第88話
《失われし大地、焼かれし家々、涙の河、
風に乗りしは、死者の怨嗟―――
忘れ去られし、我が故郷、生と死の境なろうとも、
復讐は消えず、汝滅ぼすまで燃え続ける。
魑魅を封じる天災封神祭、霊力のある三人の女性の「肉体・精神・魂」を贄にして、当主の力を底上げすると同時に、魑魅を縛りつける楔とする儀式。
何故、松木家は、あのような惨い方法で村を蹂躙したのか。
楔にするためだ。天災封神祭とは違う、呪いの楔。地縛霊なんて、よく言ったものだ。怪異が地に縛りつけられる特性を利用した楔を作るために、怪異となるほどの強い憎しみと怒りが必要だったんだろ? だから、村の皆を家に閉じ込めて放火し、逃げる村人は燃える井戸へと放り込み、じわじわと火の神を祭る村を焼き滅ぼした。惨いやり方で村一つを滅ぼさなきゃ、魑魅を地に縛りつけるほどの楔を編み出すことが出来なかったんだろう。
どんなに手製の墓地の前で祈ったとしても、村の皆は魑魅を抑え込む楔として縛られ続けている。
その事実は壱衛門のあらゆる感情を爆発させ、弓を引く力へと変えていく。激情に駆られる弓を持つ腕は前へと押し出され、弦を引く腕は肘から後ろへ引かれていき、弦は胸元を越え、両腕が左右に広がっていく。
《罪なき死者たちの怒り、憎しみ、悲しみ―――
死者の嘆きを背負い、その眼差しを貫く矢とならん 。
今も尚、激昂に近い力で弧は大きく引かれていく。壱衛門の頬を擦る弦は最大まで引き切っているが、弓は震えることなく、魑魅の方を向いていた。
この恨み、松木家にぶつけるべきだが、魑魅がいる限り、村の皆は解放されない。ならば、これら一切を用いて、魑魅の邪視を撃ち祓う。
《今、死の穢れもろとも射貫き、地に還す。
庵との死闘を経て、高められていた壱衛門の集中力・技量は神業と言っても過言ではない。肩甲骨は可動域を無視するように寄せられ、弦は壱衛門の耳先を擦り、引く腕の肩が後方へと沈む。力のこもる指先からは血の気が引き、腕の筋は強張り、脈打つ血管が浮き出ていた。壱衛門は最終工程を前に呼吸を止め、弓を限界まで引き絞った姿勢で動きを止める。
《我が手より放たれし焔の矢
死にたい
死ななきゃ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死死死死死死死死死ししシ
放たれた矢は流星の如く燃え盛り、一筋の光となって魑魅の邪視へと奔る。怨念を、想いを燃料に矢は威力を増し、加速度的にスピードを上げていく。雨の気配を纏う霧を気化させ、邪魔な木々を焼き払い、微塵の狂いもなく、壱衛門の矢は魑魅の邪視を射貫いた。
《その瞳を焼き尽くし、 灰燼と化せ》
弓に宿るは、村の名前の由来になった火の神。
今や異界となり、信仰する者がいなくなった神社の主。
復讐鬼と成り果てた男に力を貸す神。
自らの炎で親を焼き殺し、激昂した親に殺された悲しき神。
―――その神話に、偽りなし。
その火、ただの呪い火に非ず、神秘を焼き尽くす神殺しの焔なり。自然の生命力を以ってしても傷は癒えず、消えぬ焔が邪視を焼き続ける。その身体、その御力が崩れるまで消えることはない呪い火、神すらも焼き殺した焔の再演である。
「壱衛門さん! ダメです! 死んじゃダメ!」
耳元で和泉の声がするが、何と言っているのか理解するほどの余裕は今の壱衛門にない。邪視を払うように頭を振るい、眼窩から響く痛みにふらつき、幾度も身を捩じっては、自害を邪魔する和泉に壱衛門は抵抗していた。邪視へと狙いを定めるために目を開けて矢を放つまで、一秒にも満たなかったが、壱衛門が矢を放った次には死を求めていた。
「死、にたい、も、いやだ、もう、みんなに、あいたい、死にたい」
松木家に謝らせた…魑魅の邪視も射貫いた…もう、お母さんに、お父さんに、村のみんなに…会いたい、もう嫌だ、死にたい……でも、魑魅の思い通りになるのは……。
ぷちゅん…と弾ける音がした。
「壱衛門さん!」
壱衛門の右目が弾け飛んだのだ。
神の目を潰したことへの応酬か、神の眼差しに逆らったことへの報復か…あるいは邪視からの解放に伴う代償か。右目が潰れると同時に、壱衛門を支配していた自害の強迫観念も薄れていった。
和泉は震えながら、目を抑える壱衛門から流れる血をハンカチで押さえていた。
「死なないで…」
和泉は必死に祈った。
壱衛門が邪視に矢を放ってから…すぐに矢筒から矢を取り出し、自分の喉に突き刺そうとした光景が頭から離れないのだ。その腕を押さえても、死なせてほしいと暴れる。その身体は疲弊しており、和泉の力でなんとか押さえられていたが、息つく暇もなく、今度は右目が弾け飛んだ。もう訳も分からず、和泉は泣きながら壊れかけてる壱衛門を支え続けていた。
「っ、ぁ…」
「壱衛門さん」
「…倒せ、よ」
壱衛門は焦点の合わない左目で、邪視の潰れた魑魅を見上げながら呟いた。




