第67話
玉得綾子。
追い詰められた私たちを助けてくれた人。そして、私たちの関係に水を差した女。八方塞がりの私たちの前に、どこからともなく現れて言った。
「私と来ていただけませんか」
乗るしか道が無かった私たちは、その手を取った。玉得に付いて行った先は異界の神社。怪異、この世ならざるものが闊歩する世界の神域…言霊の存在を知っている私たちにとっては、今さら過ぎて驚くことはなかった。
玉得は私たちが困っていたから助けたと言って、私たちの話を聞くと境遇を憐れんで涙を流した。そして、人畜無害を貼り付けた顔で、私たちの頭を撫で、優しく抱きしめてくれた。まるで、聖母のようだと思ったことを覚えてる。
社会に追われる私たちは、玉得が提供してくれた衣食住を利用した。いや、利用するしかなかった。だけど、それは間違いだった。何が何でも、すぐに出ていくべきだった。
しばらく、異界で過ごすうちに、頼人が玉得綾子に愛を向けるようになった。普通の母親から与えられる「無償の愛」に似たものを感じたみたい。褒められるたびに無理をする頼人の姿に、私は腹が立った。
「言霊が使えるのですね」
さっさと殺してしまおう。
そう思って、玉得綾子に言霊を放ったら、いとも簡単に弾かれ、すぐに私が言霊を使えると見抜いた。いや、今思えば、気づいていたから助けてくれたのかも。
「頼人君のためにも、頑張ってくださいね。魑魅様の統治する世界になれば、あなた方も救われることでしょう」
嘘つき! 私まで騙せると思わないで!
ただ利用したいだけでしょ、私の力を。そのために、頼人を囲った。
魑魅様は悪しき魂を滅する? どこが? 私たち、まだ生きてるじゃん。
選ばれた魂は、人を殺してもいいワケ?
あはは、やっぱり、反りが合わない。早く死んでほしい。死ね! でも、あれこれ邪魔しても、全部見抜かれて目論見を潰される。今のままじゃ無理だ。もっと余裕がない時じゃないと、私の言霊は届かない。そう思って、虎視眈々と過ごしていたら…。
夢から覚めるように目を開ければ、怪異になった頼人が洞穴の外を徘徊している。
…玉得は松木忠文を生きたまま、怪異にしたことがあった。
あの女は上手く他人の傷口に入り込んで相手を支配する。松木忠文も、ものの見事に口車に乗せられて、玉得の言う魑魅様の御導きによって化け物になった。
今までも、あの女は頼人を含めて色々な男をたらし込み、呪術、黒魔術に手を出して、力を蓄えていた。だけど、あんなに尽くした頼人まで…
「………あー、絶対に殺す」
私は頼人を愛してる。
それを分かってたくせに、頼人に手を出した。私の牙が喉まで届かないと高を括って、頼人に手を出した! 甘い甘い甘い、私の執着を舐めるな! 私は有言実行、殺すと決めたら殺す! そのためなら、私は手段を選ばない! 私たちの関係を穢しておいて、ただで済むと思うな、玉得綾子!
「言霊、解いてくださーい」
和泉が呼びかけると、玲奈は体育座りの姿勢から顔を上げて、ムスッとしながら振り返る。
「じゃあ、協力して! 頼人を助けるから」
また、口だけ…態度だけかもしれないのに、目の前の二人は「そういうことなら」と頷いた。言霊を解いても、二人は既に協力体制といった様子で口を塞いでこようともしてこない。普通なら、私の口を塞ごうとしたり、無茶な命令をされるんじゃないかって怖がったりするもんなのに、警戒のけの字も知らなさそうな顔、正に能天気、ここに極まれりって感じの顔をしている。
まぁ、反抗してきたら、私も容赦しないけどね。
「ちょっと殴るなりして、気を逸らして」
言霊で怪異を殺したことはある。でも、会話なんてしたことがない。ぶっつけ本番だ。何回も言霊をぶつけなきゃいけないかもしれない。相手に隙がないといけないかもしれない。もしかしたら、言霊が届かないかもしれない。なにより、私は頼人を殺すことができない。倒せない怪異を前にして、次も助かる保証はない。
「ちょっと殴る??? 私たちで?」
由良は怪異に変質した頼人をチラチラと見る。
「無茶なのは分かってる。でも、やらなきゃ無理。お前等、何か思いつかないの?」
「うーん、使えるもの…?」
由良はスクールカバンの口を開けて中を漁る。
「私、手ぶら。なんにも持ってない」
切り札以外はすだま神社に置きっぱなし。
玲奈が両手をパーにして何も持ってないというアピールをすると、由良は少し頬を膨らませて身を乗り出した。
「あと、お前らじゃなくて、私は由良っていうの」
「私は和泉です!」
「聞いてないんだけど…。というか、呪殺できる相手に名前を教えるとか自殺希望者?」
「そーいうのじゃないって、今からチームみたいなものでしょ! 「お前」だけじゃ、私と和泉、どっちに話しかけたのか、分かりにくいから」
「はいはい。で、何を持ってたの」
由良のカバンの中身は手鏡や櫛、ヘアスプレーなどの美容品、包帯やテープなどの応急セット、武器になりそうな凶器は一つもない。
「ざっこ」
「言い方!」
「あの化け物頼りだったの、丸分かり」
玲奈は衝撃に巻き込まれる前のことを思い出す。こちらの言霊を薙ぎ払いながら突き進んでくる庵の目に玲奈はゾワゾワと身震いした。
「人の兄を化け物呼ばわりしないの!」
「ふふっ。じゃーん」
由良の言葉をテキトーに玲奈が受け流していると、和泉は勿体ぶりながらも、リュックから発炎筒を取り出した。
「これ、壱衛門さんに持たされてたヤツです、使い方もばっちり!」
和泉は赤い筒を掲げると得意げに胸を張り、玲奈は呆れ顔で、その場違いなアイテムを凝視した。
「なんで、そんなもんを持たされてんの」
発炎筒なんて、女子中学生のリュックから出てくる物ランキング、ワースト圏内でしょ。
「怪異に襲われた時、これをつけろって。狼煙の代わりだったっけ…?」
「原始的すぎ! でも、火とか煙がめっちゃ出る奴でしょ。使ったことないけど」
「これを頼人さんの体に当てたら驚くんじゃないかな」
「じゃあ、和泉が発炎筒を投げつけて。その隙を突いて、私が言霊をぶつける」
「…私は?」
実戦を想定した話し合いが、二人の間でトントン拍子に進んでいく様子に由良は自分を指差して首を傾げる。
「もしもの時の囮」
「えぇ…! うーん、分かった」
「よかった。拒否ってたら、言霊を使ってた」
「ヒドイ!」
冗談とも本気ともつかない玲奈の言葉に、由良はヒーンという効果音がつきそうな顔をする。そんな彼女の隣では、無邪気に発炎筒を握りしめる和泉…玲奈は両者に目を遣り、小さく息を吐いた。世話のかかる頼人のために、この馬鹿二人をどう動かしたものか。軽口を叩きながらも、彼女の頭の中は既に実戦のシミュレーションでいっぱいだった。
「玲奈、頑張ろうね」
「絶対に助けましょう!」
「…」
悪寒…体中がむず痒くなるような感覚を覚えた玲奈は少し逡巡した後、和泉と由良の荷物に手を突っ込み、無言で中身をかき回した。
「ちょっと、勝手に弄らないでよ~」
「もしかして、照れてます? 照れてる?」
「うっさい! …ほら、さっさと行くよ」
近寄ってくる二人に玲奈は馴れ馴れしくするなと言いたげに顔を背けると、ぶっきらぼうに言い放つ。だが、その足取りにもう迷いはない。
……決意を胸に、玲奈は洞穴の外を見つめた。




