第95話
ーーー願いの成就が確定されました。
「…」
【どうされましたか】
「…いえ、願いを叶えていただき、ありがとうございます」
潔子は目の前の存在に頭を下げ、感謝の意を示した。
【…惜しい】
「惜しい、ですか?」
【あめんぼも捨てがたいですが、あなたを失うのも惜しい】
「そんな、もったいないお言葉です」
【一時的にですが、あなたの見立ては私たちを超えました】
「…」
【この結末に導いたのは、他でもない貴方です。…しかし、自分が殺され、兄が記憶を失いつつも生き延びる未来など予測できなかったはず…だというのに、その運命の日、あなたは兄を連れて、各所に鍵を置いて回りましたね。これから記憶を失う兄が困らないように…。実際、記憶喪失になった兄は、貴方の導きで置いた自分の持ち物を回収していく過程で此度の事件を追い、怪異と向き合わざるを得なくなった。そして、松木家の業に辿り着き、記憶を取り戻した兄は思い悩み、苦しみながらも、松木家と向き合うことを選び、松木家当主の器となった】
「松木家のお力添えあってのことです」
呪いの火傷が身体に現れたら最後、三日以内に死ぬ。
世間はこう囃し立てていたが、事実は異なる。
死の呪いと火傷は別物だ。
魑魅が封印を解くために放つ呪いは、対象を選ばずに周囲の生命を奪うものだ。本来ならば、呪われた時点で即死は免れない。だが、松木潔子…当主の肉体が贄として捧げられた時、魑魅の呪いに対する抑止力が生まれた。死の呪いを受けた生命かつ「人間」に対象を限定することで、呪われた人間全員に松木家の眷属を寄生させ、死の呪いを焼く術式を施すことが出来たのだ。
三日以内ではない、異界で三日間も生き延びることが出来たのは、紛れもなく、この術式のおかげであり、火傷は松木家が魑魅の呪いを解呪している証である。だが、魑魅の呪いを完全に抑えられるわけではない。魑魅の存在によって起こる異界への神隠しや有害な存在へと変質した怪異から、宿主を守る術をもたない。なにより、霊感のない一般人のもとで眷属たちが呪いを抑え込み続けるには、怪異が消滅する際に放たれる力を代わりに吸収し、出力を維持しなくてはならない。
ゆえに、眷属は宿主の素養に見合った――すなわち、宿主が死なずに『勝てる』見込みがある怪異のもとへ、導かざるを得ないのだ。しかし、三日目には眷属も力尽き、宿主が死に至る以上、これは救済ではなく、天災封神祭の支度が整うまでの時間稼ぎ及び魑魅への妨害行為でしかない。
たった三日…されど、三日という猶予の差で、魑魅調伏へと首の皮一枚つながった。
「私の考えを読み取り、眷属を通じて兄に助言してくださったからこそ、この結末を迎えることができました」
【そうだとしても、此度の幸運、一度だけならば偶然ですが、あまりにも恵まれ過ぎています。そう、場が整い過ぎていました。…まるで、未来でも見えているかのようでしたね】
「此度の結末は私一人の力ではありません。皆様のおかげです」
【…あなたは自分が殺されるよりも前に、魑魅を倒す手立てを仕込み終わっていましたね】
【率直に言うと、感服いたしました。あなたのような実力者は何百年ぶりでしょう…】
【あなたならば、相性の良い肉体を見つけて、御霊継…】
「私は松木家に捧げた身、それを白紙に戻すつもりはありません。…それに、私が居なくとも、松木家には兄がいます」
潔子は憂いていた。
もしも、自分が先に死んでしまったら、兄は独りになってしまう。
松木家からは本家の恥さらしと疎まれ、兄自体も人間嫌いを装って友人を作ろうとしない。たとえ、寄り添おうとする人がいてくれたとしても、兄が心を開く前に離れていく。今までも、友人になろうとしてくれた人は居たのに、そんな優しい人たちが傷つくことを恐れて兄は共に居ることを避けた。
故に、潔子は願った。
『恋人でも、友人でもいい…どうか、お兄様が独りぼっちになりませんように』と。
その心配も―――もう、必要なくなった。
【貴方の判断を尊重いたします】
「ありがとうございます」
潔子の初仕事が終わった。
魑魅の鎮静化…彼女が当主に就任してから最初で最後の仕事だ。
魑魅は死んだわけではない、元の在り方に戻っただけだ。塵も積もれば山となるという言葉があるように、山川の瘴気と精気が、どこかで詰まり、淀み凝り固まったことで形を成した存在が魑魅となった。神霊であり怪異という相反する存在となり、個であり群、群であり個となった集合体は本来、持ち得ない力を得てしまった。
此度は神核…詰まりの原因となった部分を砕いたことで、淀みが解消され、魑魅は本来あるべき姿へと戻った。そもそも、あのような自然の営みの中で生まれる存在を消し去る事は出来ない。故に、これからの松木家の役目は、封印の維持ではなく、精気や瘴気が詰まることなく、循環するように管理することだ。
「…ふぅ……」
大役を果たした潔子の緊張の糸が漸く切れる。その肩の力が徐々に抜けていき、繭の中にいるような安心感に包まれながら潔子は目をつぶった。
松木家当主の願いの場、倉橋家の御言葉、芦屋家の保護…ここに来るまで色々あったけど、まだまだ当主の仕事が山積みだ。結局、お兄様に丸投げすることになっちゃった…。それでも、最悪の状況は切り抜けられた。
『…あぁ。やはり、兄妹だな。シャボン玉みたいに……』
「…シャボン玉飛んだ」
潔子は間下の言葉を思い返しながら、子供の頃にうたった歌を口ずさむ。
「屋根まで飛んで」
『目を離した隙に消えちまうような…そんな面が、そっくりだ…』
「こわれて
消えた
…




