第7話
「っ…ぅ……」
志貴が身震いや頭痛と共に覚醒したのも束の間、二度寝に移行してしまう直前で食欲をそそる香りに目を開けた。ぼやけた視界では何がなんだか分からず、手をバタバタと動かしてサイドテーブルに置かれた眼鏡を見つける。
視界がクリアになれば、その隣に置いてあったメモ用紙にも気がついた。それは、昨日うたた寝直前に志貴が間下に残した「怪我の手当てをするから起こしてくれ」と書いたメモ書きだ。その下に、自分とは違う字で「メガネの置き場所ぐらい考えろ」と付け足してあった。
どうやら、あまりにもだらしない寝方だったようで、眼鏡は安全なサイドテーブルへ、そして掛け布団が上から被せられていた。節々の痛みに響く肌寒さに掛け布団を羽織ったまま、のっそりと志貴は体を起こす。食卓にはコンビニのおにぎりが置かれ、台所には湯気の立つ味噌汁が入った二人前のお椀を持つ間下がいた。床の冷たさから逃れるように、少しつま先立ちをして食卓まで歩く。
「九時起きとは、よっぽど身体に堪えたか」
若干、皮肉めいた物言いで間下に嘲笑われる。
「…よかった」
「…?」
あれは夢だ。間下が生きている事実にほっと息を吐くと同時に、志貴は夢の出来事を鮮明に思い出し、罪悪感を覚えた。
「…ま、また、忘れていたら、どうしようかと」
「あんなインパクトのある経験をして、忘れる方が難しいだろうよ」
「は、はは、そう、だな」
「その様子だと、元の記憶はまだ思い出せないようだな」
無言で頷いて、そのまま俯いた志貴の様子に間下は大げさにため息をついた。
「はぁ~、今は目の前の危機に目を向けろ」
間下は食卓に味噌汁を置くと、代わりに鮭おにぎりを掴み上げて「食え」と志貴に押し付ける。
「あぁ」
年下の青年に気を遣わせてしまっているな…と志貴は気恥ずかしく思いながら、もそもそとおにぎりを口にする。そして、なんとなく己は朝ごはんを食べるような人間ではなかったのだろうと気づいた。間下が三つ目のおにぎりに手を伸ばしているが、志貴はおにぎり一つとしじみの味噌汁で事足りてしまった。いや、かなり腹が膨れている気さえした。
「少食だな」
「間下はよく食べられるな…見てるだけで、胃もたれしそうだ。俺は朝と昼を一緒に食べるぐらいが丁度いいよ」
そんな他愛もない会話が続き、やがて間下は酷い面だと志貴の寝ぼけた顔を指摘して風呂に入らせる。そうして、志貴が完全に覚醒すると間下は本題を切り出した。
「昨日、アンタは怪異の記憶を見たな」
「記憶…あぁ」
ロッカーに閉じ込められた記憶、親に…復讐した記憶、まるで自分の身に起こったような怪奇現象、実体験した感覚さえあった。
「オカルト方面のことは深く考えないが、アンタは怪異の記憶を見れる…と俺は考えている」
「そうだな。間違ってはないと思う」
志貴の返事に間下は地図とコインロッカーから手に入れた車の鍵を食卓に並べた。
「手掛かりは、この鍵だけだ。だが、昨日のように、あの芋虫野郎を呼び出すなり、怪異の記憶を見るなりすれば、次の行き先が分かるハズだ」
間下は右手を志貴へと差し出す。言葉にしなかったが、力を貸せという意味に志貴は頷いて、その手を握った。合わさった二人の腕を二匹の芋虫が蠢く。そして、発声器官もないであろう火傷跡から声が響いた。
【またあわん めざめはのちの たそがれぞ ひはいりぬとも みちはうせず】
そう言って、芋虫が体を丸めたかと思うと、火傷に姿を戻してしまった。
「おい、それだけか」
「えーと、また会おう。目覚めは黄昏と言うことは…夕方まで眠るから、また後で呼んでほしいということじゃないか」
「はっ、夕方まで待機してろ、だと…こっちは命がかかってるんだぞ」
己の腕で眠る芋虫を間下は睨みつけて不服そうに言い放つ。
「うーん、車の鍵の方も試してみよう」
志貴は車の鍵を掴み上げて、間下の手を強く握りしめる。だが、何も起こらない。
「これは…本当に、夕方まで待たないといけないかもな」
手がかりはゼロ。そんな状態で無暗に調べ回っても体力を消耗するだけだ。この結果に舌打ちの一つでも飛んでくるかと思っていた志貴は間下をちらりと見る。
「…何か、顔についてるか?」
志貴は自身の顔を触りながら間下に問う。観察するように、こちらを見上げていたからだ。
「いいや、まだ調べることが残っているだろう」
間下の言葉に思い当たらず、志貴は首を傾げた。
「どんな夢だったんだ」
「…」
この青年は意地が悪い。志貴は心臓に冷や水をかけられたような心持ちでそう思った。あの咄嗟の誤魔化しは、とっくのとうにバレていたらしい。
「顔を真っ青にしておいて、何もないわけないだろうが。話せ」
強かな口調で促され、志貴は渋々といった表情で口を開いた。
「…屋上から人を突き落とす夢を見たんだ」
「人殺し」
間下と言わなかったのに、まるで本人に夢の事を責められているような気がして、キリキリと胃が痛んだ。
「人殺し…人殺し、か。…もっと詳しく話せ」
間下の興味が失せることを祈っていた志貴は、さらに渋い顔をする。特に、間下から睨まれたり圧をかけられたりしているわけではないが、できれば、話したくない…そう視線と無言で訴える。
「アンタの場合、たかが夢とは言い切れん」
渋る志貴を横目に間下は味噌汁をすする。
間下とて、普段ならば、ただの夢だろと一蹴していた。だが、この状況において志貴が視る悪夢は一個人が生み出した不安の塊とは限らず、むしろ自分たちが進むための手がかりになっている可能性さえあった。だからこそ、こうして聞き出そうとしているわけだが、こちらの意見を伝えても、志貴は何かをひた隠しにしながら夢の様子を語る。
それに気づいていた間下だったが、彼なりに自制していた。その隠し事を暴くために、追い詰めて使い物にならなくなっても困るからだ。




