来てほしい②
「マッサージ?」
「えぇ。足を全体的に揉んでほしいの。それで予後経過がかなり良くなるわ」
教室。当然、みんなは体育館で授業中なので、室内にはわたしと愁衣さん以外、誰もいない。下半身麻痺とあっては椅子に座らせるわけにもいかないので、愁衣さんには壁を背に床に直接ペタンと座ってもらっている。
「どうしたの、こはる? なんだかぽかんとして」
「え、いや……ただのマッサージでいいんだと思って、なんか拍子抜けしちゃって。てっきりまた脱げとか舐めろとか、胸で擦れとか言われると思ってたからさ……」
「こはる……あなた、なに言ってるの……?」
「なんでそっちが引いてるんだよッ!! わたしが異常みたいな感じにするなッ!! お前だろ、わたしをこんな身体にしたのはッ!!」
とはいえ、マッサージか。床でやるのはちょっと可哀想だし、かといってここにベッドなんてあるわけない。保健室が使えればベストなんだけど、今日は東雲先生いるしな……。
「こはる、『わたしをこんな身体にしたのは』って、ちょっと響きがエッチだわ。私、こはるをどんな身体にしちゃったのかしら……」
そう言って愁衣さんはもじもじと上半身をくねらせる。とにかく、このアホを早くどうにかしてあげないと。あまりここでモタついてると、いつまでも戻らないわたしたちを心配して先生が探しに来ちゃうかもしれないし……。
——そうだ。
わたしは手近にある席から椅子を出し、机だけを教室後方の空いたスペースに移動させる。同じように計四台の机を運び、並べてくっつけた。
「——できた。簡易ベッド。ちょっと背中は痛そうだけど、これで楽な体勢でマッサージ受けられるでしょ」
「こはる……ありがとう、私のために……」
「いや、まぁ、わたしとしても、屈んでやるより立ってやるほうが楽だし。……よし、じゃあ持ち上げるから、愁衣さん、わたしの首に手回して」
愁衣さんの細い腕がわたしの首もとに回される。わたしは愁衣さんの背中と太ももの裏に手を入れ、ぐっと力を込めた。
「ッ、しょっ……!」
「こはる、大丈夫……?」
「うん、平気。……あはは、やっぱこの持ち上げ方だと、おんぶのときよりちょっと重く感じるね」
「明日から、三食抜くわ……」
「だからいいよ、ダイエットは! てか、三食抜いたら絶食になっちゃうだろ! せめて一食……いや、むしろもっと大いに食べていいよ、愁衣さんは」
愁衣さんを机ベッドに運ぶ。運んでいるわたしもそれなりに大変だけど、下半身の自由が利かない愁衣さんとしても、上半身の力だけでわたしにしがみついている格好になるから、けっして楽な状態ではないだろう。わたしの胸もとに顔を埋めるように、手にぎゅっと力を入れて体を寄せてくる。
「着いた。愁衣さん、降ろすよ。背中痛いけど、我慢してね」
「あ。待って、こはる」
「なに? ……やっぱ、痛そうだから嫌?」
「ううん、違うの。その、もう少し、このままで……できれば、一生」
「一生このままでどうやって生活するんだ。はい、降ろしますよー」
愁衣さんの体を机の上に降ろす。患部に触れないよう注意しながら靴と靴下を慎重に脱がせ、両足をそっとまっすぐに伸ばして並べた。
「あー……、愁衣さん。その、短パンも脱がしたほうがいいよね? ちょっと、恥ずかしいかもだけど」
「え? あ、あぁ……そう、ね。穿いたままじゃ、上のほうマッサージしづらいものね……」
「うん、ごめんね。……まぁ、教室、誰も来ないと思うから。それじゃ、脱がすね」
そう言って、短パンのウエスト部分に手を添える。——と、愁衣さんの手がそれを制止するようにわたしの手に重ねられた。
「え、……どうしたの?」
「あ、いえ、その、えっと……やっぱり、これを脱ぐのは、ちょっと……」
愁衣さんはどこかきまり悪そうに目を泳がせながら言う。恥ずかしい……のかな? こんなことを言ったら失礼かもだけど、ちょっと意外だ。いつも流れるようにひょいひょい脱いでるイメージだけど。愁衣さんにもちゃんと女の子として、年相応の恥じらいというものがあったということか。なんか、少し感動。
「あぁ……ごめんね、愁衣さん。さすがにこれ脱ぐのは、ちょっと恥ずかしかったよね? やっぱ穿いたまま、マッサージしよっか」
「あ、いえ、違うの。脱がしてほしくないわけじゃ……。むしろこはるになら他の部分も含めて、積極的に脱がしてほしいというか、むしろご褒美というか……」
さようなら、恥じらい。
「えっと……じゃあ何をそんなに嫌がってるんですか?」
「それは……えぇと、その……」
「なに? もごもご言ってちゃわからないよ」
「だって、私……、今日、その……」
なんか、だんだんイライラしてきた。
「もう、なんなの? 脱がしてほしくないわけじゃないなら、脱がすよ」
「あぁ、待って!!」
と、愁衣さんはわたしの手首をぎゅっと掴む。「その、あのね……」と頬を赤らめながら言った。
「今日、こはるに見せる用の可愛い下着、穿いてきてないから……」
「……」
力を込め、一気にずるっと脱がしてやった。「あぁぁ!」と悲鳴に似た絶叫が愁衣さんの口から洩れる。
「ったく、なんなのよ、無駄に時間かけて! さ、マッサージ始めるよ!」
「うぅ……ううぅ……」
なにが下着だ、まったく。急がなきゃいけないっていうのに。
とりあえず、足の指先にまず触れる。マッサージのノウハウは何も知らないけれど、なんとなく端からやっていくべきな気がした。
「うぅ、一生の不覚だわ……。今日こんなことになると知っていれば、もっと準備できたのに……」
まだ言ってるのか。今日こんなことになると知ってたら、準備しておいてほしいのはパンツじゃなくて湿布だよ。無視して足指を揉んでいく。
「嫌だって言ったのに、無理やり脱がされた……。うぅ……こはるのバカ、ケダモノ……」
治療に協力してやっている立場のわたしが、なぜこんな言われ方をされなければならないのか。しかもケダモノってなんだよ……。ふと、さっき脳内で生み出したモンスター鈴木のイメージが自分とオーバーラップする。
「うぅ……死にたい……」
「だーっ、もう、うるさいなぁッ!! なんで治療してやってる相手に死の願望を伝えられなきゃなんないのよ!? 生きたいと願えッ!! 患者の強い意思がないと、治療は成功しません!!」
「だって……だって……、うぅ、ひぐッ……」
愁衣さんは両手で顔を覆い、肩を小刻みに震わせる。泣くなよ……。まったく、なんでそこまで下着にこだわるのか知らないけど、このままやってたんじゃこっちも気分が悪い。なんとか気を取り直してもらわないと……。
「あー、その、さぁ」
「うぇ……?」こもった声で愁衣さんが返事をする。
「その、大丈夫だよ、……可愛いから」
「嘘! 気休めはやめて。自分でよくわかっているわ。こんな——」
「いや、そうじゃなくて、その……」
と、わたしはひとつ咳払いをしてから言った。
「う、愁衣さん自身が、可愛いから。下着がどうだとか、気にしなくていいよ」
目も口も丸く開かれた、埴輪のような顔で愁衣さんはわたしを見つめる。遅れてその顔が火で焼かれたように赤く染まり、口がどんな形をしていたらよいかわからないといった具合にぐにゃぐにゃと歪みはじめた。
「こ、こひゃ、る……」
「は、はい。じゃあもう、この話はおしまい。マッサージするから、ちょっとおとなしく——」
「上も脱ぐわ」
「なんでだよッ!! 頼むから、ちょっとおとなしくしてて!!」
◇◇◇
仕切り直し、また端から愁衣さんの足を揉んでいく。
精巧なガラス細工のような足の指。そこだけ別の生き物のようなぷくっと張りのあるふくらはぎ。膝から腿にかけてのラインはすらりとしていて、けれど女の子らしい緩やかで肉感を帯びた曲線を描いている。雪のように白い肌には傷ひとつなくて、見慣れてはいるけれど、あらためてこうして間近で見ると、なんて綺麗な足なんだろう。思わず、小さくため息が洩れる。
「あぁ……こはるの汗ばんだ手が、私の右足のふくらはぎに……。パンをこねるように、じっくりと丹念に揉みしだいているわ……」
「実況するな。ほんとに、さっきからちょっと黙ってられないの? あとなんでわたしの手は汗ばんでる設定なんだ」
「しかたないじゃない。黙って感じたくても、私いま、足の感覚がないのだから。こうして映像と言葉を通じて、脳にしっかりと刻み込んでおくのよ。そして家に持ち帰るわ」
「持ち帰ってどうするつもりなんだ……。はい、右足終わった。次、左足ね」
「こはる。ひとつ約束して」
「なにを?」
「足が治ったら、きっとまたマッサージをして。私の足の感覚があるときに」
「するか。そもそも足が健康な状態なら、マッサージする理由がないでしょ」
「うぅ、たしかに……。こはるのマッサージを感じるためには足が健康である必要がある。でも、足が健康だとそもそもマッサージが受けられない。こはる、運命って残酷ね……」
「そんなことに運命持ち出すな。運命も戸惑ってるよ。はい、左足いきますよー」
左は怪我してるほうの足じゃないので、右より気が楽だ。同じように、足指から始めていく。しっとりとした肌は指に吸い付くよう。ついと指先を滑らせると水面を撫でるように手応えがなくて、でも押すと確かにしなやかな弾力が指の腹を押し返してくる。ふくらはぎはとろけるように柔らかく、ハリのある腿は手指の隙間から溢れるようなもっちりとした肉の質感。揉みながら、お尻の際の辺りまで上がっていく。
「こはる、朗報よ」
「朗報? なに?」
「実は、お尻の辺りには少しだけ感覚があるわ」
「え、そうなんだ」
「そう。だからぜひ、盛大に揉んでちょうだい」
「それを聞いたことにより、揉むのをやめることにしました」
そうこう話しながら、左足のマッサージも完了した。腕の力で、愁衣さんが半身を起こす。
「ありがとう、こはる。これできっと予後がだいぶ良くなるわ」
「それはよかった。足のマッサージとかしたことないから、うまくできたかわからないけど」
「ううん。見ていたけれど、すごく上手だったわ。心なしか、肌の色ツヤも良くなって……。さすがこはるね」
「そう? まぁ、ならよかったけど。……ところで愁衣さん、さっきからどうして、自分の足に顔を埋めてるの?」
「足に残った、こはるのぬくもりを感じてるの……」
「ぬくもりを感じてるんだとしたら、それは血行が良くなったことによる、あなた自身の体温だと思うけど。あと愁衣さん、体やわらかいね……」
愁衣さんに短パンと靴下、靴を履かせて、来たときと同じように背中におぶる。机はすべて元の位置に戻した。
「こはる、ありがとう」
「いいよ。さっきも言ったけど、マッサージならいつもの『治療』に比べて気が楽だったし」
「うん、それももちろんそうなのだけど……今日、保健室に来てくれて」
「え?」
「鈴木くんに付き添われて保健室まで来たとき、私、すごく心細かったの。鈴木くんはとても親切で、優しくしてくれたけれど……でも、これがこはるだったらなって、私、ずっと思ってた。こはるに来てほしい、って」
「……」
「だから、こんな言い方をして申し訳ないのだけど……誰かがこはるの顔にシャトルを当ててくれて、私にはラッキーだったわ。……そういえばこはる、おでこ、少し赤くなってたみたいだけど、痛みとかはもう大丈夫なの?」
「え? あ、あー……もうだいぶおさまったみたい。よ、よかったー。あはは……」
愁衣さんをおぶって歩き出す。誰もいない廊下を歩きながら、わたしは言った。
「愁衣さん、その……我慢しなくていいから」
「え?」
「発作が起きたり、身体が変になったとき……わたしが近くにいるときは、わたしに言えばいいから。他の人に言いづらいんだったら、わたしが全部、治してあげるから」
「こはる……」
うん、と言った愁衣さんの手が、わたしの首元をきゅっと締める。苦しいよ、と言っても、愁衣さんはやめてくれない。来たときよりも温かい、愁衣さんの体温を感じる。
「こはる……好き」
耳元で囁くような声が聞こえる。なんだか顔が熱い。
東雲先生から冷却シートを貰っておいてよかった。あとで貼っておこう……。
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【おまけ:その日の夜、チャットアプリ内での二人のやりとり】
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〈愁衣さん〉
〈足、大丈夫?〉
〈こはる〉
〈うん〉
〈家に帰って、すぐ治ったわ〉
〈ほら〉
〈ほらって言われても〉
〈足だけの写真じゃ、治ったかどうかよくわからないけど〉
〈まぁ、良くなったならよかった〉
〈こはるのおかげで予後も順調よ〉
〈もう、こんなこともできちゃうわ〉
〈Y字バランス……〉
〈愁衣さんって、ほんと体やらかいね〉
〈こはるは柔らかくないの?〉
〈胸は柔らかいのに〉
〈胸関係ないだろ、いま〉
〈ストレッチとかしたら、やわらかくなる?〉
〈うーん〉
〈ストレッチもいいけれど〉
〈そうだわ〉
〈今度は私が、こはるにマッサージをしてあげる〉
〈マッサージか〉
〈たしかに、ちょっとはやわらかくなるかも〉
〈じゃあ今度お願いするよ〉
〈ちょっと待ってね〉
〈なにしてんの?〉
〈スクショ撮ってる〉
〈なんで?〉
〈言質はとったわ〉
〈今度、しましょうね〉
〈マッサージ〉
〈なんか、怖いんだけど〉
〈っていっても〉
〈マッサージできる場所なんて、あんまりないけどね〉
〈学校に〉
〈あるわ〉
〈保健室があるじゃない〉
〈保健室はそういうための場所じゃありません〉
〈家の近くにマッサージ屋さんあるから〉
〈今度、そこ行ってみようかな〉
〈だめ!〉
〈なんでだよ〉
〈こはるのマッサージは私がするの〉
〈こちらにはさっき撮った証拠もある〉
〈最悪、法廷で争う覚悟もできてるわ〉
〈そんな争いを持ち込まれる裁判長の気持ちにもなれ〉
〈わたしとしてもプロにやってもらったほうがいいし〉
〈今度、試しに行ってみよ〉
〈( `^´*)〉
〈こはる〉
〈そのお店、どこにあるの?〉
〈え、なんで?〉
〈学校帰りに寄れる?〉
〈高校生のアルバイト、募集してる?〉
〈もしかして、働こうとしてる?〉
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お読みいただき、ありがとうございました。
次回第14話は、10/2(金)18:00に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




