こはるのご家族なら、私にとっても家族みたいなものなのだから。将来のためにも、私の口からきちんとご説明差し上げるわ」
とのことで、「私にとっても家族……」のあたりからは何を言ってるのかよくわからなかったが、とりあえず了承してくれた。愁衣さん一人に説明させるのはなんとなく不安だったので、わたしも同席した。
と、いうわけでひとまずのところ、いろいろな問題がすべて片付き、いったん落ち着いた。ローテーブルを挟み、愁衣さんと向かい合って腰を下ろす。
「ごめんなさいね、こはる。本当にお騒がせしてしまって。治療もたくさんさせて……」
「いや、いいよいいよ。わたしも、家に着いてからのことはいろいろと想定してたけど、来るまでの間のことはあまり考えてなかった。油断してたよ」
しゅんとする愁衣さんを、気にしないでと慰める。そんな愁衣さんを家に呼んだのはわたしなのだ。すべての責任を愁衣さん一人に負わせるのは可哀想。
やがて愁衣さんは気を取り直したようで、次第に笑顔を見せはじめた。話が途切れたタイミングで、「ところで……」となにやらキョロキョロと室内に目をやりながら言う。
「あらためて確認なのだけど、ここって、こはるのお部屋なのよね?」
「あらためるまでもなくわたしの部屋だけど、どうしたの、いまさら?」
「綺麗にしているのね」
「うん、まぁ……愁衣さん来るから、昨日の夜、掃除したからね」
「私、少しだけ……自分を解放してもいいかしら?」
「解放……?」
すると愁衣さんはおもむろに立ち上がり、両腕を大きく広げて「ス―、ハー」と深呼吸を始める。
「あぁ……こはるの部屋の空気……」
「山頂に到達した登山家……?」
それから今度は床にベタッと横になり、そのままゴロゴロと左右に寝転がりはじめる。
「あぁ! こはるの部屋の床! 聖なる大地!」
「大地……? あの、やめなよ愁衣さん、スーツ汚れちゃうよ……」
そう言って、ふと気が付く。
「……そういえば、愁衣さん今日、なんでスーツなんか着てきてるの?」
ゴロゴロ転がっていた愁衣さんはぴたりと動きを止め、亀のような体勢で首だけにゅっとこちらに向ける。
「それはもちろん、お義母さまにご挨拶に伺う大事な機会だからよ。失礼のないように正装で来たの」
「はぁ……。だとしたら、その正装いまもう埃まみれになっちゃってるから、それはそれでもはやだいぶ失礼だと思うけど……。とりあえず、家でその格好は窮屈だろうから、他の服に着替えなよ。わたしの部屋着、貸してあげるから」
チェストから適当な服を見繕って愁衣さんに渡す。愁衣さんは、なぜか細かく震える手でそれを受け取った。
「こ、こはるの、部屋着……」
「あんましおしゃれな感じじゃないけど、許してね。それそんなに着てないやつで、まだきれいだと思うから」
「こはる……これ、家に持ち帰ってもいい……?」
「え。いやいや、いいよそんな。洗って返そうなんて……」
「返す気はない」
「どういうこと?」
と、そのとき、
「あら? まなつ、あなたそんなところで何やってるの?」
「あ、ちょっ——、しー、しーっ」
部屋の外から母——となぜか、まなつの声が聞こえてきた。コンコン、とドアがノックされる。
「はーい、お茶が入りましたよー」
母が紅茶とお菓子を持ってきてくれた。テーブルの上にトレイが置かれる。
「お義母さま、ありがとうございます」
愁衣さんが土下座するかのごとく深く頭を下げる。
「いいのよ水汐ちゃん、そんな堅苦しくならなくて。自分の家だと思ってくつろいでちょうだい」
「自分の家……では、このまま住まわせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、いいわよ」
「いいわよ、じゃないだろ。愁衣さんのおうちの人に何て説明するんだ。愁衣さんも、あんまりこの人に適当なこと言わないで。この人、ちょっと変だから」
「まぁ、こはる。お義母さまになんてことを言うの。変だなんて……優しくて、とても素敵なお母さまじゃない」
「あらぁ、ありがとう水汐ちゃん。水汐ちゃんこそ、とっても素敵よ。娘にしたいくらいだわ」
「はい、してください」
「望むな。自分の血縁をもっと大事にしろ」
ところで、と母が愁衣さんを見て小首を傾げる。
「水汐ちゃん、その格好じゃ少し窮屈じゃない? こはる、何か代わりの服、貸してあげたら?」
「ちょうどいまその話してたとこ。もう貸したよ」
と、愁衣さんの傍らに置かれた部屋着を指さして言う。
「あら、……その服? 水汐ちゃんにはもっと、こういう服のほうが似合うんじゃないかしら」
と言って、母はおもむろに部屋のクローゼットを開ける。水汐ちゃん、と呼ばれた愁衣さんがその隣に行く。
「ほら、この服とか」
「可愛い。私、着させていただいてもよろしいんですか?」
「もちろん。——あ、このスカートもよく似合いそうね」
「では、こちらのブラウスと合わせるのはどうでしょう?」
「あ、いいわね! こっちのシアーシャツと合わせても可愛いかも」
「あの、その服全部、わたしのなんですけど……」
二人はわたしの声が聞こえないかのように服談義を続ける。この二人、なんか気が合いそうだな……。
◆◆◆
「お義母さま。私、このジーンズも少し気になります」
「うんうん、あえてカジュアルな感じでいくのもいいわね。じゃあ、このTシャツと合わせて……」
「あとついでに、下着もお借りしてもいいですか?」
「えぇ、いいわよ。えぇと、下着はたしかこっちの棚に……」
「おいきみたち、そろそろわたし、怒ってもいいか?」
自分の部屋の壁に耳を当て、止まない歯ぎしりに奥歯が痛くなる。
なんなの、あいつ? お姉とあんなに仲良さそうにしちゃって……お母さんとも。ていうか服はわかるけど、下着はいま借りる必要ないだろ。お姉ももっと強く止めなさいよ。
それよりなにより、許せないのは例の「治療」だ。なに、裸で抱き合うって? お姉、あいつにいつもそんなことしてあげてんの? なんで? もしかして何か、弱みとか握られてるんじゃ……。
「じゃあ水汐ちゃん、わたし行くわね。寂しくなったらいつでも呼んで」
「はい、お義母さま」
「呼ばないよ。お母さんは早く夕飯の準備始めて。今日は愁衣さんも一緒なんだから」
「えぇ、まかせて。お母さん、腕によりをかけて作っちゃうわ」
は? なに? あいつ今日、夕飯まで一緒に食べてくの? ……まさか、本当にそのまま住むつもりじゃないだろうな。
お姉を調教し意のままに従わせ、さらにお母さんにまで取り入って、あわよくばこの家の娘になろうとする……。
やっぱりあいつ、日向家を侵食しにきたゾンビなんじゃ……。
(②へ続く)
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お読みいただき、ありがとうございました。
次回は10月25日(日)20:00に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




