第78話
「…はっ、はっ…」
衝撃で一時的に気を失っていた志貴は、カッと目を見開くと酸素を取り込むように荒く息をして起き上がる。
なにが、起こった…。
軽度の頭痛で混濁する意識の中、手元に感じた温かさを頼りに志貴が目を細めれば、間下が唸りながら横たわっていた。
「ま、間下!」
重怠い体を動かして、その体を揺さぶると間下は飛び跳ねるように起き上がり、周囲へと目を配った。
「ここは…どこだ」
「分からないが…長居するべきじゃないだろう」
掌や靴越しにネバついた感触を覚えた二人は、この場に留まることを避けるように立ち上がった。
志貴の頭が天井を僅かに擦り、二人は薄暗いこともあって、やや中腰で移動を始める。ぬかるんだ足元に気を付けながら妙に生暖かい空間を進むと、壁面らしき場所に手が触れた。綿に似たふわふわとした繊維が指に絡み、さらに手を沈めると、しっとりとした滑らかさのある壁に触れ…思わず、志貴は手を一度、引っ込めた。それでも、僅かに力を込めれば、若干の伸縮性を見せつつ、壁がたわんで破れていき、裂け目から外が見えた。
差し込んだ光の眩しさに二人は眉をしかめつつも振り返り、改めて自分たちがいた場所を目にする。どうやら、赤い糸の塊に包まれていたようだった。
…赤い繭の中のようだ。
志貴はそんなことを思いながら間下と協力して壁を裂き、外の惨状を改めて目撃する。すだま神社は半壊しており、山から飛んできたであろう岩や木が辺りに突き刺さっていた。繭は内側の脆さとは裏腹に外からの刺激には強かったようで、繭の所々に凹んだ部分はあれど、内側にまで達する傷はなかった。
これは、一体…。
突如として現れた赤い繭も不可解だが、夜空に広がる光の瞬きは星ではなく、人工的な光の大群、重力を無視するかのように地面が逆さになって浮かんでいた。まるで天変地異だ。その崩れた時空の中心には…
「見てはいけません! 魑魅が解放された今、邪視を受ければ死んでしまいます!」
由良の声がした。しかし、この凛とした口調に志貴…松木忠輔は覚えがあった。
「…潔子?」
驚きのままに振り返ると、少しばかり大人びた笑みを浮かべた由良が立っていた。
「お兄様、思い出しましたか」
二人の言葉に、間下は片眉を上げる。
「潔子、だと…? だが…」
「はい、既に私は死に…霊体と魂だけの存在になりました。今は、この子の体を介して会話をしています」
「…憑依、したのか」
志貴の言葉に由良…潔子は首を縦に振った。その返しに頷く志貴を観察する間下は表情とは裏腹に困惑していた。この数日、何度も「非常識」を目にしてきたが、それを受け入れるのに時間がかかるのだ、どうしても。性あるいは職業柄上、理屈を求める自分が先に出る。だが、異界において、このような場合は理解できずとも「そういうこともある」として、ひとまず受け入れるしかない。
この事件に関わってから、柔軟性をよく求められる…と、間下は肩をすくめる。
「困惑するのも無理はありません。私も出来るかどうか、確証がない状態での挑戦でしたので…いえ、こんな話をしている場合じゃありませんね。現在の状況ですが、封印が解かれ、魑魅が目覚めようとしています」
深刻な状況に間下は眉間にシワを寄せ、思考能力を取り戻しつつあった志貴は繭に包まれる直前のことを思い出していた。魑魅が封じられていた磯城を見るが、地面は大きくひび割れ、庵だけでなく玉得綾子の姿もない。代わりに、その地割れの間には、あの電車で見た幻想的な風景が広がっている。
「ですが、まだ間に合います。いえ、間に合わせます」
「間に合うのか?」
「魑魅の封印は解かれましたが、まだ影響は異界にしか出ていません。私の見立てでは、あと二時間もしない内に魑魅は真の力を取り戻し、現世へ顕現するでしょう。その前に…仕留めます」
「……仕留める?」
「犠牲を出さない封印方法を探していたのですが、今施している封印と同格以上のものを私は見つけることが出来ませんでした。ですが、その最中に魑魅を祓う、倒す方法も探していたのです」
「だが、それは…不可能だって話になったはずじゃ?」
犠牲なしに封印することができないのならば、天災様を倒すのはどうだろうかと提案したのは、松木忠輔…俺だった。潔子は目を見開いて、天災様を祓う方法を探し始めたが、すぐに魑魅の力の強大さを思い知り、不可能だという結論に至ったはずだ。
「その時は、どう考えても無理だったのです。無謀でしかなかった…ですが、状況は大きく変わりました」
潔子は迷いを断った笑みを浮かべ、ここに至るまでの経緯を語ってくれた。




