第91話
足りない。
志貴は十二分に頑張った。しかし、足りない。
魑魅を縛るは、六つの楔。だが、その一つは歪な楔だ。前回の天災封神祭にて、贄を用意できなかった松木忠文が急造した苦肉の策。村一つを蹂躙することで未練を煽り、怪異を生み出し、その怨念を束ねることで楔とした。だが、壱衛門が矢を放った今、怨敵を討たんと全ての想いが矢を媒介にして邪視を焼き続けている。呪いは消費され…必然、呪いで編まれた楔も弱まる。
六つあるうちの一つの楔は急速に綻び、千切れ落ちた。
楔の消失に伴い、魑魅は大きく身を動かし、大地を揺るがした。志貴は血の力を駆使し、残った楔で魑魅を抑えつけようとするが、御すことができていない。
それは鏡越しに見ていた間下でも、よく分かった。
「っ…」
間下は由良を部屋の隅に寝かせ、エレベーターへと向かう。松木潔子に由良を守ってほしいと言われていたが、まだ事件は終わっていないというのに自分だけが魑魅の影響が届かない安全地帯でじっとしているというのは、やはり性に合わない。
『ここは「願いへと縁を結ぶ場」』
松木潔子の言っていた言葉を思い出す。
『このエレベーターは、乗った人間の願いを読み取り、その願いを叶えるために必要なモノとの縁を手繰り寄せ、その場所へと繋ぎ結んでくださるのです。簡単に言えば、その人が行くべき場所へと導いてくれます』
今の間下には、この状況を打開する方法が分からなかった。それはそうだ、たった数日前に怪異の世界というものを知り、松木家の封印についても熟知したわけではない。だが、このエレベーターならば、この状況を打開する場所へと導いてくれる。
「……は?」
エレベーターに乗り込んだ間下は松木潔子の手順に従ってボタンを押した。扉が閉まっていき、動き出すかと思いきや、再び扉が開いて由良の眠る贄の間に出る。間下は訝しみながらも押し直してみるが、行きつく部屋の結果は同じだった。
「クソっ、俺は忌み子かもしれないが、今はアンタら松木家のピンチでもあるんだぞ」
エレベーターだけでなく、グルであろう絡繰り人形にも悪態をつくが、絡繰り人形もエレベーターも、これ以上の動作は必要ないとばかりに、別の部屋に間下を導くことはなかった。
「……ここ、なのか」
ぽつりと間下は呟き、一つの答えを頭の中に導き出す。
「っ、耐えて、くれ」
志貴は五つになってしまった楔で、なんとか魑魅を縛りつける。
だが、仕方がないのだ。此度の楔もまた、今までのモノより脆い。三人の霊力に満ちた女を捧げるからこそ、真価を発揮するというのに、松木潔子で二人分の贄を補った。だが、いくら霊力に満ち溢れた贄であったとしても所詮は一人なのだ、補うには足りない。
松木忠輔は…志貴は、松木家当主の器であった。捨て身で儀式に挑み、とっくのとうに限界を迎えているというのに仲間を信じて、魑魅に抗い続けている。
賞賛しよう。だが、これ以上の拘束はジリ貧である。
力が足りない、俺では…やはり駄目なのか。潔子なら、こんなことには…
「おい、志貴」
呼ぶ声に志貴は目を開け、目の前の状況から間下へと視線を移す。鏡を通じて、贄の間の中央に立つ間下と目が合った。でも、何故か…志貴はいつものように薄っすらと微笑む間下に底知れぬ恐怖を覚えた。
「…間下?」
「魑魅を止めなけりゃ、たくさんの人間が死ぬ。もちろん、アンタや俺も」
「……何をする気だ」
ただでさえ、志貴は鳥肌が止まらず、臓腑が凍えているかのような気持ち悪さを覚えているというのに、今度は心臓を掴まれたかのような不安に駆られていた。
「「まつのきのかごにわ」…ふっ、確かに求めたものを読み取るらしい」
「間下、待ってくれ」
危機感を抱く志貴の制止など聞かず、間下は松木潔子の言葉を思い出しながら口に出す。
「松木家よ、聞き給え。俺を、間下詩を松木家当主に捧げます。どうか、松木の血よ! 当主松木忠輔に力を与え給え!」
その宣言に志貴の表情は強張り、贄の間の温度が下がる。
ー松木家への捧げ物…確認
ー間下詩…忌子、憑き護
前に来た時に感じた…四方八方からの値踏みを感じた間下は眉間にしわを寄せ、周囲へと睨みを利かせる。
ー肉体…不適合
ー精神…不適合
ー魂……不適合
ー贄の条件に不適合
ー贄より徴収…不可
「っ! 取り消せ! 間下、言い直すんだ、早く!」
事の重大さに志貴は叫ぶが、間下は視線に対して声高らかに誓う。
「何でも持っていけ。志貴に力を与えろ!」
ー
ーー
ーーー
ー■…適合
ー過■から■■にかけての■を当主に■び直し、■れ以外の■を贄に変質
ー贄より徴収…可能
ーーー受領した。
ぐるり…と間下の目玉が上向きに回転し、間下の意識は即座に断絶される。胴は遅れて崩れ落ち、贄の間に倒れ込んだ。
「間下…間下!」
志貴は何度も「間下」と呼びかけるが、反応は返ってこない。その事実を認識するたび、志貴の喉は引き攣り、視界が歪み、脳が悲鳴を上げる。
もう犠牲を出さない。そう誓ったのに、俺は、また……
志貴の絶望とは裏腹に、その体には生き生きとした力が迸り、満ち溢れていた。楔を制御する手は荒れ狂う海から、まるで穏やかな海に出たかのように安定している。志貴が全身を使って耐えなくとも、腕の力のみで魑魅は身動き一つ取れなくなっていた。




