来てほしい①
キュッ、キュッ、と、いくつもの靴が床を擦る音が響く。パン、シュパッ、パシッ——。そこかしこから聞こえる鋭く乾いた破裂音。熱と湿気の満ちた館内には、「そっち頼む!」「ごめん!」「まかせろ!」と、それを吹き飛ばすような爽やかな男女の声と白いシャトルが飛び交っている。
今日の体育はバドミントン。雨でプールが使えないということで、急遽、体育館に変更になったのだ。そして例の男女合同回。夏の体育館は暑いけれど、それを加味しても、雨が降ってくれてむしろラッキーだった。男子の前で水着になることに比べれば。
「日向、スマッシュ!」
遠藤くんの放ったドロップショットに、相手が食らいつくように打ち上げたシャトルが力なく宙を舞う。わたしは床を蹴り、上空から思いきりラケットを振り下ろす。バシュッ、という小気味よい音とともに、シャトルが勢いよく相手コートの床に突き刺さった。
「ナイス、日向」
ペア相手の遠藤くんに、少し照れながら「へへっ」と笑顔を返す。体力差による不公平をなくすため、ダブルスのペアは基本的に男女混合だ。
シャトルを受け取り、サービスコートに立つ。——と、
「きゃああぁっ——!!」
絹を裂くような鋭い悲鳴がどこからか響いた。聞こえたほうに目をやると、人魚姫のように両足を片側に投げ出して座っている愁衣さんの姿が見えた。
「大丈夫、愁衣さん!?」
愁衣さんの元に、彼女とペアを組んでいる鈴木くんが駆け寄っていく。相手のペア、先生も駆け寄ってきて、なにやら話し込んでいる様子。
やがて愁衣さんがゆっくり立ち上がる。片手を鈴木くんに預けながら、そのまま二人は体育館を出ていってしまった。
一瞬、水を打ったような沈黙に支配されていた館内に再びさっきまでの活気が戻る。人の声と、ラケットがシャトルを打つ音。
「日向、サーブ」
「あ、ごめん」
慌てて、相手コートにサーブを打つ。ラリーが始まる。
……たぶん、捻挫だろう。座っていたときに足首を手で押さえていたし、体育館を出ていくときも片足を引きずるようにしていた。たまたま、男子の保健委員である鈴木くんとペアを組んでいたから、そのまま彼が保健室まで付き添うことになったのだ。
つまり、今日はわたしの出番はなし。ただの捻挫なら、そのまま鈴木くんに任せておいて大丈夫でしょう。
相手ペアの男子から鋭いショットが飛んでくる。わたしも負けじと強く返した。
……本当にそうか?
これまでのことを思うにつけ、愁衣さんの捻挫がただの捻挫ではない可能性も大いにあり得る。いまは五限目。曜日は違うけど、前にこの時間、愁衣さんを連れて保健室に行ったときは養護の東雲先生が職員会議で留守だった。今回もそうである確率がゼロだと、はたして言い切れるだろうか。
二人きりの保健室。まずは楽な姿勢に、と鈴木くんが愁衣さんをベッドに運ぶ。この症状を治すには特殊な処置が必要で……と、鈴木くんに説明を始める愁衣さん。
脳内に映像が流れ出す——
『足を、舐めてほしいの』
『僕が……う、愁衣さんの、足を……』
『えぇ。そうすれば、治ると思うから』
『で、でも……』
『お願い、鈴木くん。あぁ、足が痛む……』
『う、愁衣さん、……わ、わかったよ』
『鈴木くん、舐めて……』
『愁衣さん……ハァ、ハァ、愁衣さんっ』
『鈴木くん、——あ、だめよ、そんなところまで……あ……』
『愁衣さん……ハ、ハ、愁衣さん……愁衣さんっ!』
『鈴木く……いや、あ……んっ、ンン……アァッ』
————。
「日向! そっち来てるぞ!」
遠藤くんの声に、はっと我に返る。目の前にシャトルが迫ってきていた。慌ててラケットを振るも、ヘッドは空を切る。
「ご、ごめん」
「ドンマイ」
困ったように笑う遠藤くんにもう一度頭を下げる。
……いやいや、なにを考えてたんだわたしは。なんだいまの映像。最低か、わたし。
ブンブンと勢いよく首を振る。仮に愁衣さんの捻挫がただの捻挫じゃなかったとして、いくら愁衣さんでも、男子の鈴木くんにそんな「治療」を頼むはずが……ない、よな? そうだよね?
……いやでも、愁衣さんだぞ? 普段から自分に注がれる視線にも疎いし、相手が男子とか関係ないんじゃ……
「なぁ、日向ぁ。ちょっと俺の握ってくれよ」
「は、はぁッ!? な、なに言ってんのいきなり、握るとか……!! やめてよ!! サイテー!! ほんとサイテー!!」
「え、えぇ!? な、なんで……!? 俺のラケット、グリップがなんか滑りやすい気がして、試しに握ってみてほしかっただけなんだけど……」
「え、あ……」
体育倉庫に代わりのラケットを取りに向かった遠藤くんを、「いってらっしゃい」と力なく見送る。遠藤くんはチラチラと困惑した顔をこちらに向けていた。ごめんなさい、遠藤くん。完全にわたしです、本当にサイテーなのは。
遠藤くんが新しいラケットを持って戻ってくる。相手ペアの女子がサービスコートに立ち、わたしはレシーブエリアで構える。
はあ、もう……さっきからなにやってんだ、わたし。試合に集中しろ。とにもかくにも、今日愁衣さんに付き添ったのは鈴木くんで、わたしじゃない。その先で何が起ころうと、わたしには関係ないじゃないか。
相手のサーブが飛んでくる。レシーブからラリーが始まる。
……この試合が終わったら、いつものチャットアプリにメッセージでも送っとこうかな。あぁいや、だめか。たぶんいま、愁衣さんスマホ持ってない。っていうか、わたしもだ。じゃあ、着替えを持っていってあげるという形で、ついでに様子を……い、いやいや、だから、そこまでする義理も理由も、わたしには——
「日向、前!」
遠藤くんの声。はっとして上げた顔に、相手の放ったスマッシュがベチンと直撃した。
◇◇◇
閑散とした廊下。五限目の授業が行なわれている各教室からは、さまざまな教科の先生のそれぞれに特徴ある声が聞こえてくる。
階段を下り、保健室へと続く廊下に出る。
……結局、来てしまった。遠藤くんの、「調子悪いなら、先生に言って少し休ませてもらえば?」という言葉に甘えさせてもらう形で。試合には別の子に代わりに出てもらった。
保健室がある一階の廊下は一般教室が少ないので、他の階に比べしんとしている。近づくにつれ、足取りと心音のペースが速くなっていく。自分の心臓の音がはっきり聞こえる。
不安が、脳内に再び像を結ぶ。
『鈴木くんの足を直接、私の足に絡ませてほしいの』
『足を、絡ませる……?』
『えぇ。他人の健康な足と絡め合うことで、炎症の起こった患部の余分な熱を相手の足に吸収、分散してもらい——』
『医学的解説はいいよ、愁衣さん。……こうだね?』
『えぇ。このまましばらく密着していてもらえれば、すぐに……』
『フー、フー……』
『……どうしたの、鈴木くん? 息が——あっ』
『も、もっと……絡んで、密着しよう、愁衣さん……』
『す、鈴木くん……? 絡ませるのは、脚だけで……』
『フゥ、フゥ……ハァ、ハァ……』
『鈴木くん、やめて……離し、て……』
『愁衣さん……ハァ、ハァ……愁衣さんっ!!』
『い、いや……誰か……誰か、助けてェッ……!』
『絡ませよう……密着させよう、僕と愁衣さんの……ふ、ふふっ……ぐへへ……』
『い、いやぁーーーーーーッ!!』
お、おのれ鈴木、愁衣さんになんてことを——!! あんな丸眼鏡の、いかにも無害そうな顔をして、奥にこんな凶暴性を秘めていたとは……!!
もう呑気に歩いてなんていられない! 急がないと!
わたしは走り出した。待ってて愁衣さん、いまわたしがその凶悪なモンスターの魔の手から、あなたを救い出しに行くからっ!
保健室の室名札が見えてくる。わたしは速度を上げ一気に駆け込み、ガララッ、と思いきり引き戸を開けた。
「愁衣さんッ!!」
「……こはる?」
目に飛び込んできたのは、愁衣さんのきょとんとした顔だった。丸椅子に座り、その対面には、診察椅子に座る東雲先生の姿があった。
「日向さん、なに、いきなり? 保健室に入るときはノックをしなさい」
「あ……、すい、ません……」
ぽかんとしながら引き戸をゆっくり閉め、ふらふらと診察スペースに歩を進める。
「よし。これでオーケー、っと」
東雲先生が、自分の膝に乗せた愁衣さんの足首に湿布を貼り終えたところだった。近くに氷嚢が置いてあるのが見える。
「軽い捻挫だからすぐに治ると思うけど、今日のところはあまり動かさないように、安静にしててね」
「はい」
コクンと愁衣さんが頭を下げる。顔を上げた愁衣さんと目が合った。
「こはる……? どうしたの、なんだかすごい汗……」
「え、あ……た、体育、してたから……。あの愁衣さん、す、鈴木くんは……?」
「先に体育館に戻ってもらったわ。帰りも送ると言ってくれたのだけど、あまり迷惑をかけても悪いし」
「あ、そう……なんだ……」
東雲先生が、そうそう、と話を引き継ぐ。
「鈴木くんね、ここに来るときも、体にあまり触れないように気を付けながら、愁衣さんを支えてやってきて。相手が女子だからって、気を遣ってくれたのかしらね。紳士ね、彼」
「……」
鈴木くん、ごめん。今度、保健室当番、一回代わります。
「こはるも、どこか怪我をしたの……?」
愁衣さんが心配そうな顔を向けてくる。
「え、——と、わたしは、その……そ、そうだ、おでこにシャトルがぶつかって……」
「どれ? あー、ほんとだ。ちょっと赤くなってる。まぁ、これくらいなら放っておいても大丈夫だと思うけど……一応、冷却シート渡しておこうか?」
「いえ——あ、はい、頂きます……」
いらないと答えたら、何のために保健室に来たのかという話になる。東雲先生から冷却シートを受け取る。
「こはる、私が貼ってあげるわ」
「い、いいよ。あとで自分で貼るから……」
診察椅子に座り直した東雲先生が、わたしたちに向かって言った。
「でもよかった、ちょうど日向さんが来てくれて。日向さん、悪いんだけど、愁衣さんを体育館まで連れて行ってあげてくれる? 愁衣さんは今日の体育、残りは見学にさせてもらいなさいね。わたしからも先生に言っておくから」
二人で「はい」と返事をして、保健室を後にした。
◇◇◇
「愁衣さん、肩貸すよ。つかまって」
「ありがとう、こはる」
愁衣さんの左手がわたしの肩に回される。——と、遅れて右手もやってきた。
「……あの、肩に回す腕は一本だけでいいと思うんですけど」
「うふふ。でも、このほうが密着度は高まるわ」
「高めるべきなのは密着度じゃなくて安全性だと思うんですけど。だいたい、その状態でどうやって歩くのよ」
「あら、そうね。この状態で歩こうとすると、体がこはるのほうにしかいかないわ。困ったわ、どうしましょう。あぁ困った困った」
「困ったと言いながらぐいぐい体を押し付けてくるな。ほら、こっちの手は離して。ちゃんと前向いて歩く」
ぷぅ、と頬を膨らませながら愁衣さんは右手を離す。わたしの体を支えにぴょこぴょこと歩き出した。そうしてゆっくり移動しながら、いまさらのように安堵感を覚え、わたしはほっと息をつく。
「どうしたの?」
「あぁ、いや……愁衣さんが、なんともなくてよかったなって」
「なんともって……私、捻挫しているのだけど」
「え? あ、その……うん、そうだね……」
アハハ、とわたしはごまかすように笑う。ついさっきまで頭の中を占めていた妄想については口が裂けても言えない。墓場まで持っていこう。
まぁ、とにかく、わたしのバカな心配が杞憂に終わってよかった。あらためてほっと胸をなでおろす。
「……ねぇ、こはる」
ふと、愁衣さんが何かを言いかける。と同時に、わたしの肩にかかった愁衣さんの手から、突然すっと力が抜けた。
「——えっ、ちょっ、う、愁衣さんっ!?」
愁衣さんの体が、わたしの腕を滑るようにずるずると崩れ落ちていく。そのままドサリと床に倒れ伏してしまった。
「う、愁衣さん、大丈夫!?」
しゃがみ込み、声をかける。
「……ごめんなさい、こはる。手、痛かったでしょう?」
「いや、わたしのことはいいけど……。どうしたの? わたし、歩くの速かった?」
「いいえ、こはるのせいじゃないわ。単純に限界がきたのよ」
「げ、限界……?」
「えぇ。こはる、お願いがあるのだけど、足首の湿布を剥がしてもらえるかしら?」
「え、湿布を? でも……」
「お願い」
強く請われるままに、わたしは愁衣さんの足首に貼られた湿布をそっと剥がす。冷やしたとはいえ、まだ赤く腫れている痛々しい患部がぬっと顔を出す。
「剥がしたよ」
「ありがとう、こはる」
「……それで、ええと、大丈夫、愁衣さん? 立てる?」
「いいえ。私はもう、ここまでみたい」
「え、なにそれ、死ぬみたいな……」
「大丈夫、死にはしないわ。こはる、涙を拭いて」
「いや、泣いてはいないんだけど……。とりあえず、状況を説明してもらっていい?」
えぇ、と頷いて愁衣さんは言った。
「実は私ね、湿布が絶望的に体に合わないの」
「絶望的に……」
「そう。湿布を貼られるとね、貼付された体の部位が一時的に運動麻痺を引き起こして、自分の意思で動かせなくなってしまうの。いわば、『湿布アレルギー』ね」
「アレルギー。……なるほど」
「こはる、あまり驚かないのね」
「まぁ、前の『空想猫アレルギー』に比べれば、まだ現実的というか……」
「湿布に含まれる鎮痛成分が皮膚組織の奥にある運動神経に過剰に働きかけて、時間とともに脳からの電気信号を完全に遮断し、弛緩性麻痺を——」
「いや、いい、いい。いいって。なんで流れるように医学的解説を始めるの? せめて訊いてからにしてよ」
「そして私の場合、湿布を貼られると対応するもう片方の部位にも連鎖して同様の麻痺が生じてしまうの」
「……つまり、両足とも自分で動かせなくなったってこと?」
「そう。これは人体がもつ『交叉性の反射』の誤作動によるもので……」
愁衣さんの説明を聞き流しながら、はあ、と息をつく。普通の捻挫の先に、まさかそんなトラップが隠されていたとは……。やれやれ、と首を振りながらわたしは訊ねる。
「で、今回はどんな『治療』をすればそれは治るの?」
愁衣さんはゆるゆると首を振る。
「残念だけれど、これに関しては、その場で完全に治す治療法は存在しないのよ」
「え、じゃあ……」
「泣かないで、こはる」
「だから、泣いてないっての。……心配はしてるけど」
「さっきも言ったけれど、この運動麻痺は一時的なもの。だから時間経過で回復するわ。捻挫も、私の体に合う特殊な湿布が家にあるから、代わりにそれを貼るようにすれば大丈夫」
そうなんだ。……よかった。
「……でも、じゃあそもそもなんで普通の湿布なんて貼らせたのよ? そんなリスクがあるなら、東雲先生にそれを説明して断ったらよかったのに」
「先生が私のためにいろいろしてくれている姿を見ていたら、なんだか言い出しづらくて……」
「誰に対して気を遣ってるんだ、あんたは。相手は養護教諭なんだから、遠慮なく言っていいでしょ」
「それに、あの場には鈴木くんもいたし……」
「……え?」
愁衣さんは自嘲するように小さく笑うと、どこか言いづらそうにぽつりと言葉を零した。
「私ね、こんな身体をしていて身勝手な話なのだけど、自分の体質のことをあまり多くの人に知られたくはないのよ。なるべく普通に、みんなと同じように学校生活を送りたいなって……」
「愁衣さん……」
「それもあって言い出せなかった結果、こんなことに……。それでまたこうしてこはるに迷惑をかけているんだから、本当に自分勝手な話よね。ごめんなさい、今度からはちゃんと他の人にも言うようにするわね」
「……」
真っ先に浮かんできたのは、少し前の水泳の授業での「熱中症」のことだった。患部に触れてもらえば治る。そんな簡単なことなら誰かに気軽に頼めばいいのにと正直思った。でも愁衣さんはそれを我慢して隠そうとしていた。なんなら最初はわたしにさえ……。
初めて愁衣さんを連れて保健室に行ったときも、愁衣さんは最初、わたしに治療法を教えようとしなかった。教えてくれたのはわたしがしつこく訊ねたから。いつか、愁衣さんは言っていた。「仲良くなった子も、すぐに周りからいなくなる」と。もしかしたら愁衣さんは、わたしが思っている以上に、そんな経験を何度もしてきているのかもしれない。妙に細かいことを気にしたり、変なところで気遣いな性格も、もしかして、そういうところから……。
「そういうわけだから、こはる。私はここに置いていって。時間が経てば、そのうち自分で歩けるようになるから」
「そんなこと、できるわけないでしょ」
「だが、勇者よ……」
「誰が勇者だ。ほら」
と、わたしはしゃがんだまま愁衣さんに背を向ける。
「おぶってあげるから。手、貸して」
「でも……」
「いいから。ほら」
と、愁衣さんの腕を自分の首に回す。両足をしっかり持ち、ゆっくり立ち上がった。
「ダイエットしておけばよかったわ……」
「なに言ってんの。愁衣さん細いじゃん。全然軽いから、大丈夫だよ」
「そう……? でも、次に裸を見せるときまでには、もっと痩せておくよう努力するわね」
「裸を見せずに済むよう努力しろよ」
愁衣さんをおぶりながら、注意深く階段を上る。
「……愁衣さん」
「なあに、こはる?」
「前に、校外学習のとき、わたし……愁衣さんにひどいこと言っちゃって、ごめん」
「えぇ? ひどいことなんて……あ、私が『抱いて』って言ったのに、『無茶言うな』って抱いてくれなかったこと?」
「そ、それじゃないよ。ていうかそれ、わたし悪くないし……。その、『学校生活に向いてない』って……」
「あぁ。べつにそんな……。どうしたの、そんなこと急に?」
「……いや、なんとなく」
「いいのよ、気にしないで。現にそれは事実なのだし」
「……」
ふふっ、と微かに笑う愁衣さんの声がどこか寂しげに聞こえた。
「……その足は、どれくらいで治るの?」
「えぇと、最近はあまりこの症状になっていなかったから……たしか、一時間くらいかしら」
「じゃあ、今日はもう早退させてもらいなよ」
「え? でも……」
「下半身が麻痺してるんじゃ、教室で椅子に座ってるのも大変でしょ? 先生には、わたしも一緒に言いに行ってあげるから」
「……うん、ありがとう」
少し困惑したような声で愁衣さんは返事をする。
「こはる、なんだか今日、優しいのね」
「べつに……ていうか、いつもだし」
「……うん。そうね」
背中に伝わる熱の温かさがじわりと増した。愁衣さんがより深くわたしに身を預けてきたからだとわかった。
「早退するなら、スマホいるよね? 家の人に連絡しなきゃだし。体育館行く前に、教室寄る?」
「うん、お願い。あと、教室に寄るならもう一つ、お願いがあるのだけど……」
「うん、なに?」
「実はこの症状、すぐに治したり回復を早くしたりはできないのだけど、いまのうちにしておくといい処置は存在するの。それをしておくと予後が良くなるから、できれば……」
「うん、いいよ。手伝う」
「……こはる? 私、まだ内容を言っていないわよ?」
「いいよ。今日は何でもしてあげる」
「こはる……」
首もとに回された愁衣さんの手がきゅっと締まる。不思議と苦しさは感じなかった。
「じゃあ、抱いて」
「それ以外」
(②へ続く)
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次回第13話は、9月27日(日)20:00に投稿予定です。
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