第97話
「庵、ちょっといいか」
ソファに座る庵に志貴は近づき、ゆっくりと近くの椅子に腰を掛ける。テーブルには庵の分のお菓子と飲み物を添えた。
「体の方は大丈夫か」
「少しずつですが、良くなってきています」
庵は魑魅の神核を貫いた後、身体を引きずりながら山を下りてきた。その手足、両手から肩、足は太ももから脇腹に至るまで肉離れを起こし、一部は骨折や骨にヒビが入るほどの重傷だった。それ以外の箇所も、数日に渡る全身筋肉痛を引き起こしており、しばらく安静にしている必要があるらしい。
完治していないと知った時は、集まる日付ならズラせると伝えたのだが、完全に治ったら大学が忙しくなる、由良も行きたがっていると本調子ではないが、今日の集まりに来てくれたのだ。
「腰は大丈夫ですか」
「あ、あぁ…まだ、ちょっと痛む」
志貴は気恥ずかしさから視線を逸らし、お汁粉をごくりと飲む。しばらく…ギックリ腰で寝込んでいたのだ。歳というのもあるが、魑魅を抑えるために長時間、綱引きをしているような体勢を保っていた。秋とはいえ肌寒い中で、そんな体勢を維持していれば、言わずもがな腰を痛める。分かっていたからこそ、慎重に行動していたというのに、クシャミ一つでギックリ腰が訪れた。魑魅を調伏した直後ならまだしも、数日後にギックリ腰で動けなくなった…なんて、やはり恥ずかしいのだ。
あれは、避けられない運命だったと心の中で言い聞かせ、本来の目的を思い出す。
「聞きたいことがあったんだ」
「なんでしょうか」
「何故、魑魅の封印を解いたんだ…?」
志貴は気を失う前に見た庵の様子を思い出していた。
本来であれば、玉得を説得し、犠牲を出さずに封印を修正するという目的だった。実際、作戦通りに物事が動いていたというのに、最後の…あの瞬間、庵は独断で磯城に向かい、封印を解いた。
「…」
「その、攻めてるわけじゃないんだ。何て言えばいいんだろうな…その、君らしくないというか…」
志貴は心に抱いている疑問を上手く言葉にできなかった。いつも冷静沈着で妹を守るためなら、身すらも削っていた庵を…あの時は感じられなかったのだ。
その真意を未だに掴めていない。
事が事だけに、庵が魑魅の封印を解いたことは公言していない。玉得が死んだ今、庵の暴走を知るのは彼自身と俺だけだ。
「…封印を直そうとするたび、あの村で起こった虐殺や由良が贄として狙われるような事件が起こる。それが、この先も続くならば…俺が魑魅を倒す。そう思っただけです。…ですが、魑魅の力を体感した今、浅はか…軽率だったと反省しています」
庵が目を伏せ、頭を下げようと体を動かすので、「無理をするな」と慌てて声をかける。
「すまない…。君に背負わせ過ぎてしまったんだな」
庵は「いえ」と否定するが、彼は一人で背負おうとする節がある。何しろ、由良とも話し合ったうえで自分たちの行動に責任があるとして、身寄りのない壱衛門に自宅への居候を提案するほどだ。案の定、壱衛門には「テメェの世話になるくらいなら、死んだ方がマシだ」と酷い断られ方をされたそうだが…。たしかに、松木家の血を引いている彼らは分家にあたり、壱衛門の村と由良の一件が関係ないわけではないが、彼らも松木家の被害者だ。
「君は良い子だな」
「良い子…。俺は…善い人なんでしょうか」
「? あぁ、良い子だと思うが」
庵の様子に違和感を覚え、その視線を追えば、合点がいった。視線の先には、由良と話す壱衛門がいる。松木家によって全てを奪われた被害者…彼の言葉の数々は、自分が加害者の血を引いているのだと強く自覚させられる。特に壱衛門は庵に対して、今も敵意を剥き出しにしている。いくら庵が大人びているとはいえ、何度も責め立てられれば傷つくものだろう。魑魅を倒した今、それらの言葉に改めて傷つき、罪悪感を再燃させているのか。
「…例えばの話をしてもいいですか」
「あぁ」
「…もしも、俺が…本当は悪い人間で皆を欺いていたとしたら、どう思いますか」
年下からの突然の難題に、志貴は頭を悩ませる。
松木家は壱衛門の故郷を蹂躙し、災厄を防ぐという大義名分で沢山の罪を重ねた。だが、その血を引いているからと言って、全員が悪人だとは思わない。まして、庵たちは分家だ。あくまで、その罪は、その場にいた松木家の者たち及び、その状況に関わることが出来た大人の責任になるだろう。たとえ、当事者だったとしても、その時はまだ子供だった庵や由良が罪を背負う必要はない。しかし、この質問は松木家の血を引く者について、というよりか、庵個人の話だと考えるならば…
「うーん。それでも、俺は君が良い子だと思うよ」
志貴はどう言葉を選べばいいのか迷いながらも言葉を紡ぐ。
「自分が傷ついても、君は由良を守っていたじゃないか」
「…」
「仮に…悪い子だったとしてもだ。君が良い子でいようと努力しているのなら…それは良いことだと思わないか?」
「…なるほど」
庵は僅かに目を見開いたかと思うと、すぐに目を細めて静かに微笑んだ。それは、どこか驚いたような…困惑した表情だった。
「何か無理をしているのなら、話を聞くぞ?」
「いえ、それよりも…」
視線を切った庵が指さす方向を見ると、こちらの様子を伺う和泉と目が合った。
「志貴さんに用があるみたいです」
「あ、ぁ、そうだな」
なんとなく、庵に誤魔化されたような気もするが、彼も俺と同じく慣れないことに疲れているのかもしれない。庵たちが松木家の血を引く分家だということ、今回の事件の功労者だということが親戚筋に伝わってから、彼らは松木家の注目の的になってしまった。俺が代わりに応対するようにしているが、それでも対処しきれなかった松木家とのやり取りに庵たちは四苦八苦していた。




