呆れないでほしい②
愁衣さんを引き取り、職員さんに何度も頭を下げ、苦笑いで見送られつつわたしたちはインフォメーションカウンターをあとにする。
「もう、なにやってんのよ愁衣さん! 水族館の人に迷惑かけて、館内放送まで……」
「だ、だってぇ……、ママ……」
「誰がママだ! はぐれたなら、スマホで連絡すればいいでしょ? わたし、メッセージ送ったのに」
「それが……私、今日忘れてきちゃったみたいで……。さっき、バッグの中を探したときに気が付いたのだけど……」
あぁ……。なんか待ち合わせ場所近くのベンチで「録音、録音」とか言ってバッグの中を漁ってたときか……。
「だったらそのとき言っといてくれればよかったのに……。そしたらあらかじめ、はぐれたときの待ち合わせ場所、決めておけたじゃない」
「だ、だって、スマホを忘れたなんて知れたら、こはるにダメな子だと思われると思ったから……。『現代人がスマホを家に忘れてくるなんて、戦国武将が刀を忘れて戦地に赴くようなもんだよ』みたいな、怒涛のツッコミラッシュがくるとも思ったし……」
「なんだ、ツッコミラッシュって……。言わないよ、そんなこと。っていうか、スマホ忘れるより、高校生で迷子になって館内放送されるほうがよっぽどダメな子だろ」
「それを言わないでぇ……。ごめんなさい、こはるぅ……」
ぐずぐずとすすり泣きながら、愁衣さんが縋るように両手を伸ばしてくる。はぁ、と小さくため息をつき、わたしは反対に愁衣さんに向かって手を差し出した。
「……? なに、こはる……?」
「手、繋ごう。愁衣さん、また迷子になったら大変だから」
涙がぴたっと止まり、ぽかっと口を開けた愁衣さんの顔に光が灯ったように見えた。
「スマホを忘れると、手を繋いでもらえる……」
「……いまなんか、余計な学びを得なかった? 今度迷子になっても、もう迎えに行ってあげないからね」
◇◇◇
愁衣さんと手を繋いで順路を辿り、やってきたのはこの水族館最後となる「深海エリア」だった。暗く照明が落とされ、ほの青くライトアップされた水槽内には、このエリアらしい変わった姿をした魚や生き物が静かに泳ぎ、または佇んでいる。金目鯛って深海魚だったのか、とひとり新たな知見を得て、その水槽を通り過ぎようとしたところで、ふいに愁衣さんが言った。
「こはる、大変。発作が起きそう」
「え」
思えば今日、待ち合わせ場所で「熱中症」の治療をして以来、愁衣さんはここまで何の発作も起こしていない。ついにきたか、いったい今日はどんな……と不安に思いつつ身構えていると、「もうだめ、くる!」と愁衣さんが目をきゅっと細めて言った。次の瞬間、
ぐぎゅるるるるるるぅぅぅ——————。
「……」
「……」
「え、あの……」
「私、空腹を感じるとお腹から大きな音が鳴るのよ」
暗い照明の下でもはっきりとわかるほど赤くなった顔で愁衣さんは言った。
「い、いやいや! 普通のことだよ、それ! なんか、さも特別な症状ですみたいな言い方で言ってるけど!」
「ち、違うの! 大きさなの! 私のお腹の音、なぜか人一倍大きいのよ!」
……あぁ、まぁ。たしかに聞いた瞬間、「ん? このエリアにいるどれかの生き物の鳴き声かな?」とはちょっと思ったけど……。
「あぁ、恥ずかしい……。まさかこはるに聞かれちゃうなんて……」
愁衣さんは赤くなった顔を隠すように両手で覆い、イヤイヤをするように首を振る。
「いや、まぁ……しょうがないでしょ、それは。生理現象なんだし。……ちなみに、それはいつもみたいに、この場ですぐに治す治療法は何かあったりするの?」
「ううん、何か食べて空腹を満たさないかぎりは……」
そこも普通なんだ……。まぁ、たとえば「お腹の音を収めるために指を舐めて!」とか言われてもやりたくないけど。割に合わないし……。
「えっと……まぁ、じゃあ、ここ出たら外のレストランでごはんにしよっか。そういえばわたしもちょうどお腹空いてきたし。ここがもう最後のエリアみたいだけど、もう少し我慢できる?」
「うん、大丈夫……」
しゅんとした様子で愁衣さんは頷く。お腹の音を聞かれたくらいで、そんな悲しまなくても……。むしろ愁衣さんがお腹の音大きいって、ギャップがあってなんか可愛いけどな。
俯く愁衣さんをなんとか励ましながら、深海エリアの残りを巡る。そのうち、愁衣さんも少し気を取り直したのか、笑顔を見せてくれるようになった。
「あ、クラゲ」
愁衣さんが立ち止まり、目の前の水槽を見つめる。わたしも横に立ち、そちらに目を向けた。水槽の中で何匹ものミズクラゲたちが水流に身を漂わせている。クラゲは深海の生物じゃない気がするけど、雰囲気に合うからここに展示されているのだろうか。
「綺麗ね……」
「うん……」
水槽内の照明が色とりどりに変化してクラゲの透明な体を照らす。まるでそれ自体がいくつものネオンのように、優しく、神秘的な光を放っていた。
ふと、わたしの肩に愁衣さんの肩が触れた。いつの間にかずいぶん近くにいる。なぜかすぐ「離れろ」と言う気になれなくて、そのまま目の前の水槽をじっと見つめる。あれ、なんかわたし、ドキドキして……
「こはる……」
そう囁くように言って、愁衣さんがわたしの肩にそっと頭を乗せてきた。俄かに胸の鼓動が高鳴る。「う、愁衣さん」と言った声が喉に引っかかったようになった。甘く透き通るようなシャンプーの香りが体温と一緒に伝わってくる。「こはる、私……」と愁衣さんが口を開いた。
ぐぎょぉろろろろろろろろぉぉぉぉ——————。
「やっぱり、すぐに出てレストラン行こうか……」
「あぁ……ごめんなさい……本当に、私って……」
◇◇◇
駅のホームから見える向こうの空は、ほんのりと赤みを帯びはじめていた。しつこい夏の日差しもようやく陰りを見せつつある。昼間に比べれば、空気もいくぶんやわらかくなった。
深海エリアを出たわたしたちは、お土産コーナーを手早く見て回り、風のようにレストランに向かった。水族館の感想を言い合いながらの食事を終え、いまは帰路についているところ。互いの電車を待ち、ホームのベンチに並んで腰かけている。
「いやぁ、今日はほんと楽しかったね。来てよかったぁ」
「うん、そうね」
愁衣さんが穏やかに微笑んで答える。それから、「こはる、これ」とバッグから何かを取り出してわたしに差し出した。手のひらに乗せられたのは、ラッコのキーホルダーだった。小さな両手で大事そうにダイヤ形のおもちゃを抱えている。
「あ、ありがとう。これ、ルルちゃん?」
「うん。こはる、ルルちゃん気に入ってそうだったから。……今日のお詫び」
「お詫び?」
うん、と愁衣さんは俯くように視線を下げる。ぽつりぽつりと言葉を零すように言った。
「私、今日、こはるにたくさん迷惑をかけちゃったから。スマホを忘れたり、迷子になったり、肝心なところでお腹はなっちゃうし……。いろいろと、ごめんなさい」
「はぁ……」
最後のはべつに、迷惑ってほどじゃなかったけど……。
「私のこと、どうか呆れないでいてね」
「え?」
「次はもっと、こはるに迷惑をかけないように、ちゃんとするから……」
「……」
愁衣さんはさらに深く頭を俯かせる。ふぅ、と小さく息を吐き、わたしは言った。
「呆れてるよ」
「そんな、こはる……」
「そうじゃなくて。今日一日じゃなくて、もっとずっと前から愁衣さんには呆れてる。なんなら、四月に出会ったころから」
正確にはたぶん、タッパーを唾液で満たせ、とか言ってきたあたりから。
「だから、いまさらそんなこと気にしなくていいよ。わたしは愁衣さんのこと呆れた上で、一緒に話したり、遊んだりしたいって思ってるんだから。お詫びとか、そんなの考えなくていい」
「こはる……」
「……でも、これはこれで、可愛いから貰っていい? お詫びじゃなくて、プレゼントとして」
「うん、もちろん」
愁衣さんが花を咲かせるように微笑む。それじゃあ、とわたしも自分のバッグに手を入れた。
「これはわたしから、お返しにプレゼント」
「同じキーホルダー……。これ、ララちゃん?」
「うん。なんとなく、愁衣さんにはダイヤよりハートな気がして」
愁衣さんがわたしから、ハート形のおもちゃを抱いたラッコのキーホルダーを受け取る。ちょうどそこへ、目の前の線路に電車がやってきた。わたしの乗る電車だ。
「それじゃあね」と手を振り、電車に向かう。「こはる」と後ろから声がかかった。
「ありがとう」
「うん。また」
ドアが閉まる。電車の窓から、ベンチに座る愁衣さんが、まるで大切な宝物のようにキーホルダーを胸に抱きしめている姿が見えた。
わたしも手を開き、いま貰ったばかりのルルちゃんのキーホルダーを見つめる。どこに付けようかな、と考えるわたしを乗せて、電車は走り出す。
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【おまけ:その日の夜、チャットアプリ内での二人のやりとり】
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〈愁衣さん、見て〉
〈ララちゃんとルルちゃん〉
〈こはる〉
〈それ、ラッコのごはんタイムの〉
〈写真撮っていたのね〉
〈うん、思わずね〉
〈可愛かったからさ〉
〈私は?〉
〈それ、チャットでもやるの?〉
〈こっちの写真も可愛いよ〉
〈ちなみに、動画もある〉
〈可愛い!〉
〈もらってもいい?〉
〈もちろん〉
〈ありがとう、こはる〉
〈(˶ᵔ ᵕ ᵔ˶)〉
〈いつも思ってたんだけど〉
〈愁衣さんの使う顔文字って可愛いよね〉
〈こはる〉
〈その文章、「の使う顔文字」って部分消して、もう一度送ってもらえる?〉
〈なんでそう意地でも「可愛い」と言わせたがるんだ〉
〈顔文字は、暇なときによく作っているわ〉
〈え、自分で作ってんのそれ〉
〈どうりであんまり見たことないわけだ〉
〈いままでチャットする相手がいなかったから〉
〈やっと使える機会が生まれてうれしい〉
〈さりげなく闇を出してくるな〉
〈実際、センスいいと思うよ〉
〈ありがとう〉
〈(˶>ᴗ<˶)〉
〈そういえばこはるは、顔文字ってあまり使わないわね〉
〈んーそうだね〉
〈なんか、あんまりしっくりくるのなくて〉
〈じゃあ、私が作ってあげるわ〉
〈こはるがよく使いそうな顔文字〉
〈お、いいねなんかおもしろそう〉
〈たのむよ、職人〉
〈じゃあ、まずこれ〉
〈Σ\( ̄ー ̄;)〉
〈?〉
〈なにこれ〉
〈困ってる顔文字?〉
〈ツッコミを入れるこはる〉
〈いやそれ、バナナじゃなくてきゅうりでしょ〉
〈いつ使うんだ〉
〈あとそれ、わたし誰にツッコんでんの? ゴリラ?〉
〈次はこれ〉
〈(о`□´)〉
〈たまにする、大声ツッコミのときのこはる〉
〈だから、それはきゅうりじゃなくてバナナだっつってんでしょうがッ!!〉
〈愁衣さんの中で、わたしってそんなツッコミのイメージ強いの?〉
〈あとわたしはなんでさっきから、バナナときゅうりの違いばかりツッコんでんだ〉
〈今度の相手はだれ? 河童?〉
〈あと、これ〉
〈(っ¯3¯)っ〉
〈私にキスを迫ろうとするこはる〉
〈もう、こはるったら〉
〈「こはるったら」じゃないよ〉
〈実際にやってない行動をたしなめるな〉
〈こはる……そんな、こんなところで……〉
〈(˃͈ ε ˂͈ )〉
〈戸惑いながらも応じる私〉
〈出演するな〉
〈そしてこはるは私を壁に押しつけ、熱く、激しく……〉
〈勝手に脳内ストーリーを展開するな〉
〈もういいよ〉
〈Σ\( ̄ー ̄;)〉
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お読みいただき、ありがとうございました。
次回エピソードは10月23日(金)18:00に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




