第72話
―――あぁ、疎ましい。
壱衛門は気味が悪かった。
目の前の男は、何かを隠している。それは第六感から導き出された勘か、聡明ゆえの気付きか、善人のような顔をした庵の中に、壱衛門は悍ましいナニカを感じた。
呪いを解くために立ち上がった勇気ある大学生…?
異界に巻き込まれた妹を守る優しい兄…?
あの松木家の血筋だが、善人?
否、否、否!
全部、嘘なんだろ?
本当のお前は……
「嗚呼、テメェに鏡を見せてやりたい。笑ってるテメェの顔を!」
庵は、笑っていた。
怪異との戦いの中でも、壱衛門との殺し合いの中でも、庵はずっと…笑っていた。
「殺し合いが楽しくて楽しくてたまらないって面だ。それでよく、善人ぶることができるもんだ! この状況を楽しんでおいて! 殺す! ズバッと殺してやるよ! なァ、庵ィ!」
人の形こそしているが、お前の本性は化け物だ。
………庵秀一は戦いを楽しんでいた。
「…は、はは」
「…ァ?」
「壱衛門」
結んでいた口が僅かに開き、庵は穏やかな口調で笑みを浮かべた。
そうか。やはり、俺は…そうだったのか。
庵の中でストンと腑に落ちた。先ほどから感じていたモノを理解した途端、口角が吊り上がり…その顔から、人間の皮が剥がれ落ちる。晴れやかな笑顔は悍ましく、たじろいだ壱衛門は後退った。
「壱衛門…壱衛門、壱衛門、壱衛門、壱衛門、壱衛門っ!」
歩み寄るはずの足は駆け出し、庵は歓喜の声をあげていた。乱れた矢の群れを避け、薙ぎ払い、壱衛門の眼前へと躍り出る。怯んだ獲物の隙を見逃すほど、今の庵は甘くない。壱衛門へと詰め寄り、本能のままに握りしめていた鎌槍で薙ぎ払う。
「どうした、怖気づいたか?」
「…っ!」
それでいい、壱衛門。
本当は…本当は、戦いたかったのだ、強き者と。
怪異は強い。死の果てに人の力を超越した存在だ。ゆえに、どのような怪異でも命を削る戦いばかりだった。試合とは違う。己の命を賭けた戦いでは、その場の環境を即座に理解し、適応しなければならない。己の生存のためならば、損得を勘定し、どんな手段も用いなければならない。それが、圧倒的強者をくだすことに繋がる。そういった戦いは、たとえ、己の全てを曝け出したとしても、少しのミスで死に直面する。だが、極限に身を置くことで、己の限界を押し上げることが出来る。
その瞬間こそ、生の実感というものをありありと感じられる。
「足りない、まだ足りない!」
戦いたい、戦っていたい。
この悪性、この悪癖、決して認められるものではない。
だが、だが、だが、この異界ならば、この欲を満たせる。
「魑魅よ、俺と戦え…」
俺は…俺は、まだ満たされていない。
天災、神と松木家に崇められ、畏れられた魑魅。だが、触れて解った。その正体は、数多の命を奉られたことで力を得た怪異の塊に過ぎない。しかし、あの溢れんばかりの力、神々しさ、今までの怪異とは比べ物にならない。
正に、強者の中の強者だ。強者を前に、我慢など出来ぬ。
この暴挙を、許せ。
この我儘を、否定するな。
揺籃へと戻る前に、どうか願いを叶えてくれ。
この沸き起こる熱を、俺の全てを賭けて、魑魅…お前を屠ろう。
戦え、戦え、戦え!
「―――ひっ」
壱衛門は慄き、身を竦めた。
善人ぶった化けの皮を剥いでやったのだ、思惑通り。
しかし、しかし、これは……
「あぁ……」
高揚とした気持ちで庵は、遠い昔のことを思い出す。
こんなにも…こんなにも……身体が打ち震えるのは、心臓が昂るのは……。




