第71話
………この気持ちは、なんだ
這い寄る死に、鼓動が早まる。
指先に至るまで、感覚が拡張される。
この短い時間で骨身と神経が、研ぎ澄まされていく。
壱衛門…
視線を目の前の男から離せない。
矢を放つ精度と速度は、ついに矢羽が耳先を擦るまでに高まっている。油断すれば、己の体を矢が貫くだろう。そして、その眼…どんなに避けようとも、その殺意を帯びた眼差しだけは、この身に突き刺さる。
怪異による人知を超えた塵殺とは違う、異界での生活で練磨された技術は、正に戦場を知る者。
壱衛門、この命のやり取りの中で実力を伸ばすお前は紛れもなく、強者だ。その度量と技術は素晴らしい。平和な世界で武道を極める人間たちと比べるのも、おこがましいぐらいだ。
だが…
「もう十分だ」
「っ…」
壱衛門は硬直した唇から息を漏らす。この状況を打開しようと相打ち覚悟で、向かってくる庵から逃げず、その眉間に矢を放った。だが、庵は表情を変えず、静かに拳を構え…
矢の側面を、手の甲で殴り…逸らした。
その光景に壱衛門は酷く狼狽した。こんな芸当できる奴が、人間なわけ…気づいた時には、庵が振るう鎌槍が横っ腹に迫っていた。
「っ! ぅ゛、っぐ…」
本能だった。壱衛門の肉体は弓を槍に向けて突き出していた。だが、中途半端に庵の鎌槍を受け止めた壱衛門は衝撃を流せず、残り少ない矢を撒き散らしながら地面を転がった。
終わったか。
いや…
庵は瞠目する。
壱衛門はバランスを崩しながらも、すぐに数本の矢を手に取って立ち上がった。肩で息をしながら、弓を構え…矢を放つ。その目から、戦意が失われることはない。尚も、執念深く噛みついてくる壱衛門に庵は鎌槍を構え直す。
「…もう、やめないか」
「ならば、死ね! ここで燃え散れ! この化け物が!」
あの日以来、痛み続ける火傷の跡も気にせず、壱衛門は叫び、庵へと矢を放つ。その攻撃を捌きながら、庵は考えていた。
封印という枷の無くなった魑魅。今は、まだ微睡んでいるようだが、完全に覚醒すれば、異界という地を離れ、現世へと顕現するだろう。
その前に、仕留める必要がある。
「気持ち悪ぃんだよ」
威嚇するように吐き捨てた壱衛門の言葉に、眉根を寄せて庵は困った表情を浮かべる。その様子に、壱衛門は顔を顰め、舌打ちを零した。
「そのスカした面の下で、何を考えてやがる」
「お前が何故、俺を目の敵にするのか、分からないが…。俺は、此度の事件を引き起こした魑魅を仕留めるために動いている。壱衛門、松木家を憎む理由は理解しよう。だが、今は争っている場合ではない。魑魅の封印が解け、覚醒しつつある」
「…」
「俺は考えた。魑魅の封印が綻びるたび、このような事件が起こるならば、元を断つ必要があると…。この悲劇を終わらせるために、俺はいかなければならない」
「………ァ? テメェ……」
攻撃の手を止めた壱衛門の様子に庵も動きを止め、互いに間合いを読みながら対峙する。
「なぁ、庵 秀一」
敵意のこもった壱衛門の眼差しは変わらないが、まるで冷水でも被ったかのように落ち着きを取り戻している。そんな壱衛門の様子に庵は内心、首を傾げた。
「…善人ぶるのを止めたらどうだ」
「なに?」
「テメェが戦う理由はなんだ」
「魑魅を仕留め、死の呪いを解く。…この事件を解決するためだ」
「違う。ならば、何故、俺と戦い続けた。その槍が手に入った時点で、テメェなら俺を振り切って、魑魅のところに向かえただろ」
「それは…その怒りを、執念を、受け止めるべきだと思ったからだ」
その怒りに背を向け、その執念から目を逸らし、壱衛門を居ないものとして進むことは、酷く無礼だと思った。そう伝えるが、訝しむような表情のまま、壱衛門は息を整えながら深くため息を吐いた。
「この期に及んで綺麗事を並べる気か? もう一度、問う。テメェが戦う理由はなんだ」
「……妹を、由良を守るためだ。封印のたび、由良が贄として狙われるならば」
「違う! 何のつもりだ! ここまできて、嘘を吐く必要がどこにある」
捲し立てるような壱衛門の様子に、庵は目を細める。
…何だ。
壱衛門は何を考えている。
いや、それだけではないな…俺自身もだ。先程から、心臓がざわついている。
壱衛門を見ていると、なんだか、妙に……
「ハッ、はははっ!!」
壱衛門は挑発的な嗤い声をあげ、庵をじぃっと見つめた。
「…何がおかしい」
「よく、スラスラと嘘を並べられるもんだって思ってな」
「嘘、では」
「嘘だ! いつまで、とぼけるつもりだ? その目を見りゃ嘘をついてるなんて、手に取るように分かる!」
「…」
「その化けの皮、ご立派なもんだ。だが、俺まで騙せると思うな! 隠し通せると思うな!」




