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袖振りて 縁結ばれし 宵の月  作者: 水城


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92/100

第92話

 魑魅は強者だ。

 全身に走る痛みに痙攣する庵は自由に動かせる眼球で、己を打ち倒した魑魅を見上げていた。禁忌を侵した者に対して苛烈な攻撃をしてくるだろう。それこそ、骨も残らないほどの質量で惨殺される。その戦意を最期まで見届けるつもりであったが、神罰よりも早く…松木家によって再び拘束された魑魅を見上げながら庵は満ち足りていた。

 自分の全力を以ってしても、勝てぬ相手と戦えたからだ。ルールのない互いの生存をかけた戦いで、全力を出し切って負けた。それが、この上なく幸せで最上に近しい人生の幕引きだと思えた。目を開けているのも辛くなり、庵は目を閉じて余韻に浸る。

 魑魅、良い戦いだった。あの一瞬で幾重もの障壁を生み出すだけでなく、その血肉すらも即座に眷属(肉壁)へと変質させるとは…。それに、あの落雷のタイミングも見事だった。空中…俺が一番、無防備になる瞬間を狙ったか? 俺がそこに至るまで、あえて構えていたのならば、完璧な誘い出しだ。

 …もう一度、戦いたいぐらいだ。

 そうだ、まだ戦いたい…戦いたい…。

 だが、意識を保てそうにない…

 魑魅、俺の負けだ。だが、俺は満足した、もう未練はない、もう心残りは…


『…わかった。今はムリかもしれないけど、いつかオレが倒すよ』

『本当に? じゃあ、いつかズバッと倒してね』


 庵はカッと見開く。

 走馬灯か、遠い昔の約束が庵の脳裏をよぎったのだ。あの子との約束を思い出すほど、庵は胸の突っかかりを強く自覚させられた。

 結局、約束を守れていないのだ。倒すと宣いながら、あの怪異を倒していない。

 今にして思う。あの子の言っていた、捕まったら魂を吸うという山や川から生まれた悪い怪物とは、魑魅の類だ。あの幼き日に見たアレも自然に生まれた穢れ、精気が形を成した魑魅の眷属のようなもの…。

 そうだ、約束を守れていない。

 あの時、己の弱さを知り、人知を超えた相手にも勝てるように鍛えてきたというのに、倒せていない。子供の俺は倒すと約束しながら、果たせていない。己が本性を抑制するため、人も怪異もナニもかもを倒すため、鍛錬に励み続けたのは事実だ。だが、きっかけは、あの日の怪異を倒すため…。

『本当に? じゃあ、いつかズバッと倒してね』

 山に住む怪物を倒すという礼、恩返し…ずっと心残りだった。ずっと胸につかえていた。

「ぐ…っ……」

 勝手に体に力が入り、庵は反射的に息を詰める。神域に踏み入った際に酷使した肉体は、今までに感じたことのない筋肉の異常収縮を起こしており、呼吸するだけでも肉体が一斉に悲鳴を上げた。横になっているというのに、肉の内側が痙攣に合わせて蠢き、疼き、引き攣っては体が強張る。だが、死を受け入れ、徐々に冷たくなっていたはずの体は、何故かじわじわと熱を持ち始めていた。そのたびに、強い痛みが全身に走り、庵は眉を顰めた。それでも、突き動かされる衝動に従って、ずりずりと庵は這いずりながら鎌槍の元へと向かう。

「果たさなければ…」

 修羅は満ち足りていた。だが、人間は満ち足りるということを知らない。幸福という飽くなき欲望に支配された生き物であり、人間の欲望に際限はない。

『お兄ちゃんなら怪物全員、やっつけられるよね…?』

 由良…そうだ…そうだ…魑魅と戦わねば、倒さなければ、勝たなければ、由良を守ることもできず、友に嘘をついたことになり、あの子との約束も果たせない。

「俺は約束した。山に住む悪い怪物を倒すと…。恩返しのためにも、魑魅…お前に勝つ」

 戦うのは楽しい。だが、勝つのは―――もっと楽しい。

 庵は恍惚とした笑みを浮かべ、同じく地面に横たわっていた鎌槍へと辿り着いた。手にした鎌槍を握りしめると杖代わりに地面へと突き立て、関節を軋ませながら立ち上がる。その目はギョロリと最初の投擲で抉られた地面から見える…ヒビの入った神核を見ていた。


《―――その心臓、穿ち、貫かん》


 神核に鎌槍を突き刺す。

 その刹那、耳を劈くような落雷、地面が跳ね上がるように大きく揺れ、まばゆい光が辺りを支配する。ありったけの力を込め続ける庵は痛みに声を漏らした。動きに併せて、肉が引き延ばされ、裂けそうになるからだ。だが、鎌槍は神核を捉え続けている。


 数多の犠牲の果てに封印を逃れ、異界に顕現せし魑魅よ。

 現世への帰還を目指す神霊

 現実への侵攻を狙う大怪異

 ―――今、その神核、砕き崩れた。


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