第86話
数刻前…
雲間から覗く現世の地面の下、壱衛門は弓を、庵秀一は鎌槍を手に再び向かい合っていた。先刻との違いがあるとすれば、争うためではなく計画を練るためだということ、由良に体を借りている潔子と和泉が近くで休息をとっていることだろうか。
「壱衛門…」
「…」
魑魅を仕留める役割分担について話すという口実で席を外した二人だったが、庵の声と表情は明らかに落ち込んでいた。青褪めているようにも見える顔で、視線を伏せている。
「怪我をさせて、すまなかった。あの時は俺も、どうかして…」
「妹の前じゃ、随分としおらしいもんだなァ。即興芝居は苦手か?」
庵の提案で分断され、露骨に不快な表情をしていた壱衛門だったが、庵の目論見に気づくなり、横一線だった口元が崩れ、クツクツと小刻みに揺れながら嗤い出す。
それで、化けの皮を被り直したつもりか。あそこまでの異常性を晒しておきながら、その程度の演技で俺を騙せると思ったのか。
三文芝居に堪えきれず、下卑た笑みを浮かべる壱衛門の視線に庵の表情はスッ…と冷ややかなものに変わる。
「……そちらも、威勢だけは戻ったようだ」
表情筋で偽ることを、声音で欺くことを止め、庵は改めて壱衛門と対峙した。
「ハッ、今更、善人ぶって誤魔化せると思うな」
壱衛門は鼻で笑う。そんなものじゃないだろ、お前の本性は…。やはり、庵秀一の本性…化け物は鳴りを潜めている。その目から血走った欲が漏れ出ているが、常人には分からないほどのものだ。
理由は、庵由良…いや、多数の人間の視線か。修羅であることを自覚してもなお、他者の視線を気にするとは、まるで人間だな、庵秀一。化け物だってバレるのが嫌なわけだ。この状況、テメェにとって、やりにくくて仕方がないんだろ? なら、この状態を保っていれば、一方的な蹂躙は起こらないってワケだ。
「呼び出した理由は口止めか」
「…お前の対応次第では、そのような結果になっていただろうな」
僅かに言い淀んだ庵を煽るように、壱衛門は薄気味悪い笑みを浮かべる。
「壱衛門、魑魅の封印だが、解いたのは俺だ」
謝罪目的で二人きりの話し合いの場を要求してきたのではないと分かっていたが、突然の告白に壱衛門は呆気にとられ、次には皮膚に爪が食い込むほど、拳を握りしめていた。
「………テメェのことだ。高尚な理由で封印を解いたわけじゃないんだろ」
「戦ってみたかった」
コイツは生まれてくる時代を…いや、種を間違えたのか。絵に描いたような善人を辞めた修羅は隠すことも、恥じることもなく、淡々と己が罪状を述べている。
「テメェのケツは、テメェで拭け」
先程までの気分を害された壱衛門は語気を荒げ、苛立ちをぶつけた。
「最初から、そのつもりだ」
壱衛門とは対照的に落ち着いた声音で庵は応える。だが、当然のことを再確認されたかのような顔に、壱衛門は頭に血が上っていく感覚を覚えた。…が、舌打ち一つに留める。
「…で、勝率は」
「五分五分といったところだ。まぁ、勝つが」
決め手があったわけでも無さそうな庵の言動に、ハラワタが煮えくり返りそうになるのを壱衛門は抑え込む。
解っている、俺の激昂を待っているんだろう。正当防衛という建前が欲しいんだろう、化け物。それを解ったうえで態度に乗るのは癪だ。それに、封印が解かれた魑魅を倒せる可能性があるのは、現状で目の前の化け物…庵秀一だけだろう。
「…テメェは修羅だ」
「あぁ、認めよう」
「だが、善人で居ろ」
「…お前がそれを言うのか」
壱衛門の言葉に庵は明らかに困惑していた。俺の善性を否定し、本性を暴いたのは壱衛門、お前だろう…という眼差しを壱衛門に刺す。
「テメェは修羅だが、己の在り方を悪だと理解し、善人面を取り繕おうと努力していたんだろう。そのなけなしの善性を捨てるな、と言ってる」
「…」
無言で佇む庵から何か言いたげな視線を向けられるが、知ったことかと壱衛門は無視をする。
「その人間性、テメェには必要だろうさ。意味は自分で考えろ」
面食らう庵の様子に壱衛門は溜飲が下がると同時に、頭の整理を終える。
「魑魅には、こちらも借りがある。俺が奴の邪視を潰し、隙を作ってやる」
「壱衛門の腕前ならば、どのような呪の根源にも届くだろう」
「…先の件は不問にしてやる。だから」
「俺も期待に沿えるよう誠心誠意を尽くそう」




